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株式会社河野製作所は1970年設立の医療機器メーカーです。針付き縫合糸をはじめとした手術関連製品の開発・製造を行い、「クラウンジュン」ブランドとして展開しています。河野製作所が追及しているのは「世界オンリーワン・ナンバーワン」の製品づくり。常に新しい技術を開発し、これまでにない価値を提供することで市場を創造しています。



現在、河野製作所では縫合針の微細加工のみならず、新素材の技術開発にも挑戦しています。代表的なフッ素樹脂であるPTFE(polytetrafluoroethylene)を使用した不活性素材「eterno®」シリーズはそのひとつ。PTFEは生体内での分解が起こりにくいことから、非吸収性医療材料として適した素材です。加工しにくいという特徴もありますが、河野製作所では独自の技術を集約して様々なPTFE製品を開発しております。「eterno®」シリーズに数えられる「Cirrax(シラクス)」は、脳神経減圧術(MVD)という手術のために開発された製品で、世界で唯一の医療機器です。



Cirraxの開発を通し、治療に携わるドクターだけでなく、人知れず苦しんでいた多くの方々からの喜びの声を聞くことができました

今回はこのCirraxがどのようにして誕生したのか、Cirraxプロダクトマネージャーの串畑から、その開発秘話をご紹介します。

きっかけは、ドクターからの切実な声

マーケティング本部 部長

Cirraxプロダクトマネージャー 串畑恭平


Cirrax開発のきっかけとなったのは「MVD用に医療機器として認められた、より安全な製品を使用したい」というドクターからの声でした。


MVDは脳神経外科で行われる手術で、顔面痙攣や三叉神経痛を対象に、症状を改善させるための根本的な治療法として実施されています。これらの病気は命に関わるものではないものの、その症状に苦しめられるあまり外出できなくなったり、鬱になってしまったりする等、QOLに悪影響を及ぼすものです。


MVD自体は1970年代に生まれた治療法ですが、専用の医療機器というものはずっと存在していませんでした。当社がMVDという手術、そして後にCirraxの共同開発を行うことになる(当時)藤田医科大学医学部脳神経外科 長谷川光広先生(現 東京Dタワーホスピタル 院長)と出会ったのはそんな折、「MVD用に開発された医療機器が欲しい」という声がかかったことがきっかけです。長谷川先生はこの治療法をけん引するドクターの一人として、専用の医療機器が無いことを問題視されており、当社を始めとする複数のメーカーに開発を依頼されたそうです。しかし、MVDという手術は年間3,000例に満たず市場としては大きくないこともあり、どこのメーカーも開発着手には至りませんでした。一方で、当社は「徹底的に顧客ニーズを拾うことで、新市場を創造する」ことが経営方針の一つ。市場が小さくとも、はっきりとわかるニーズがあった以上、挑戦しない理由はありませんでした。

患者さんに寄り添った素材と形状

MVDの手術は、脳内で神経を圧迫している血管の位置を調整し、神経の圧迫を解消するというものです。Cirraxはこの血管の位置調整に用いられるため、劣化してしまうと血管の位置が元に戻ってしまい、症状の再発を招いてしまいます。これを防ぐために当社が採用したのがPTFE。PTFEは、生体内での分解が起こりにくい素材、すなわち身体の中で劣化しにくい素材であるため、再手術リスクを軽減することができます


また、Cirraxは綿の形状をしています。ですが綿のまま使うわけではなく、細長くしたり小さな玉状にしたり、様々な形状に整えて使用します。MVDでは症例によって必要な材料の形状・大きさが異なるため、患者さんに合わせた形に成形する必要があるのです。そこで如何様にも成形できるよう、綿の形状を採用しました。


発売までの苦難を支えてくれたのは、組織風土

Cirraxをドクターの元に届けるまでで、最も苦労したのが国の販売承認を取得することでした。MVD用の製品は国内初であったため、医療機器として承認を得るまでのハードルはとても高かったのです。分かりやすく例えるならば、新しいスポーツが生まれた時に、それがオリンピックの競技として採用されるには様々なハードルがあるように、医療機器においても基準となるルール作りから始め、それに適合していることの証明など多くのことをクリアしなければならないため、費用と時間、労力が必要になります。だからこそ既存市場において類似品を世に出すよりも、圧倒的に難しい挑戦です。


国内の中小企業である当社がそこに踏み入れるというのは、かなりチャレンジングなことでした。実際のところ、承認までのハードルがかなり高いと分かった時点で、このまま開発を続けるか退くか、判断を迫られる場面もありました。社内では慎重な意見もありましたが、経営者が後押ししてくれたこともあり、挑戦を続けることができました


困難を共にした開発のメンバー


結果、開発着手から約4年の年月を経て、承認を得ることができました。会社としては初めての取り組みだったこともあり、試行錯誤で回り道をした場面もありましたが、会社は見守り続けてくれました。『確かなニーズがあるのなら、困難にも立ち向かう』会社にこういった土壌があったからこそ、発売まで辿り着けたのだと考えています。

全国のドクターが心待ちにしていたCirrax

承認を得るための動きと並行して、マーケティングも行っていました。当社の理念は「新市場の創造」ですから、Cirraxの開発を始めた時点で市場の開拓と拡大を意識していました。しかし私自身は開発出身の人間だったので、マーケティングのことは右も左もわからず、手探りでまずは手術件数を調べるところからスタート。実施件数の何割を占めればシェアNo.1を達成できるのか調査し、地道な営業活動から始めました。とは言えMVD用の医療機器、という製品自体を心待ちにしているドクターが多かったので、初めから興味を持って話を聞いて下さることが多かったです。そこで気に入っていただけた多くのドクターのご協力もいただきながら、段々と販路を拡大していきました。また、開発のきっかけを与えていただき、開発過程においても全面的にご協力下さった長谷川先生に、学会にてCirraxの紹介をしていただきました。MVDの発展に尽力されており、Cirraxの開発になくてはならない存在であった長谷川先生にご紹介いただけたことで、Cirraxの認知は一気に拡大しました。

今では、Cirraxの販売に留まらず、MVDの周知発展に向けたドクター向けセミナーにも携わっています。きっかけは、Cirraxを国内で最初に導入していただいた水戸ブレインハートセンターの院長 畑山 徹先生が声をかけて下さったことです。畑山先生もMVDの分野をけん引されてきたドクターの一人で、MVDの周知発展に心血を注がれています。唯一のMVD用医療機器であるCirraxを開発した当社に、期待をもってセミナー共催のお声がけを下さりました。セミナーには、畑山先生の技術を一目見ようと全国からドクターが参加されました。セミナーの中でCirraxを紹介して下さる場面もあり、Cirraxがいかにドクターに必要とされていた製品であったかを改めて実感することができました。


MVDセミナーの様子。

Cirraxの使用方法を、畑山先生からドクターへレクチャー


セミナーは大変好評でしたので、今後も継続的な実施を目指しています。製品開発、そして販売を通してこのような場に参加できたことは、市場が創造されていく様を目の当たりにできたように感じて本当に感慨深かったです


もともと開発部門に所属していた私が、マーケティングや啓発活動にまで携わることができたのは、当社の「ものづくり・ひとづくり・マーケティングを極める」という土壌があったからだと思っています。Cirraxによって脳神経外科の分野の開拓に成功したので、今後はさらに別の製品を展開していく予定です。こうして事業を回していくという経験は、1部署だけでは経験できないこと。河野製作所流の人材育成の大きな魅力だと思います。





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