大阪で誕生し、宝塚歌劇団と並び称されながら、苦難の歴史を歩んできた「OSK日本歌劇団」。30日、日本を元気にした人や団体に贈られる「関西元気文化圏賞」特別賞を受賞した。多くのファンをとりこにする、その魅力とは…。
■大阪生まれ「OSK日本歌劇団」苦難の歴史
21回目を迎える「関西元気文化圏賞」。関西から日本に元気を与えた人としてこれまで、ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑さんや、こども本の森中之島をつくった建築家の安藤忠雄さんなどが大賞に選ばれている。
「2023年関西元気文化圏賞大賞は阪神タイガースと岡田監督」 38年ぶりの日本一を成し遂げた岡田監督率いる阪神タイガース。岡田監督が用いた「優勝」を表す「アレ」は、チームの合言葉にとどまらず、流行語として日本中に広まった。
そして、特別賞に選ばれたのは…『OSK日本歌劇団』だ。

トップスター楊琳さん:
上方文化として、関西から、日本全国、全世界に明るさと元気を届けていきたいので、今後ともOSK日本歌劇団をよろしくお願いします」
「大阪松竹歌劇団」として、大正時代大阪・ミナミの松竹座などを本拠地に創立されたOSK日本歌劇団。
ファンは…:
ブギウギの朝ドラで拝見して
底抜けの明るさで戦後の日本を照らした大スター・笠置シヅ子さんをモデルに描いたNHK連続テレビ小説「ブギウギ」。このスターを生んだ歌劇団としてドラマが回を増すごとに脚光を浴びた。

ファンは…:
ラインダンス、あれすごいなと思って。(Q.お好きなんですか?)インスタとかフォローしててOSKの。歌も演技も、翼和希さん(朝ドラで)初めて見たんですけど今も応援してます
■親会社に支援を打ち切られ解散…その後有志によって復活
かつては「歌の宝塚、ダンスのOSK」と並び称され、ファンの人気を二分していたが時代とともに、宝塚に人気を奪われ、その後は、苦難の一途をたどる。

最盛期には300人を超えた劇団員は10分の1にまで減り…ついに20年前、親会社(の近鉄)から支援を打ち切られ解散に追い込まれた。その後、有志によって復活したOSK。 立て直しの真っただ中で入団し、現在のトップスターまでOSKで昇りつめたのが楊琳さんだ。
トップスター楊琳さん:
自分たちでもいろんな店に行って『(ポスター)貼ってください』とか、ここ貼ってくれそうかな?ってところに飛び込みで行ってみたりとか、いまだにさせていただいてるんですけど。そうやっていくと顔がつなげるので、お店の方と仲良くなったり商店街の皆様と歩いてたら『頑張ってね』と言っていただいたり
なんとトップスター自ら、商店街をまわり、ポスター掲示をお願いしているという。
そんな楊さんがかけだし時代に語っていたのは…

トップスター楊琳さん(2008年):
トップスターになりたいなと思います。(Q.トップとはどんな存在)本当に手の届かない存在。雲の上って言ったら大げさですけど、それに近いかな
(Q.その時を振り返っていかがですか?)
トップスター楊琳さん(きょう):
そうですね…『なったよ!』って(当時の自分に)伝えたいですね
着々と実績を積み重ね、ついに楊さんは2021年からトップスターとして、コロナ禍で公演ができない時期を乗り越え、多くのファンに夢や希望を届けてきました。

ことしOSKを退団する楊琳さん。最後の春公演に向けて稽古に励みます。
トップスター楊琳さん:
感謝の心を忘れず、心を込めてしっかりと誠心誠意お客さまに向き合えば、絶対すてきな劇団になっていきますし、どんな劇団になるか楽しみです
(関西テレビ「newsランナー」1月30日放送)