悩みは尽きない子育てや部下の教育。

12月15日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、名将・野村克也さんに“ノムさん流・人の育て方”に迫った。

スタジオには、メジャーリーグの挑戦を挟んでヤクルト在籍10年、日米通算2000安打を誇る青木宣親さん、息子として指導を受けてきた現・楽天のコーチ・野村克則さん、野村さんのまな弟子で“ID野球”の申し子とも言われた古田敦也さん、選手・コーチとしても“野村イズム”をたたき込まれた真中満さんといった、かつての教え子たちに加えて、ヤクルトファン代表としてずんの飯尾和樹さん、山崎育三郎さんや、フリーアナウンサーの山本萩子さんも登場した。

「無視・称賛・非難」と3つに分類

ブツブツとつぶやくような“ボヤキ”に加え、厳しい言動にもかかわらず、いまだヤクルトファンに愛され続ける野村さん。

1990年にヤクルトの監督に就任して以来、リーグ優勝4回、3度の日本一を果たし、ヤクルト黄金時代を築き上げた名将だ。

まず、野村さんは監督時代、選手に対して常々言っていたことがあるという。それは、無視・称賛・非難を選手によって使い分けるということ。

古田さんは「『俺はたくさんの人間を管理しているけれど、大きく3つに分類している』と言っていました。『無視・称賛・非難』これをミーティングできっちりやられた」と話し、その詳細を説明してくれた。

野村さんは下手だと感じている選手に対しては、基本無視する。無視することで奮起を促していく。そして、もう少しでレギュラークラスに入りそうな選手には褒めて、称賛。レギュラーの選手に対しては、非難しかしない。非難してさらなるレベルアップを促すというのだ。

普通なら褒められるべきトップ選手でさえも容赦なく叱るのが野村流。このやり方を選手に公言し、チーム全体に浸透させたという。

真中さんは「『褒められているうちは、まだまだ一人前じゃないよ。非難されて初めて一人前の選手』とよく言われました」と当時を振り返る。古田さんも「『俺に文句を言われているやつは一応、一流と認めているから』と言って、僕なんか毎日文句言われてもしかたないと思いました」と話した。

この“野村流”の教育法について教育評論家の“尾木ママ”こと、尾木直樹さんに聞くと「非常に素晴らしい。しかも、かなりレベルの高い人の人材育成論だと思います」と絶賛。「怒られたら普通、嫌だと思うじゃないですか。教育の場で言えば。でも、怒られることが一流だと染みこんでいく。これは大事。『真中さんが怒られている、古田さんは怒られている、いいなぁ』と、自分も早く怒られたいと。統制がすごく見事です」とべた褒め。

一流の選手にも怒ることができる環境を作り上げ、叱られたトップ選手たちはさらなるレベルアップを目指す。その結果、チーム全体がどんどん強くなる、それが野村流の人材育成術なのだ。

「ヤクルトの歴史は俺抜きでは語れない」

そして、野村さんの代名詞と言えば、“ID野球”。膨大なデータを活用して、長時間のミーティングにより選手に指示を出すという緻密な野球というイメージだが、真中さんは「縛り付けていろいろなことを選手に指示しているように見えますが、試合になると自分たちの感覚でやれ、という監督だった」と明かす。

「指示されるだけでなく、自分で考えろ」というスタンスで、緻密な準備は試合前まで。試合が始まったら選手達が自分たちで考えて行動する、というのが野村さんの教える野球だったのだ。

こうした野村さんの教えは、どういった考えのもとに行われていたのか。野村さんにインタビューした。

野村さんは「“野村イズム”といったら大げさかもしれないけれど、そういうのを選手に浸透させたかったんです。頭のスポーツだと思うから。1球投げて休憩、1球投げて休憩。あの間を上手に使う人が名選手になる。備える時間や考える時間を与えるのが一番の特徴だと思うんです。野球は間違いなく“頭のスポーツ”です」と話した。

今年、ヤクルトは球団設立50周年を迎えたが、野村さんは「ヤクルトの歴史は浅いけど、俺抜きには語れないでしょ。ちょっとうぬぼれを言わしてもらうと」と笑顔を見せた。

スタジオでは、三宅正治アナウンサーから「監督に怒られているイメージが我々、ありますよね」と振られた古田さんは思わず苦笑。また、真中さんはある試合でバントのサインが出ているにもかかわらず打ってしまい、翌日の新聞に野村さんの「真中のヤロウ サインを見落としやがって、殺したくなってくるわ」というコメントを読んで震え上がったという。当時のことを振り返り、「やっぱり俺、間違えたんだと思って。翌朝、家から出るのが怖くて、防弾チョッキか何か着ていこうかと思いました」と明かした。

「テレビに出て、名前と顔を売りなさい」

そんな厳しい野村さんだが、選手たちには「テレビへの出演」を勧めていたという。

野村さんが監督を務めていた90年代のヤクルト黄金期には、選手たちの積極的なテレビ出演という特徴があった。

バラエティ番組などに選手たちは出演し、現在のアスリートでは考えられないことにもチャレンジしていた映像がフジテレビに残されている。古田さんは「野村監督から『とにかくテレビに出なさい。積極的に出て、名前と顔を売りなさい』」と言われていたことを明かした。

そう、「とにかくテレビに出ろ」という野村さんの教えがあったのだ。

その理由を古田さんは「当時はテレビ中継といえば、巨人戦くらい。巨人の選手は名前と顔が分かるけれど、それ以外の選手は全然分からない。特に、ヤクルトは誰も分からないから、どんどんバラエティでも出て、『名前と顔を売ってこい』と。ふざけていると思われがちなので、野球も頑張らないとという気になる。逆にテレビに出ている選手がどんどん成績を上げていきました」と話した。

ちなみに、野村さん自身も、キャンプ中には軽快なダンスでマスコミにアピール。これほどまでにテレビを意識するのは、野村さん自身の過去の経験からだとこう語った。

「プロ野球は人気商売なので、『マスコミには十分出て行くようにせえ』と。僕は、パ・リーグで人気のない南海ホークス。マスコミに相手にされないのを嫌というほど、寂しさを味わって育ちましたから」(野村さん)

かつて野村さんが選手時代、戦後初さらにキャッチャー初の三冠王を取りながらも、同世代の長嶋茂雄さんや王貞治さんのかげでメディアに全く注目されなかった経験から、選手にはテレビの出演を勧めていたという。

野村さんは「マスコミを見方に付けるのも監督の1つの大きな仕事。それはある程度、成功した」と話した。

そんな野村さんの教えが実を結び、テレビ出演とともにヤクルトは人気球団となり、好成績を残していった。

スタジオでは、野村さんの勧めにより、積極的にテレビに出ていたヤクルトの選手の中で、古田さんに注目。結婚式の様子までも特番としてテレビで生中継されたことに触れ、当時の映像が流れると恥ずかしさのあまり、古田さんは黙ってしまった。

一方、三宅アナから「真中さんはバラエティ出てましたか?」と問われると、「僕は準備していましたよ!いつ声が掛かってもいいように。でも一切ないです。上にスターがいっぱいいすぎたので」と残念そうな顔を見せた。

野村さんがこぼした妻への思い

続いては、家庭でしか見せなかった父親としての野村さんの素顔について。

ヤクルトでともにプレーをしていた息子の克則さんは「正直、あまり接しようとしていない。小・中学校のときはほとんど仕事で忙しくていなかったですね。だから、教育とかはほぼお袋が」と明かし、野村さんも「克則には申し訳ないけれど、最低の父親の元で育って、父親失格」と話した。

ただ、そんな中でも父親からよく言われていたことは、「お袋とよくケンカしていたんです、僕。ものすごい言い合いのケンカで、いつも怒られていました。(父からは)『逆らうな、逆らってもしょうがないだろ』」とアドバイスがあったという。

強烈なキャラクターで、お茶の間を騒がせていた野村さんの妻・沙知代さん。2年前の12月に亡くなり、突然最愛の妻を亡くした野村さんの落ち込みは相当なものだったと克則さんは言う。

そんな最愛の妻である沙知代さんについて野村さんは「一般的に言うと最低な女房じゃない?自分勝手でね、自己中心で、怖い人が世の中にいない。あの人、世界で一番強いと思っている」とボヤいたが、「一つだけ残念なのは、晩年になってから言い過ぎたかなと思うんですけど、『俺より先にいくなよ』と、『俺をちゃんと見送ってからにしろよ』と。口癖のように言っていたけど、ちょっと言い過ぎたかなと。『そんなのわかんないわよ』が口癖でしたけど」と後悔の思いを口にした。しかし、最後に一言、「感謝していることばっかりで、よくやってくれたと思います」と妻をねぎらった。

スタジオでは、克則さんが最近の野村さんの様子について「テレビにも出させて頂き、すごく元気にしていて。いろいろなことを辛口で言ってしまうので、僕は一応、野球界で生きているので、言い過ぎもやめてくれと言っているんですけど、全然聞いていない」と苦笑した。

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送