広島、長崎への原爆投下から78年。
隣国で人知れずその痛みを抱え続けている人たちがいることを、どれだけの人が知っているだろうか。韓国は日本に次いで被爆者が多く、親の被爆が原因とみられる病気に苦しむ被爆2世も少なくない。

広島原爆の日に合わせた慰霊式 8月6日・陝川
広島原爆の日に合わせた慰霊式 8月6日・陝川
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しかし韓国国内では同胞の原爆被害者への関心は低く、被爆2世は支援の対象外となったまま、孤独な生活を強いられている。
多くの在韓被爆者たちが暮らす“韓国のヒロシマ”を訪ねた。

韓国でも慰霊祭 被爆者は大統領に期待する一方で…

8月6日、韓国南部の山あいにある小さな町、陝川(ハプチョン)で、原爆犠牲者の追悼式が行われた。陝川は“韓国のヒロシマ”と呼ばれる。

慰霊式で挨拶する鄭会長 8月6日・陜川
慰霊式で挨拶する鄭会長 8月6日・陜川

日本の植民地時代、徴用や出稼ぎで広島に移り住んで被爆した人が、今も多く住んでいるためだ。
「今年は非常に意義深い年。痛みを分かってくれただけでも限りなくうれしいです」
1歳の時に広島で被爆した韓国原爆被害者協会の鄭源述(チョン・ウォンスル)会長(79)は、尹錫悦大統領が、5月に韓国の大統領として初めて広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪問したことを評価した。
しかし、これが政治的な演出に終わらず、被爆者の支援拡大や記憶の継承につながるかを「見守らなければ」と繰り返した。

韓国人被爆者が生活する原爆被害者福祉会館 8月6日・陜川
韓国人被爆者が生活する原爆被害者福祉会館 8月6日・陜川

追悼式の会場近くに建つ養護施設「原爆被害者福祉会館」では、約80人の被爆者が暮らしている。差別や偏見を恐れ、被爆者であることを何度も隠してきた彼らにとって、同じ苦しみを共有できる会館は貴重な場所だ。
しかし入所者は年々減っている。鄭会長によると、広島と長崎で被爆した韓国人被爆者は約10万人。そのうち生存者は1800人あまりで、平均年齢は85歳に達するという。

当時の記憶を日本語で話す金さん 8月6日・陜川
当時の記憶を日本語で話す金さん 8月6日・陜川

「汽車から降りて2歩ぐらいで黒い爆風にさらされ、トタンの下敷きになりました」
会館の入所者、金判根(キム・パングン)さん(92)は、あの日の記憶を日本語で絞り出す。
血液のがんである多発性骨髄腫を患い、今は日本から月に3万4000円の医療費の支援を受け取っているという。

韓国人を含めた在外被爆者の支援は、長年、日本に住む被爆者との格差が課題だった。2016年には両者の支援が同じ水準となったが、すでに終戦から70年以上が経過していた。

次々に体の異変も… “蚊帳の外”に置かれた被爆2世

韓国人の被爆2世を巡る状況はさらに厳しい。韓正淳(ハン・ジョンスン)さん(64)は「私たちは“捨てられた”存在」だという。
韓さんの母は妊娠中に広島で被爆した。日本で出産後、1946年に帰国したが、子供は原因不明の病気により1歳で死亡。
終戦後に生まれた6人の子供も全員が心臓などに疾患を抱え、四女の韓さんは無血性壊死(えし)症による人工関節への置き換えなど、これまで計12回の手術を受けた。

両親の位牌を前に涙ぐむ韓さん 8月6日・陜川
両親の位牌を前に涙ぐむ韓さん 8月6日・陜川

だが、被爆2世には、今なお日本政府からも韓国政府からも医療費などの手当などは出ていない。日本政府は疾患の遺伝的影響を認めておらず、韓国で2016年に制定された被爆者を支援する特別法では、被爆2世は対象から外れた。

韓さんと息子
韓さんと息子

「私の息子までも脳性麻痺で生まれ、40年間、世の中も外の光もまともに見られず、天井だけを眺めて生きています。2世を被害者として認めれば3世も4世も…と果てしなく認めなければならないという負担感もあるのだと思いますが、まずは何より国や社会が真心のこもった関心を寄せて欲しいです」
韓さんは言葉に力を込めた。

被爆への関心低い韓国社会 認知度を上げるために…

日の当たらない場所で苦しむ韓国人被爆者たちの存在を広く知らせようとする動きもある。2017年には福祉会館の隣に、韓国初の原爆資料館が完成した。
ここで資料室長を務める金喜栄(キム・ヒヨン)さん(48)は9年前、釜山から陜川に移り住み、初めて在韓被爆者の存在を知ったという。

2017年に開館した韓国初の原爆資料館 8月6日・陜川
2017年に開館した韓国初の原爆資料館 8月6日・陜川

「韓国国民の99%は在韓被爆者を知らないと思います。陜川の人ですら認識していませんから…」
資料館の規模は広島や長崎よりはるかに小さく、来場者も年間2千人程度にとどまるという。
こうした中、金さんは公式サイトやYouTubeなどを通じて資料館の発信強化に取り組んだほか、自ら教育現場に出向いて原爆に関する講義も始めている。

子供たちが原爆をテーマに描いた絵も展示している 8月6日・陜川
子供たちが原爆をテーマに描いた絵も展示している 8月6日・陜川

「韓国にも原爆被害者がいる。しかも社会から疎外されている。問題は小学校、中学校、高校で全くその話が出てこない。まずは知ること。韓国で支援しようが日本で支援しようが、それは次の問題だと思います」
金さんの活動により在韓被爆者たちに対する韓国社会の認知度や受け止めはどう変化していくだろうか。

“核”を取り巻く世界情勢の変化…韓国人被爆者たちの訴えは

「二度と核兵器を使ってはならない」

韓国原爆被害者協会の鄭会長は原爆投下78年の追悼式会場で改めて訴えた。
しかし、その願いとは裏腹に、国際社会での核の存在感はますます強まっている。
ウクライナへの侵攻を続けるロシアは核使用をちらつかせ、北朝鮮は核・ミサイル開発に邁進する。
韓国でも、政府傘下のシンクタンクが6月に公表した世論調査で「独自の核保有に賛成」との回答が6割を超えた。
「戦争(第二次世界大戦)は終わりましたが、私たち被爆者の子孫にとっては生まれたその日から戦争が始まるんです。永遠に終わらない戦争です。(ウクライナ侵攻は)とても痛くてつらい。私たちと同じ立場になるんじゃないか。決してこれ以上、核の被害者を出してはなりません」

韓さん(被爆2世)の言葉が重く響く。

仲村健太郎
仲村健太郎

FNNソウル支局特派員。
テレビ西日本報道部で福岡県警・行政担当 、北九州支局駐在。
2021年7月~現職。