30日、53歳の誕生日を迎えた秋篠宮さまは、22日、記者団の質問に答え、平成の30年間を振り返るとともに、長女・眞子さまのご結婚に対するお考えを述べられた。

 
 
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ーー来年5月の代替わりに伴い,皇位継承順位第1位の皇嗣となられるが、新たなお立場への抱負は。
公務の在り方や分担について新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ、どのようにお考えになられているか、あわせてお聞かせいただきたい。

秋篠宮さま:
最初の抱負ということについてですけれども、私は今まであまり抱負ということは、語ることは、口に出して言うことはありません。
ただ、何かの節目というよりも、折々にその抱負のようなものを考えることというのはあります。
これは、抱負になるのかどうかは分かりませんけれども、これからも様々な公的な仕事をする機会があります。
時として、例えば毎年のように行われているものなどについては、どうしても、前年度とか、 その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。

これは私自身もそうなんですけれども、やはり、それら一つ一つを、その都度その都度考えながら、自分の仕事、若しくは務めを、進めていくようにしたいと思っています。
あと、公務そのものについては、これは、例えば、天皇が海外、外国訪問中とかには臨時代行ということをするわけですね。
私は今までそれをしたことがありません。
今の皇太子殿下は、昭和時代に一度その経験があるわけです。私はしたことがありませんけれども。
今後はそういう機会は、必ず出てまいります。一方、公的な活動について、来年の5月以降、 今まで皇太子殿下が行ってきたものというのが、今度は天皇になられると、 それを併せてするということはできなくなります。
一方、これは昨年のこの場でもお話をしましたが、私も自分で行っていることがあります。総裁とか名誉総裁をしているものもあります。
それらをそっくり誰かに今度は譲る、引き渡すということ、これも、それを受ける先はありません。
そのようなことから、今、宮内庁として考えていることは、一旦全て皇太子殿下のお仕事を宮内庁の方で引き取って、それを整理をして、それで次に私がどのものをその後行っていくか、というのを検討しているところです。

おそらくそれはそう遠くないうちに、発表されるのではないかと思っています。
また、在り方については、公的な活動については、今お話ししたようなことについての了解を皇太子殿下と取った、ということです。
在り方というものについては、恐らく、今後もっといろいろ話をしていかなければいけないんでしょうけれども、分担というか、今の皇太子殿下と私のものというのは、ある程度こう今お話ししたように分かれるわけですが、例えば宮中で行われる行事等については、それは平成の時代にも、行い方が変わったり、今の両陛下が変えられたものもあるわけです。
そういうものについては随時話合いを、既にしているものもありますが、 (今後も)していく必要があろうかと考えています。

 
 

ーー天皇陛下の退位まで5カ月となったが、30年を振り返り、平成とはどのような時代であったとお考えになるか。また、象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と支えてこられた皇后さまは、どのような思いを抱かれているか。

秋篠宮さま:
平成も30年、かなり長い期間になります。
それをこう振り返って総括するというのは、なかなか私にはできません。
例えば平成の初めの頃、私も日本にいなかった時期もありますし、例えばそういう時に、ニュースでベルリンの壁の崩壊であったりとか、そういうものを見て、驚いたことはあるわけですが、平成ということですので、日本のことになろうかと思います。
そうすると、いくつか思い浮かびますけれど、例えば、バブルが崩壊して、経済の低迷といいますか、失われた10年とか、その後も含めて20年とか言われますけれども、ちょうどそのバブルの頃、それからその後でもって、人々の生活のパターンというのが変わったなというのは、 私なりに何となく感じております。
また、これは大変残念なことではありますけれども、自然災害が非常に多かった。震災もありました。そしてまた近年は、豪雨であったり豪雪もあります。台風などでも大きな被害が出ています。そういう自然災害が、非常に多い時代だったなという印象があります。

あとこれは、恐らく1992年のリオデジャネイロのいわゆる「地球サミット」後になるのではないかなと思いますが、企業であるとか、もちろん自治体もそうですね、それから個人が、非常に環境というものに関心を持つようになり、それそれが、環境に対してどういうことができるかというのを、真剣に考えるようになった時代だったのではないかと思います。
そして、いろいろなITの発達、これは、それこそ私などは、昭和時代はワードプロセッサですね、昭和の終わりぐらいですよね、で文章を作っていた。
それがいつの問にか、もういわゆるパーソナルコンピュータが普及する、そしてさらに、スマートフォンだいろいろと出てきました。

以前では考えられないぐらい、情報が入ってくるようになり、それからまた、 海外と連絡する際も、極めて迅速に、それが行えるようになり、また例えば、海外の事情なども、容易に知ることができるようになる。
ある意味では、国の国境がボーダレスの時代になったなという印象があります。
私自身はまだ、追い付いていかないところが少しありますけれども、そういう時代だったなと思います。
そして、もう一つ挙げるとするならば、日本人が学術や芸術、それからスポーツなど様々な分野で目覚ましい活躍をしている時代かと思います。

その次の両陛下のことについてですが、天皇陛下は即位以来、象徴とはどのようにあるべきかという、その象徴としての在り方について、常に模索し考えてこられ、そして、一昨年の8月に、今のお気持ちというものを表明されましたが、その中に全身全霊という言葉がありました。
まさしく、 その全身全霊でお務めを果たしてこられたと、私は思います。
そして皇后陛下は、その陛下のお務め、それから立場を重んじ、更に宮中に伝わる伝統を守り継承してゆくことに心を砕かれながら、御結婚以来、非常に長い期間、 60年近くにわたって陛下を支えてこられました。
これはなかなかできることではないと私は思い、お二方に深く敬意を表するところです。

そして、これは少し質問の趣旨から外れると思いますけれども、息子の立場として言わせていただければ、私は、20何年、一緒に過ごしていましたからですけれども、常に笑いのある、そういう温かい家庭を築いてくださいました。
そのことに感謝したいと思います。

 
 

ーー眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が2年延期され、小室さんはこの夏から3年の予定でアメリカに留学。小室家を巡るさまざまな報道もあるが、小室さんからどのように問き、どう受け止めていらっしゃるか。
眞子さまの最近のご様子とともに、お二人の結婚についてのお考えや今後の見通しは。

秋篠宮さま:
小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。
(記者の質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしよう。2、3か月に一度くらいでしようか、時々もらうことがあります。

これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は, 今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。
まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども、やはりその今お話ししたような、それ相応の対応というのは大事ですし、それから、これは、二人にも私は伝えましたが、やはり、今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。
そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、 私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません。
私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります。
娘の、長女の様子についてですが、(紀子さまをご覧になって)どうでしょうか。

 
 

秋篠宮妃 紀子さま:
私は後でお話ししても。今でよろしいでしょうか。

ーー眞子さまの御様子については。

秋篠宮さま:
私は、最近はそれほど、娘と話す機会がないので、よく分かりませんけれども、公の依頼されている仕事、それは極めて真面目に取り組み、一所懸命行っていると思います。
また平日は、博物館の方で仕事をしつつ、自分の関心、研究テーマを深めていっているのだろうと思っております。

ーー様々な報道に関して、小室さんからどのように聞いていらっしゃるか。

秋篠宮さま:
小室さんから、報道について、その報道についてうんぬんという、それ自体について、私は聞いておりません。
もちろん、ただその中に、今までにあった中で、これは事実とは違うことだ、ということについて説明があったということはあります。
ただそれについて、じゃあ何か行動を今するのかどうか、その様子については、連絡からうかがうことは、知ることは私はできておりません。

 
 

紀子さま:
今、宮様から質問に対して具体的に話をされているところもございますので、もしできましたら私は母親としてどのように受け止めたか、また、娘の様子、そして、どのように感じているかについてお話をしたいと思いますが、よろしいでしょうか。

昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話合いを重ねてきました。
そうした中で、咋年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。
そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。

しかしこのような中でも、長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました。
今年の7月には、公的な訪問、ブラジルへ行きました。それは、日本人のブラジル移住110周年の行事に出席するためでした。
私たち自身も、以前にブラジルへ仕事で行きましたが、その時よりも長い距離を移動し、大変な日程であったと思いますが、日本人の移住地でもある所も含めて14都市を回り、多くの人々と交流を深められました。
それからも、都内や地方での幾つもの行事に出席し、それを一つ一つ心を込めて大切に全力で務めてきたように私は思います。
私は、本当によく頑張っているなと長女のことを思っております。

長女は、美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。
小さい時から、このように一緒に芸術にふれたり、語り合ったりする時間を持ってきましたが、今以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています。

家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております。

 
 

秋篠宮さま:
今、妻が話しましたように、先ほどの私の抱負ではありませんけれども、本当に一つ一つ丁寧に仕事をしている印象は私もあります。

秋篠宮さま会見 後半【全文② 秋篠宮さま53歳のお誕生日 佳子さまのご結婚、悠仁さまの進学先について胸中を語られる】はここから

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