2022年で70周年を迎えたスギヨの「ビタミンちくわ」。大半が信州で消費される、長野県民おなじみの商品だ。

その「ビタちく」が、あの黒部ダムの建設でも重宝されていたことが判明。難工事を支えた幻のカレーに迫る。

親しまれて70年 今も7割は信州で消費

長野県民に知らない人はいない、いわゆるソウルフードであるスギヨの「ビタミンちくわ」。このビタミンちくわが2022年、発売から70周年を迎えた。

スギヨの「ビタミンちくわ」昭和27年発売
スギヨの「ビタミンちくわ」昭和27年発売
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客:
これ、よく買います

アナウンサー:
ちくわといったらビタミンちくわですか?

客:
そうですね

客:
懐かしい味があるの。お盆には天ぷらやりますよ

スーパーの西友では、通常の販売の他に甘辛いタレを絡めた「ビタミンちくわ」の弁当を販売。こちらも人気だ。

製造しているのは、石川県七尾市にあるスギヨの工場。発売された昭和27年はまだ栄養事情が悪く、魚のすり身にビタミンが豊富なアブラザメの油を配合したのが名前の由来だ。

製造工場の様子 魚のすり身にビタミンが豊富なアブラザメの油を配合
製造工場の様子 魚のすり身にビタミンが豊富なアブラザメの油を配合

新鮮な海産物が手に入りにくかった当時の信州で一躍、ヒット商品になった。今も7割は信州で消費されている。

スギヨ 広報 水越優美さん:
「長野のソウルフードだよ」「小さい時からこれで育ってきたよ」と聞くと、どれだけ長野県民の方々に食べられていたのかを改めて実感して、感謝の気持ちでいっぱいです

70周年にあわせスギヨは消費者から思い出を募集中。これまでに寄せられたエピソードのなんと8割は長野県民からだった。

45歳男性:
子どもの頃はおやつに1本、大人になったら3本です

65歳女性:
長野に嫁に来て45年。実家は千葉で長野に来てからビタミンちくわを食べるようになり、今では食卓に欠かせないもの

43歳女性:
お盆のお供えは、ビタミンちくわの天ぷらが定番

関係者が証言「週に1回、ビタちくカレーが出た」

県民の食卓を支えて70年。その節目に「ビタちく」が世紀の難工事も支えていたことがわかった。

黒部ダム
黒部ダム

高さ日本一の黒部ダム。困難を極めた建設工事は映画にもなった。その現場でビタミンちくわ入りのカレーが食べられていたことがわかったのだ。

関係者を取材し、幻の「ビタちくカレー」に迫った。

工事が始まったのは「ビタちく」発売の3年後、昭和31年。3000メートル級の山々に囲まれた黒部峡谷は水力発電の適地だったが、工事は困難を極める。軟弱な地盤と止まらない地下水が行く手を阻んだ「破砕帯」での掘削工事。事故で多くの犠牲者を出し、完成までには7年の歳月を要した。

アナウンサー:
世紀の難工事ともいわれたダム建設を成功させたのは、延べ1000万人の作業員たち。その作業員たちの胃袋を支えた食品こそが、スギヨの「ビタミンちくわ」だったのです

突き止めたのは、黒部ダムの観光部門を担当する柏原清さん。

くろよん観光事業部 柏原清さん:
大先輩に過去の話を聞く機会があり、何が楽しみだったかというと食事で、特に週1回出るカレーが楽しみだったと。「そういえば、カレーの中にちくわが入っていた」と、それがとても印象的で

その後、関係者の証言や食べられていた年代から、カレーに入っていたのは「ビタミンちくわ」に間違いないことがわかった。

スギヨ 広報 水越優美さん:
その話を社内でしても誰も知らなくて、私もびっくりした

世紀の難工事…仲間との食事は一番の楽しみ

当時の建設現場をよく知る人に話を聞くことができた。機械オペレーターとして働いていた、大町市の高橋秀夫さん(79)だ。

元作業員 高橋秀夫さん:
黒部のダムが「あれ、俺が造った」と言えるでしょ。なんとなく誇りがあります

ダムの現場で働き始めたのは18歳のころ。主に土台部分を担当し、流し込んだコンクリートを重機でならす作業をした。

提供画像
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元作業員 高橋秀夫さん:
機械に乗ったり整備したりすることが楽しみ。独身だったし、仕事に対する使命があった。始まったら没頭してやっている。明日どういう仕事をやるのだと、明日への思いでやっていた

使命感に燃えていた作業員たち。しかし、現場は過酷な環境だった。

提供画像
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元作業員 高橋秀夫さん:
標高の高いところで、山の中なので風雪がすごい。少し雨が降ったり風が吹いたりしたら、立っていられないくらいの気象環境がひどい場所で、風呂は少し離れたところにあった。ドアを開けて寮から出ていくときには、真冬です。突風がバッときて遭難しちゃうくらい

さらに難工事の連続。事故で多くの仲間を失った。高橋さん自身も…。

元作業員 高橋秀夫さん:
ダムにぶら下がって大けがしたり、ブルードーザーのまま200m上から下へ落ちたり、危機一髪(の事故)が10年の間にありました

そうした中、作業員たちを癒したのがカレーだった。

元作業員 高橋秀夫さん:
風呂に入ることと、食事は一番楽しみでした。食堂で仲間と一緒に食事をする。印象に残っていますね、楽しかったと。カレーは定番で結構、数多く出ていました。当時のカレーは濃い。カレーそのものが固め。お代わりして、力余っている人間ばかりだから、食事も人の2倍くらい食べてきた

ちくわが入っていたか、記憶がおぼろげだったというが…。

元作業員 高橋秀夫さん:
黒部ダムに関わった人がいたので電話で聞いてみたら「ちくわが入ってたよ」と。私は食べるのに精いっぱいで、具までは気にしなかった。私の実家では、ちくわが入ったカレーでした。当時は肉が手に入らなかった。そういえば、そうだなって

アナウンサー:
ちくわの食感は?

元作業員 高橋秀夫さん:
覚えていますよ。カレーは若い人はみんな好きだから、楽しくたくさん食べました。パワーになりました

作業員たちを支えた「ビタちくカレー」は、ちくわの穴がトンネル貫通を思い起こさせ、縁起が良かったという逸話もある。

トンネル貫通を思い起こさせ、縁起が良かったという逸話も
トンネル貫通を思い起こさせ、縁起が良かったという逸話も

幻の味を再現 郷土料理研究家が

「扇沢レストハウス」で10年間、腕を振るっていた郷土料理研究家の長嶌勇次さん。レストハウスの古いレシピを参考に、当時食べられていたであろう「ビタちくカレー」を再現してくれた。

郷土料理研究家 長嶌勇次さん:
ちょっと斜めに、輪切りでもいいですが斜めの方が

ニンジンやタマネギを炒めたら、すりおろしリンゴも入れてほんのり甘味をプラス。そこに主役のちくわを投入する。

郷土料理研究家 長嶌勇次さん:
豪快な、ちくわカレーできそうだね

最後に辛めのルーを入れる。

郷土料理研究家 長嶌勇次さん:
寒い場所で食べる食事は、少し辛みがあった方がいいという発想が生まれたのでは…なから(大体)いいかな

再現した「ビタミンちくわカレー」の完成だ。

アナウンサー:
では、ちくわの部分をいただきます。しっかりとしたちくわの弾力を感じるので、食べ応えが十分です。カレーのルーはピリッと辛め、ちくわとカレーってこんなに合うんですね

郷土料理研究家 長嶌勇次さん:
ちくわなら長期保存が効いて安いと。特に昔は、肉は高級品。ちくわは当たり前に食べられる食材だったので使われたと思う

あの味をもう一度…。元作業員の高橋さんにも食べてもらった。

(左から)スギヨ広報の水越優美さん、くろよん観光事業部の柏原清さん、元作業員の高橋秀夫さん
(左から)スギヨ広報の水越優美さん、くろよん観光事業部の柏原清さん、元作業員の高橋秀夫さん

元作業員 高橋秀夫さん:
いま食べてもおいしいね、肉とはまた違った味で

スギヨ 広報 水越優美さん:
当時もこの感じ?

元作業員 高橋秀夫さん:
こんな感じだね。今の方がおいしいですね、昔のより。歯ごたえがあって、ちくわという感覚がない。おいしくいただけます

くろよん観光事業部 柏原清さん:
ちくわから魚のだしが出ているのでは。普段食べる肉の普通のカレーと違う風味がして、歯ごたえがいい。2023年には黒部ダムが竣工60周年を迎えるので、このちくわのカレーを販売してみたい

スギヨ 広報 水越優美さん:
食べてみておいしかったので、石川県でも広めたい。ビタミンちくわという小さいものが、一部ではありますが、大きなダムの建設の完成までのパワーのもとになっていたと思うと、作っていて良かった

山国・信州で愛され70年。家庭の食卓だけでなく世紀の難工事も支えたビタミンちくわは、北陸と信州を結ぶ「懸け橋」ならぬ「トンネル」と言えそうだ。

(長野放送)