視聴率20%超えの人気番組『はねるのトびら』(フジテレビ系)でブレイクしたお笑いコンビ・キングコング。彼らはなぜ、テレビの世界を離れて、別々の道を歩んだのか。

4月30日放送の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)では、西野亮廣さんが行うビジネスや今だから語れるお互いへの本音などを告白した。

先を見越した戦略を盛り込んだ絵本

番組MCの坂上忍は西野さんの自宅を訪問。入るや否や、芸人の家とは思えないアンティーク感満載のオシャレすぎる玄関に驚く坂上。

30歳の時に購入したという自宅マンションのリビングは生活感がゼロ。床にはポップなアート作品が無造作に置かれ、壁にはあえて古びたインテリアを配置するなど、ハイセンスぶりを感じさせる空間になっていた。

絵本を描く際に使うアトリエには、西野さんが絵本のキャラクターを描いたりするアイデアが詰まったスケッチも。西野さんによると、絵本が生まれるまでに構想で1年ほど、1枚描くのに3週間ほど掛かるという。

そして、この部屋で生まれたのが西野さんの代表作「えんとつ町のプペル」。実は、この絵本には、西野さんの先々を見越したしたたかな戦略が隠されていた。

「絵本を絵本として終わらせてしまうとつながっていかない。例えばVR(バーチャル・リアリティ=仮想現実)。『えんとつ町のプペル』をVR化することを見越して、先に絵本を設計しなきゃいけない。そうすると、VR映えするために、どんな街にしたらいいかということを逆算すると、高さがある町の方が良い、となる。

VRでは“落ちるかも”みたいなこともポイントで、それで“えんとつ町”という設定にしようと。二次利用、三次利用しやすいように種を植えていくんです」

こう語った西野さんに「俺はあの絵本を読んだときにステキだなと思ったけど、そんなに金のニオイがしたのか…」と坂上がツッコむと、西野さんは「ファンタジーです!エンタメのニオイと言っていただきたい」とすかさず修正した。

さらにアトリエの壁には複雑なメモのようなものも発見。

このメモは、西野さんが手掛ける仕事のお金の流れと宣伝の流れを可視化したものだという。

「例えば、僕の絵本は分業制で作っているんです。生々しい話をすると一冊作るのに2千万くらい制作費がかかる。スタッフさんのギャランティーを印税では回収できない。そこで、絵本の製作費をオンラインサロンから持ってくる。月額のオンラインサロンの売り上げで絵本を作っていく。この絵本は何のために作っているのかというと、のちのち美術館をつくるためです」

西野さんの“美術館とつくる”という構想に驚く坂上だが、西野さんは地元・兵庫県に絵本の美術館をつくることを思い描いている。

メモにはさまざまな仕事が線と線で結ばれているが、「矢印がつながっていないのはあまりよくない。単体でやり過ぎているので。なので、矢印がつながっていない仕事から切っていく感じですね」と、“芸人・西野”とはかけ離れた会話に、思わず坂上は「俺、芸人に会いに来たんだよ…」とこぼした。

「オンラインサロン」の魅力とは

西野さんのビジネスの中心は「オンラインサロン」にある。

オンラインサロンは、芸能人や文化人などが運営するインターネット上のサークルのようなもので、会員同士で意見交換やイベントなどさまざまな活動を行う。西野さんが4年前に始めた「西野亮廣エンタメ研究所」は、数あるオンラインサロンの中で会員数1位と言われている。ちなみに会費は月額千円。

このオンラインサロンの会費を中心に、出版物の印税や年間約50回行う講演会の収入などを加えると、西野さん個人が稼ぎ出す金額は年間7億円にものぼるという。

一体、西野さんのオンラインはなぜ、国内最大級なのか。

2月28日、兵庫県のとある駐車場で西野さんは、今年映画化を予定している「えんとつ町のプペル」の主題歌のミュージックビデオを相方の梶原雄太さんと撮影していた。

この撮影で集まったスタッフたちは、オンラインサロンのメンバー。

現在、ビジネスのほぼすべての業務をオンラインサロンのメンバーに依頼しているという西野さん。仕事の内容と報酬を提示すれば、5万人の会員の中から希望者が集まるようになっているという。

このメリットを西野さんは「要はオンライン内に外注しているということになりますが、外注の一番のリスクは意見や方向性のすり合わせからしなければならない。けれど、サロンの中に投げると、(すでに意思統一ができているため)すり合わせがいらない。せーのでドンと始められる」と明かした。

3月8日にもオンラインサロンの活動に密着。この日は、オンラインサロンの会員を相手に、無料でビジネスコンサルティングを行っていた。夜には、自身がオープンしたスナックへ。このようにサロン会員が交流できる店が全国に40か所あるという。

このように国内最大規模のサロン会員を抱えることは交流の場が広がるというメリットにもなるが、さらにもう一つ、5万人を引き付ける理由があった。

それは、西野さんが行う「支援」。

西野さんはサロンメンバーの中で“夢を見させてくれるような人”の支援を行っているという。「例えば、(えんとつ町のプペルが)ブロードウェイでミュージカルをやって、それがサロンのメンバー。元劇団四季の方でニューヨークに渡って、仲間を集めていいチームを作って。これがうまくいくと“俺もニューヨークに行けるかも”と思う人が出てくる。僕はこのプロジェクトはうまくいった方がいいなと思ったので、毎月活動資金と生活資金をサロンの売り上げで支援している」と話した。

自身が手にしたお金の9割は支援や投資に使い、これまでもラオスの貧しい子どもたちのために小学校建設に出資したり、支援だけでなくパリのエッフェル塔で絵本の個展を開催するなど、さまざまな活動にお金を使ってきた。

最終目標は「町」づくり

こうした活動を行う西野さんの最終目標は「町」を作ることだという。

地元・兵庫県に貯金を全額つぎ込み土地を購入。「土地を買ったときに会社が1回つぶれかけたんです」と笑っていたが、美術館を中心とした「町」を作るのが西野さんの目標。

しかも、「テーマパークというよりは本当に人が暮らしている“町”」をつくりたいと構想を練っているという。

さらに、別の日には都内の劇場へ。西野さんは会社の活動報告会を行っていた。

2017年にオンラインサロンを運営する株式会社NISHINOを設立。この日は、サロン会員に1年の活動報告をする日だった。

イベントを仕切るのは会社に入社したばかりの新入社員。西野さんは「新入社員の子の勉強です。イベントを作るのはこれだけ大変だと知ってもらうために、資金繰り、集客、告知、内容も全部彼らに任せます」と話した。

この活動報告会は新型コロナウイルスの影響で急遽、ネット配信で行うことに。西野さんはこのことを逆手に取り、生配信を見るためのチケットを有料で発行するなど、売り上げをアップさせた。

しかしここで坂上に疑問が生まれる。坂上が「吉本興業に所属しているんだよね?」と尋ねると西野さんは頷きつつ、「吉本は(所属しながら会社作ることを)許してくれているんです。むちゃくちゃいい会社ですよ。こんなことを言う吉本芸人は僕だけかもしれないですけど。社長の謝罪が下手っていうくらいですかね」と笑った。

なぜ、テレビから離れたのか?絶頂期に西野さんに異変が…

キングコングは1999年にコンビを結成。本格的なテレビデビューを飾ったのは2001年放送開始の『はねるのトびら』だった。

関西から出てきたばかりの2人は当時まだ20代だったが、その存在は瞬く間に大きくなり、テレビ番組出演をきっかけに人気は急上昇。雑誌「JUNON」にもたびたび取り上げられるなど、アイドル的人気を博した。

4年後には『はねるのトびら』がゴールデンタイムに進出。視聴率は20%を超えることもあり、まさに絶好調だった。

しかしそんな中、西野さんにある異変が起きていたと相方の梶原さんは語る。

「ゴールデンに上がったときに僕らはまだ24、5歳。その半年後くらいから、西野は絵本を描き出したんです。僕は横で見てて『あれ?』と思いました。ちょっとザワッとしたんです。『何か未来あるの?』みたいなことも思ったり、『そんなんせんでええやん』とも思ったんです」

西野さんは「はねトび」がゴールデンに進出した25歳で早くも絵本の執筆をスタートしていた。その裏には、西野さんが感じた初めての挫折があったという。

「20歳で番組がスタートして、25歳でゴールデンに上がって、全国ネットになって。生活も良くなったし、ちやほやされるようになったんですけど、スターにはなっていない。何となく知られている認知タレントにはなったと自覚していたんですが、その山を登ってみたら結局、そこから見えた景色はタモリさんとかさんまさんとかたけしさんの背中で、そういった先輩を追い抜いていないし、追い抜ける気配もないと思って。これだけみこしに担がれて、下駄を履かせてもらって、追い風吹いているのに、ここで頭打ちしているのかと思ったら、もう終わったと思った」

自分の可能性に限界を感じた西野さんはある日、梶原さんとマネージャーを呼び出し、「このまま続けてもスターになれる気がしない」と突然、テレビからの引退を宣言したという。

そして絵本の執筆を始めるが、その裏には「タモリさん」の存在も大きかった。

「世界を巻き込んでもっと面白いことをしたいと思っていた時に、タモリさんに呼ばれて、2人で飲んでいたら『お前、絵を描け』みたいなことを言われて。(僕が絵がうまいかどうか知っていたか)怪しいところですけど、特に別にやることもないし、そこで絵本作家になろうと決めた」

こうして絵本を描き始めた西野さんは、28歳で初めての作品「Dr.インクの星空キネマ」を出版し、36歳で「えんとつ町のプペル」を発表。絵本としては異例の44万部を売り上げた。

間近で見ていた梶原さんは「年月が流れると番組も終わり、自分に向いている番組もない。横を見ると絵本で成功している相方がいる。ゾッとしますよね。“あんなときに準備してたんや”って思って。俺、何をしていたんやろ…ってなったんです」と振り返る。

そんな梶原さんも西野さんの後を追うように、YouTubeチャンネル「カジサックの部屋」を2018年に開設。現在のチャンネル登録者数は190万人を超え、今や収入1億円ともいわれる人気YouTuberになった。

YouTuber・カジサックの舞台裏

そこで、新しい世界に踏み出したカジサックの舞台裏にも密着。

大阪のホテルの一室で行われた撮影では、カジサック自らがカメラの向きや映り方を調整し、撮影を始める。すると、カメラに向かってどのように編集してほしいか、編集方針を指示していく。

そして、キャスティングも自ら行っているカジサック。この日のゲストは2019年のM-1王者のミルクボーイ。カジサックは「劇場で会ったときに、時間が空いたときに出演してくれないかと交渉をしました」と明かす。

さらにギャラについては「会社と少し話をして、テレビに近かったり、人によってはテレビ以上かもしれないです。そうしてください、と会社に伝えています」と話した。

カジサックの活動はチームが支えていて、週1回のペースで企画会議を行っている。テレビ番組などと同じように、プロデューサーや構成作家が参加し、毎週ネタ決めをしているという。

スタッフの1人は「テレビと違うのは編集マンが全国、世界中にいます。フランスとか佐賀とか」と明かした。

YouTuberとして人気を集めるカジサックは「YouTubeを始めてから1日も休んでないです。でも、今が一番楽しい。この世界に入ってダントツで楽しいです。やっと好きなことをできているから」と笑顔を見せた。

そこで坂上が「噂で聞いたんだけど、宮迫(博之)君のYouTubeを手伝ったの?」と聞くと、「1回恩があるんです。自分が80万人を突破したときに記念で関係性全然ないのに出てくださったご恩がある。人を介して連絡をもらったので、一度食事に行かせてもらった。その頃には宮迫さんはYouTubeをやろうと決めていて、『ほんまに何も知らんから、どうやったん?』と聞かれてすべて答えました」と明かした。

これからの2人の夢は

絵本作家とYouTuber、全く違う道を歩む2人だが、実はデビュー以来20年、テレビを離れても劇場での漫才はずっと続けてきた。

お互い多忙なはずのため、ネタ合わせの時間はあるのか尋ねると梶原さんは「最近はやっていないですね。ネタは西野の気分なんです。2人で舞台に出て、西野の前フリでネタを合わせていく感じ」と告白。

2人は舞台に出るまでネタの打ち合わせを一切しておらず、梶原さんは舞台上で西野さんの第一声を聞いてどのネタを披露するのか判断しているのだという。

まさに以心伝心だが、そんな2人が思う将来の夢はあるのだろうか。

坂上が梶原さんに聞くと「僕はもう一度、2人で冠番組を持つことです」と明かし、それを西野さんに教えると、西野さんは「梶原とだったらやりますね。梶原以外とはやらない。梶原と何かやるんだったらぜひ。梶原と遊んでいるときがやっぱり一番楽しいんで」と語った。
 

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)