元プロ野球選手の新庄剛志さんが引退から13年経った2019年11月、プロ野球復帰へのトライアウトに挑戦すると宣言。

4月16日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、4ヵ月にわたり、新庄さんに密着。そして、番組MCの坂上忍が新庄さんが住むインドネシア・バリ島へと向かい、驚きの“極貧”生活や超ストイックなトレーニングに密着。そして、恩師・野村克也元監督との知られざるエピソードについても聞いた。

バリ島の新庄剛志の自宅
バリ島の新庄剛志の自宅
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“宇宙人”が知将に偉そうなお願い

これまでの生活スタイルを変えて、プロ野球復帰に懸けている新庄さん。そんな本気の彼に対して「代表的なアホや。年には勝てないよ、無理だ」と苦言を呈したのが、今年2月に亡くなったプロ野球界のレジェンド・野村克也元監督。

頭脳派と感覚派という、一見正反対に見える2人だが、実は現役時代から強い絆で結ばれていた。

自身が開設したYouTubeで亡くなった野村元監督について「人と喋らない、ムスッとした感じの人かなと思ったんだけど、直接目を見てはっきり思ったことを言えば、すごい応えてくれる素晴らしい監督だった。プロ野球のお父さんみたいな感じ」とコメントしている。

“ノムさん”の愛称で知られた野村元監督は、通算24年間でプロ4球団の監督を歴任。当時弱小チームだったヤクルトを「ID野球」で4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた、野球界を代表する知将だ。

そんな野村元監督と新庄さんは1999年と2000年の2シーズンの間、阪神タイガースの監督と選手という関係だった。

徹底して頭を使う「ID野球」は、データを分析して戦略を立てるため、ミーティングは時に2時間を超えたという。一方、この時の新庄さんはまだまだ一流とはいえない、数いる若手選手の一人。

しかし、野村元監督のミーティングが長いという噂を聞いていた新庄さんは、キャンプの初日にたった一人で監督室を訪ね、野村元監督に対し、「ミーティングの時間を人の集中力が持つ45分か50分にしてほしい」と言い放つ。

茶髪にして赤いリストバンドをするなど、当時のプロ野球選手ではありえなかった独自のファッションとスタイルを貫く新庄さんは、野村元監督か見ればまさに“宇宙人”だった。

突然の訪問に困惑しながらも、野村元監督は新庄さんの意見を聞き入れたという。実は、この時すでに野村元監督は新庄さんの実力を高く評価していた。当時のインタビューで野村元監督は「歴代の監督さんがまずやっぱり新庄に注目するじゃない。そりゃ誰だって注目するわ、すごいもん」と話している。

野村元監督は天才です

そんな2人がプロ野球界の歴史に残る衝撃シーンを作り出す。

1999年6月12日の阪神対巨人戦で、新庄さんが投手が敬遠のために投げたボール球を打ち、サヨナラ勝利するという今も語り継がれる伝説のプレーが生まれたのだ。

このきっかけとなったのが、3日前の広島カープ戦。チャンスの場面で敬遠された新庄さんは、この時に「打てるな」と直感したという。それ以来、いつかは来るであろう敬遠の場面に備えて、密かに練習をしていた。

そしてその光景を見ていたのが野村元監督だった。

すると、練習の成果を出すチャンスはすぐに巨人戦で訪れた。理論とデータを重んじる野村元監督は、普段なら敬遠の球を打つなどという無謀な挑戦に許可は出すわけがない。しかしこの時、打席に入る直前にベンチに「打ちたい」という視線を送った新庄さんに対し、野村元監督がOKを出したというのだ。

こうして球史に残る“敬遠球のサヨナラヒット”が生まれた。新庄さんの独断だと思われていたが、実は野村元監督が新庄さんを信じて打たせた結果だった。

さらに、新庄さんが日本人野手初のメジャーリーガーになれたのも、野村元監督のおかげだったという。

新庄さんは「(野村元監督は)天才ですね。食事のときもずーっと見てますから選手のことを。性格によってアドバイスを変えてますから」と明かす。

例えば、新庄さんはチャンスでは勝負強いバッティングをするが、やる気にムラがあり、打撃成績が安定しなかった。

そんな新庄さんを見かねた野村元監督が「お前に何番を打たせたらランナーいなくてもやる気出すんや?」と尋ねると、新庄さんは「そりゃ4番、一番目立つじゃないですか!」と応えたという。

それから野村監督は本当に新庄さんを4番に抜擢。しかしバッティング指導では、「来たボールに集中してしっかり芯に当てなさい。それだけでいい、あとは好きなようにカッコつけていいぞ」というアドバイスを送っただけだったという。

新庄さんは「お前は目立ちたがり屋でカッコつけだから、とにかくコーチの言うことは聞かなくていい。お前なりのスタイルで、来たボールを強く芯で叩け、それだけでいい」と言われたと振り返る。

性格を踏まえた上でのシンプルな教えを守った新庄さんは、打席で集中力をアップさせ、打撃成績が一気に向上。打率、ホームラン、打点ともに当時の自己最高をマークした。

すると、シーズンオフに行われた2000年の日米野球の日本代表に選出され、メジャーリーガーを相手にヒットを量産。この活躍もあり、夢だったメジャーからのオファーを受ける。

そして誰にも相談することなく独断でメジャー行きを決める。新庄さんは、次のシーズンも阪神の4番打者としての活躍を期待してくれていた野村元監督にメジャー行きを伝えるのは心苦しかったというが、電話で決断を伝えたという。

しかし、野村監督は「メジャーに行けるまでに誰が育てたんや」と憎まれ口をたたきながらも、「寂しいけどアメリカに行って挑戦して来い。お前はアメリカ向きかもしれんな」と背中を押してくれた。

こうしてイチローと共に日本人野手初のメジャーリーガーというプロ野球史に残る偉業を成し遂げた。

パ・リーグを盛り上げるための2人の作戦

その後、日本球界に復帰した新庄さんは、パ・リーグで野村元監督と敵同士で相まみえることに。

当時のパ・リーグはセ・リーグに比べて人気の差は歴然だったため、パ・リーグを盛り上げるべく、新庄さんが野村元監督にある作戦を提案したという。

「僕が日ハムに入って、野村さんが楽天の監督。パ・リーグを盛り上げたかったから『監督、このままじゃ盛り上がりません。野村監督対新庄の悪口の言い合いからスタートして、パ・リーグを盛り上げましょう』って言ったんです。『だから、僕のことをめちゃくちゃ言ってください。僕も“ぶたタヌキ”とか言いますから』って言ったら、『それで盛り上がるならいいよ』って言われて」

このエピソードに坂上も驚き、「水面下でそういうやりとりがあったんですね、盛り上げるために、すごいなぁ」とこぼした。

さらに、パ・リーグの球場に観客を集めて満員にするために誰よりもパフォーマンスに力を注いだ新庄さん。時にはバイクで登場したり、特殊マスクをかぶった姿で笑わせたり、あの手この手で盛り上げようとした。

中でも記憶に残るのが高さ50メートルの札幌ドームの天井から登場したパフォーマンス。

その舞台裏を新庄さんは「ワイヤーで降りてみようという話になり、リハーサルなしで本番で。タバコくらいの細いワイヤーで、怖いから目を瞑ってサングラスしたんです。かまぼこ板みたいなのにスパイクで立って『う~、怖い!』」と恐怖におびえていたといい、坂上が「なぜそこまで命かけなきゃいけないんですか?」と問うと、すかさず「ファンのためです」と断言した。

新庄さんのパフォーマンスの甲斐もあり、いつしか球場は満員となり、チームが日本一を達成した2006年、34歳で現役を引退した。

息子の次にかわいかったと思う!

それから月日が流れ、今年2月に野村監督がこの世を去った。野球界の父と慕っていた新庄さんは、最期に立ち会うことはできず、訃報をバリ島で知ることとなる。

野村元監督は晩年の2018年に出した著書で、新庄さんについてこう書いている。

いったい今、どこで何をやっているのか。少し前はバリ島に住み、絵画を描いて暮らしていると聞いたが、収入源は大丈夫なのか?お前の絵を買ってくれる人がいるのか?

お前は本当に、『天才バカボン』だった。 「天才となんとかは、紙一重」というヤツだ。

阪神時代は表立ってやらなかったファンサービスを、日本ハムに移籍後、率先して行ったのはよかったし、えらいなと思う。

お前は素質も抜群だし、スターの雰囲気を持っている。もっとアタマを使う習慣があったら、長嶋茂雄どころではない、長嶋をも超える、最強の選手になっていたかもしれない。

引退の挨拶に来たとき、俺が言った言葉を覚えているだろうか。
   
 『お前から野球を取ったら、何が残る?』

「野村克也からの手紙 ~野球と人生がわかる二十一通~」(ベースボール・マガジン社 )

この最後の言葉に導かれるように、新庄さんは昨年、プロ野球復帰宣言をすることとなる。

また、野村元監督からこの宣言に対し、「代表的なアホや。年には勝てないよ、無理だ」と言われていた新庄さんは、自身のYouTubeでこう語っている。

「年には勝てない。プロ野球(選手)にはなれない。という野村さんのコメントを聞いた時に、それは多分わざと俺にもう一回プロ野球(選手)になってみろ。『なったら大したもんやぞ』っていうような気持ちのコメントをしてくれてんだなって俺の勝手な判断でね。どこまですごい人なんだろうな」

辛辣な言葉は新庄さんをやる気にさせるためのもので、野村流の“愛情表現”だったのかもしれない。

坂上がバリ島で新庄さんを取材して時をおかずに、野村元監督は亡くなってしまう。そこで新庄さんがスタジオと中継をつなぎ、恩師への思いをテレビで初めて語ってくれた。

自身のInstagramにあげられたファンからのコメントで野村元監督の訃報を知ったという新庄さんは、「悲しさはなかったです。野村さんと最後に会ったときに、『俺が死ぬときは笑って見送ってくれよ、笑顔でね』と言われた」と明かす。

また、野村さんから言われた印象に残る言葉については「お前はかわいい」という言葉だといい、「たぶん、(息子の)克則くんの次にかわいかったと思うんです。それくらい、めちゃくちゃかわいがってもらいました。野球の指導はほとんどなかったです」と笑った。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

直撃!シンソウ坂上
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