「自己責任論」でバッシングや誹謗中傷を
16年前のきょう、戦時下のイラクで3人の日本人が武装勢力によって誘拐された。いわゆるイラク邦人人質事件だ。犯行グループは3人の人質解放の条件として、イラクに駐留していた自衛隊の撤退を要求。
小泉純一郎首相(当時)はこれを拒否したが、その後3人は無事解放された。
しかし日本国内では、人質となった3人の行為は危険を承知で入国したと批判する「自己責任論」が広がり、彼らは帰国後もバッシングや誹謗中傷を受け続けた。
それから16年がたち、人質となった3人のうちの1人、事件当時高校を卒業したばかりだった今井紀明さん(34)はいま、引きこもりや不登校に悩む高校生たちを支援する認定NPO法人D×P(以下ディーピー)を大阪で運営している。
2004年からいまに至るまでを今井さんに聞いた。
この記事の画像(8枚)帰国後パニック障害になり引きこもった
今井さんは事件当時のことをこう語った。
「僕はあの時、高校を卒業したばかりで、その年の9月からイギリスの大学に入学する予定でした。帰国後、事件の衝撃が大きくてパニック障害になり、PTSDが辛くて引きこもりになりました。しかし高校の元担任の先生が『このままだとこいつはニートになる』と思って、立命館アジア太平洋大学を紹介してくれて、大学に行くことで何とか復活できたという感じです」
バッシングの嵐が吹き荒れる中、アメリカのコリン・パウエル国務長官(当時)は、「彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と語り、今井さんらへのバッシングは徐々に収まった。
今井さんにその時のことを伺うと、「そうですね。ほんと懐かしいですよね」と言いながら、イラクで一緒に人質になった高遠菜穂子さんに去年、15年ぶりに再会したと語り始めた。
去年イラクで高遠さんと15年ぶりに再会
「高遠さんはいまイラクで生活しています。ドホークというイラク北部の地域にいて、難民キャンプや少年院で子どもの支援をやっています。去年僕はイラクに行って15年ぶりに高遠さんと会いました。いまのイラクの子どもたちの現状をちゃんと見たいなと思って、高遠さんと現場を回ったのですが、高遠さんは本当にすごいと思います」
高遠さんは解放後「今後もイラクで活動を続ける」と語り、バッシングの集中砲火を浴びたことがあった。今井さんは続けた。
「僕も子どもに関わっていますけど、高遠さんはあれだけの経験をした後もずっとイラクにいます。なかなかできないですよね。自分の軸があるし、本当に尊敬しています」
引きこもり時代の自分と重なった
今井さんの引きこもり生活は大学でも続いたが、徐々に授業にも出始めて無事卒業すると、JICAの青年海外協力隊としてアフリカのザンビアに赴いた。ザンビアでは学校の英語教師として3ヶ月ほど働き、帰国後は大阪の商社で働きながら学校現場を回って子どもたちの様子を見に行った。
その理由を今井さんはこう語る。
「当時ザンビアは途上国でしたが、子どもたちが国の将来や自分のやりたいことをよく語っていました。一方日本の学校現場で子どもたちを見ていると、孤立しがちで、家族関係も難しく、経済的に厳しい状況にいるのをよく見たり聞いたりして。引きこもり時代の自分と重なって、何とかしなければと思い始めました」
生きづらさを抱えた子どもにつながりの場を
そんな時今井さんは、ある通信制高校の先生から「自分たちはとても頑張っているのに、ニートを生み出しているだけかもしれない。今井さんや外部の人たちが関わることは出来ませんか」と相談を受けた。
そこで商社を辞め2012年に立ち上げたのが、ディーピーだ。
D×Pは、「Dream」×「Possibility」。ディーピーが目指すのは、通信制や定時制高校などで生きづらさを抱えた子どもに、生きていけると思える「つながりの場」を提供することだ。通信制高校では卒業生の37%が、定時制高校では14%が進学も就職もせず卒業しているという。一方、全日制の高校では4.5%程度だ。
「困難を抱えている子ほど孤立しがちです。ひとり親家庭であったり、学校の先生に頼ることができないなど、周りにサポートしてくれる人がいないと、どんどん孤立していくんですよね。しかもその理由がいじめだったりすると友達にも頼れなくなる。そこから自力で社会に復帰していくのは、10代では難しいですよね」(今井さん)
不登校や高校中退の子どもの進路相談
D×Pディーピーがつくるつながりの場は、学校現場とオンライン上にある。いま約400人がボランティアに登録していて、8割程度が社会人で30代が多い。学校では子どもとの関わり合いから始まって、卒業後の進路や就職に関するサポートまで行う。
またLINEを使ったオンライン相談も行っており、登録者は全国で800人を超えている。不登校や高校中退の子どもたちの就職や進学相談がメインだが、いじめの相談もあると今井さんは語る。
「相談で多いのは進路、次は退学や停学、そして家庭・親の相談ですね。親との関係性や虐待、経済困窮の相談もあります。実は相談にいくまではハードルが高くて、まず雑談から入らないといけないんです。雑談して悩みを聞いていたら相談される立場になることがよくあって。オンライン通話面談もやりますが、顔を映さずに相談するのは結構ありますね」
コロナの影響もあり相談者は10倍に
新型コロナウイルスの影響で、いまLINEの相談が増えていると言う。現在の相談者数は去年の10倍近くなっている。
今井さんは、「ここぞとばかりに不登校になっている高校生たちに、在宅ワークとは何かと説き、アルバイトや仕事を勧めている」と言う。
「去年ですが、一年間引きこもりでオンライン相談をしていた子が、在宅ワークを始めて、いま外資系の会社で契約社員として働いています。ほかにもゲームライターという職業をやっている子もいます。引きこもって話せなかったりする子も、力を発揮して社会的に活躍することが結構あります」
さらに生きづらさを感じる子どもと
相談者の高校生の多くは、飲食店でアルバイトをしている。いまコロナウイルスの影響でアルバイトが減らされているため、生活困窮家庭ほど厳しい状況だ。
「アルバイトをしている高校生で、在宅ワークを知らない子は多いです。ですからスマホだけでもできる在宅ワークを紹介するようにしています。PCがあるとさらに幅が広がりますが、日本は困窮・中流を問わず、10代のPC保有率が諸外国に比べて極端に低いのがここになって問題として現れていますね」
今井さんが今年大阪市内に開設した、子どもが気軽に立ち寄れる「D×P図書館」は、コロナウイルスの影響もあり今月末まで一時休館することになった。再開については、今後の情勢を鑑みて検討するということだ。
しかしこうした状況だからこそ、今井さんの活動は生きづらさを感じる子どもから必要とされている。コロナウイルスの影響が子どもに重く圧し掛かる中、これを次へのステップに変えようとするのが、今井さんの子どもとの向き合いかたなのだ。
【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】