学校も変革を求められている

昨年末、政府は教育用ICT環境の整備拡充などを盛り込んだ総額26兆円にも上る総合経済対策を閣議決定した。中でも、小・中学校での大規模なパソコン導入が注目されている。2019年度の補正予算と2020年度の当初予算の合計で2,000億円を上回る予算措置となるとの報道もある。2023年度までに一人一台環境となることを目指すという。国際的にみても、日本の学校教育におけるパソコンの普及率は低く、それゆえ学校や課外活動でICT機器を用いた教育活動は展開しづらい。授業や学級運営に新しい技術を取り入れることや、教職員の業務効率化に熱心な自治体や学校ほどパソコン普及率の低さにフラストレーションを感じていたと思われるので、私の周辺の教育関係者にこの経済対策を歓迎する向きは多い。

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昨年末に発出された文科大臣のメッセージが述べる通り、「PC 端末は鉛筆やノートと並ぶマストアイテムです。今や、仕事でも家庭でも、社会のあらゆる場所で ICT の活用が日常のものとなってい」るのだから、学校も変わらなければならない。学校だけがいつまでも鉛筆やノート、黒板にチョークでよいはずがない。一方、開発経済学の分野では、学校へのパソコン導入が子供たちの学力にどのような影響を与えたのかということについて、相当の研究が蓄積されてきている。今回は、一連の研究を紹介しながら、日本の政策への含意について考えてみよう。

小中学校でのパソコン導入が学力に与える効果は大

第一に、最近、小中学校でのパソコン導入が学力に与える効果が大きいことを示した研究が発表されている。代表的なものの一つは、まさに昨年、経済学のトップジャーナルであるアメリカン・エコノミック・レビューに掲載されたカリフォルニア大学サンディエゴ校のムラリダラン教授らによる研究である(*1)。この研究は、インドのデリで行われた実験で、生徒一人に付き一台のパソコンに、企業が開発した「マインドスパーク」(Mindspark)というアダプティブ・ラーニングを組み込んだ教育用ソフトウェアをインストールし、週に6日45分ほど用いた場合の学力への効果を測定したものである。619人の小5から中3の生徒は、くじでランダムに2つのグループに分けられた。

マインドスパークを受けた生徒群と受けなかった生徒群の学力の伸びを表示 もともとの学力水準によらず受けた生徒たちは学力が上昇
マインドスパークを受けた生徒群と受けなかった生徒群の学力の伸びを表示 もともとの学力水準によらず受けた生徒たちは学力が上昇

1つは、放課後に塾で45分の講義と45分のマインドスパークを用いて勉強するグループ。もう1つは、同じ塾で90分の講義のみで勉強するグループである。このように、対象者をある介入を受けるグループと受けないグループにランダムに分けて、政策介入の効果を測定する方法を「ランダム化比較試験」という。2019年にノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大のアビジット・バナジー教授らの研究で耳にした人も多いだろう。

この研究の結果、およそ3か月(90日間)で、マインドスパークを用いた生徒たちは、用いなかった生徒と比較して、算数の成績が0.60 S.D.、国語の成績が0.39 S.D.も高かった。0.60とか0.39とかいう数字を、私たちに馴染みのある(平均50で分散が10の)偏差値で表すと、算数が6、国語が4程度上昇したことになるから、どれほど大きな効果かということは一目瞭然だろう。

「正しい習熟度に合った指導」が学力を改善させる

では、なぜマインドスパークの利用は子供たちの学力を大きく改善させたのだろうか。その理由は、「正しい習熟度に合った指導」(Teaching at the Right Level:TaRL)が実現したからであると考えられている。実験が行われた地域は経済的に困難な家庭出身の子供も多く、自分の属している学年にふさわしい内容を十分に身に着けることができていない生徒も多くいた。事前に行われたテストでは、小6の生徒らは小4程度の内容しか身につけられていなかった生徒もいるし、中3の生徒に至っては小6程度の内容しか身につけられていない生徒もいた。このように同じ学年にもかからわず、習熟のレベルが区々な中では、教員が行う一斉授業の効果は低くなってしまう。だから、生徒一人一人の習熟に合わせた指導ができるマインドスパークの効果が高かったというわけである。

さすがに、日本では、インドほど極端な習熟差が生じているとは考えにくいが、筆者が様々な自治体や学校の学力テストの分析を担当した経験から言えば、山が二つあるような学力分布にはかなり頻繁に遭遇した。つまり、日本でも、同じ学年や学級に比較的学力の高い生徒と低い生徒が二極化している。このため、生徒の習熟度に個人差があるという問題は、決して開発途上国に限った問題でない。

「習熟度に合った指導」(TaRL)の効果は、2019年にノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大のアビジット・バナジー教授やエスター・デュフロ教授を中心に、既に相当の研究蓄積があり、いずれの研究でも比較的大きな効果がみられていると言ってよい。彼らは、習熟度別学級を実施したり、補助教員に学力の低い子供の指導に集中させたりすることで、「習熟度に合った指導」(TaRL)を実現してきた。しかし、一人一台のパソコンにアダプティブな教育ソフトウェアをインストールすれば、「習熟度に合った指導」(TaRL)をもっと容易に実現できる。しかも、教員の追加的な負担をほとんど強いることなく、スケールアップするのに適している。ムラリダラン教授らの研究でも、マインドスパークを利用した子供は、もともとの学力層によらず、学力を上げることができており、中でも特にもともと学力が低かった子供に大きな伸びが見られた。

一人一台のパソコン導入は「学力向上には効果はない」

第二に、一人一台のパソコン政策に期待された効果がなかったことを示した研究もある。これは、ペルー、コロンビア、ルーマニアなどの国々で、それぞれ一人一台パソコンが導入されたことの効果を検証した複数の、そしていずれもトップジャーナルに掲載された論文である(*2)(*3)(*4)(*5)。そして残念なことに、いずれも学力向上には効果はないという結論になっている。特に、ペルーでは、「一人一台のラップトップ」(One Laptop per Child)という大規模な予算措置を要した政策が行われ、小学生に対して家庭用・学校用のパソコンが支給されたが、短期でも長期でも学力を向上させる効果は検出されなかった。

一連の研究の含意は、一人一台パソコン政策がうまくいくかどうかは、支給されたパソコンが「生徒の学びの中身を変える力を持つか」どうかが重要―もっと言えば、パソコンの導入によってきちんと「習熟度に合った指導」(TaRL)が実現できているかどうかが重要であるということだ。ムラリダラン教授の論文中の言葉を借りれば、「パソコン導入によって、教員一人当たりの生産性を上げられるかどうか」が肝なのである。学力向上に効果がなかった政策は、学びの内容を変えることよりも、一人一台が達成されたかどうかという手段が目標と化してしまい、「習熟度に合った指導」(TaRL)が実現できているかどうかには注意が払われなかった。当然、教員一人あたりの生産性が上がることもなかった。それどころか、ラップトップがなかった時には定着していた生徒の自習時間を奪う結果になってしまっていた。

「習熟度に合った指導」で学習意欲や自己肯定感も改善

第三に、私が共同研究者とともに取り組んでいる研究についても紹介したい。これは、ワンダーラボという民間企業と、JICA、およびカンボジア教育省の協力を得て、カンボジアのプノンペン周辺の公立小学校で行っているランダム化比較試験である(*6)。カンボジアは、児童数の増加にもかかわらず、教員数が不足しており、質の高い公教育の提供に困難を抱えている。特に地方では、教員の資格を持たないものが片手間で教鞭を取ったり、意欲の低い教員の欠席が常態化したりしている。ワンダーラボは、幼少期の子供たちの教育、特にSTEAM系の教材の開発を得意とする。彼らが開発し、国内外で既に120万人ものユーザーを獲得し、実績のあるThink!Think!(シンクシンク)という知育アプリが、学力テストやIQ、学習意欲、自己肯定感などに与える影響を計測することが私たちの研究の目的である。

知育アプリ「Think! Think!」HPより
知育アプリ「Think! Think!」HPより

この研究では、まず最初にムラリダラン教授らの研究と同様に、3~4か月の短期の効果を見ることから始めた。当然、Think!Think!は子供の習熟度に合わせた問題の提供ができ、「習熟度に合った指導」(TaRL)が達成できる。5校の小1から小4の1,600人の生徒をクラスごとにランダムに半分にわけ、週5回の算数の授業内で20分程度、一人一台のタブレットにインストールされたThink!Think!を利用するグループと、通常の算数の授業を受けるグループに分けて比較した。この結果、Think!Think!を利用したグループは利用しなかったグループと比較して、算数の偏差値は6~7も高く、IQも高かった。残念ながら、3~4か月の短い期間では、学習意欲、自己肯定感はほとんど改善しなかった。しかし、私たちはその後も追加で8か月間実験を継続し、学習意欲や自己肯定感に変化がみられるかを検証した。そうすると、学習意欲、自己肯定感にもはっきりとした改善がみられ、IQも更に上昇することがわかった。

実は、こうした大きな効果がみられたことはあまり驚きに値しない。こうした介入の初期には、政府や開発援助機関の支援なども入りやすく、ワンダーラボのような企業や私たちのような研究者も何かとかかわっているから、大きな効果が観察されやすい。しかし、実際にこれをもっと広く普及させていくとなると、これと同じだけの大きな効果を期待することは難しくなる。今よりも学級規模が大きいとか、学校に十分な台数のパソコンがないとか、電力供給が不安定だとか、パソコンに全く馴染みのない生徒がいるとか、様々な問題や制約が出てくるだろう。このため、私たちの次の検証は、「無理のない普及」を目指した場合の効果はどうなるのかを明らかにするステージに向かう。

政策を始める前にデータを収集せよ

短期で規模の小さい実験を行い、その期間を延長してみて、次はもう少し規模を大きくして普及させてみて、その度にデータを取って効果を確認する。そのプロセスで取得したデータを丹念に分析し、効果があるかどうかというだけでなく、親の所得や性別、学年によって効果に差がないかどうかもチェックする。もしも、親の所得が高い生徒は学力が上がっているが、低い生徒は下がっているというようなことが生じていたら、介入によって学力格差を拡大させていることになる。だから、介入による「副作用」がないかどうかはきちんと確認しておかねばならない。そして、学校や保護者、教育省にも得られた結果を丁寧に説明しながら、実施上の困難を洗い出し、PDCAを回していく。迂遠なようだが、こういう「小さく初めて、大きく育てる」という方法を取れば、政策は失敗するリスクを確実に下げることができる。ここまで到達するのに、およそ1年半が経過している。逆に言えばまだ1年半なのである。

2000億円をかけてPC環境を整えても・・・
2000億円をかけてPC環境を整えても・・・

私が日本の政策を見ていて心配になるのは、2,000億円をかけて3万校に何百万台というパソコンを一気に導入しようとしていることにある。小規模な実験をしてお試しをすることなく、最初から超大規模な、失敗できない本番をやるというわけだ。そのうえ、その効果を検証をする準備もまったく行われていない。政策の効果検証は通常、「はじめ8割、あと2割」と言われるほど、政策が始まる前のデータ収集計画が重要なのに、である。ムラリダラン教授の研究や私たちの研究では、親の所得や性別、学年によって効果の差はみられていないが、一人一台パソコンの効果を検証した他の研究では、むしろ差があることが示されているものが多く、公教育の中での新しい政策がかえって格差を拡大することにつながらないかどうかは慎重な検討が必要となる。日本でも、生徒によって、あるいは教員や地域によって格差が生じないか。パソコンというハードウェアだけでなく、「習熟度に合った指導」(TaRL)が実現できるようなソフトウェアやアプリのための十分な予算はつくのか。心配は尽きない。たった1年半の辛抱がなかったことのツケを納税者である国民が支払わされることがないよう祈るほかない。

政治家は、一人一台政策の「目標」を言語化すべき

そして、最後に重要な点を指摘しておきたい。ここまで、一人一台パソコン政策が学力向上を目標にした政策の効果を検証した論文を紹介してきた。一方、日本の一人一台パソコン政策は学力テストやIQテストで計測することができるような狭義の学力を目標にしていないだろうということは想像がつく。おそらく、情報処理能力とかICT活用能力などが視野に入っているはずだ。しかし、これまで述べたように、生徒・児童に一人一台のパソコンを導入するという「手段」が目的化してしまった政策は、当初の目標を達成できていないという点には注意が必要だ。今回の政策の「目標」は何か。教室の中で何を達成し、どういった子供の能力を伸ばすことを目標に一人一台のパソコンを導入しようとしているのか。国民の負託を受け、この政策に多額の税金を投じることを決定した政治家こそが、それをしっかり言語化して国民に伝えるべきではないかと思う。

(*1)Muralidharan, K., Singh, A., & Ganimian, A. J. (2019). Disrupting education? Experimental evidence on technology-aided instruction in India. American Economic Review, 109(4), 1426-60.
(*2)Barrera-Osorio, F., & Linden, L. L. (2009). The use and misuse of computers in education: evidence from a randomized experiment in Colombia. The World Bank.
(*3)Malamud, O., & Pop-Eleches, C. (2011). Home computer use and the development of human capital. The Quarterly Journal of Economics, 126(2), 987-1027.

(*4)Cristia, J., Ibarrarán, P., Cueto, S., Santiago, A., & Severín, E. (2017). Technology and child development: Evidence from the one laptop per child program. American Economic Journal: Applied Economics, 9(3), 295-320.
(*5)Beuermann, D. W., Cristia, J., Cueto, S., Malamud, O., & Cruz-Aguayo, Y. (2015). One laptop per child at home: Short-term impacts from a randomized experiment in Peru. American Economic Journal: Applied Economics, 7(2), 53-80.
(*6)Ito, H., Kasai, K., & Nakamuro, M. (2019). Does computer-aided instruction improve children’s cognitive and non-cognitive skills?: Evidence from Cambodia. Research Institute of Economy, Trade and Industry (RIETI).

【執筆:教育経済学者 中室牧子】

中室牧子
中室牧子

慶應義塾大学総合政策学部 教授。専門は、経済学の理論や手法を用いて教育を分析する「教育経済学」。米ニューヨーク市のコロンビア大学で学ぶ(MPA, Ph.D.)。2013年から現職。著書「『学力』の経済学」は発行部数累計30万部のベストセラー。