僕の読書の原点
あれは小学一年生の夏休みだったろうか。初めて最後まで読み通した長い本はジュール・ベルヌの「十五少年漂流記」で、昼間に読み始めてあまりに面白くて夜遅くにようやく読み終えた。あの時人生で初めて味わった達成感と疲労感は今でも覚えている。それが僕の読書の原点だ。
以来、馬鹿みたいに本ばかり読んできたが、ジャーナリストになったのも本好きの延長みたいなものなので、読書は僕の人生に役に立ったのだろう。だが読書の最大の楽しみは想像の世界に遊ぶことができる、ということだ。読書は人生を豊かにしてくれる。6歳のわが娘にもそうなってほしいと願っている。
さて最近はもっぱら電子書籍で読んでいる。年に100冊も200冊も読むので、もう置く場所がないのが理由の一つ、もう一つはいざiPhoneのKindleで読むと、欲しい時、必要な時に真夜中でも瞬時に手に入るし、本を持ち歩かなくていいし、暗闇でも読める、逆にマイナス面は思いつかない。インクのにおいが懐かしいくらいか。
この記事の画像(6枚)だから近所の青山ブックセンター六本木店が閉店した時も、長年通ったので少し寂しかったが、まあそういう時代なんだなと諦めた。それが跡地に「文喫」という変わった名前の店ができ、覗くと本屋のようなので、前を通るたびに気になっていた。ネット検索すると1500円の入場料を取る本屋だという(週末は1800円)。随分高いなと思ったが、根が本好きなので行ってみた。
入場料を取る本屋に行ってみた
店内は本屋というより図書館のようである。本屋と違って同じ本は一冊しか置いてない。平積みがないのだ。そこにカフェが併設している。日曜だったので定員90人の店内はほぼ満員である。客はほぼ20代から30代の若者で白髪のジイさんは僕だけ。コーヒーとお茶が飲み放題とは言え1800円の有料本屋が満席とは。
右隣に座る若い女性は大学生らしく、統計学の教科書を読んでいる。左隣の兄ちゃんは30代か。「目の眼」という骨董品の雑誌を横に置いているのがシブイが、パソコンを打っているのを覗き見ると何やら台本のようなものを書いている。若手の放送作家か?
副店長の林さんによると客は勉強する人、仕事する人、本を読む人、それにテーマパークのノリで来る人など様々だそうだが、多い日は一日に延べ160人来るという。「赤字ですか」と聞くと「そんなに儲からないけど何とかやってますよ」という答え。すごいな。
お昼になったのでトマトチキンカレー(980円)を食べた。左右の席が近いし、右は若い女性だし、できればあまり香りのきつくないサンドイッチとか食べたかったのだが、他のメニューもハヤシライス、スパゲティなどいずれも香りがきつめのものばかり。トーストとサラダはあったけどそれでは足りないし。案の定カレーを食べ始めると結構な香りが周りに広がり緊張した。是非サンドイッチもメニューに加えて頂きたい。
あっという間に時間が過ぎていく
さてパソコンを持ち込んだので仕事をした。スタバなどに比べて静かなのと広くゆったりしているのではかどる。1時間位原稿を書いて少し疲れたので店内を回って本を物色した。
僕が選んだのは3点。新井紀子著「AI vs.教科書が読めない子どもたち」、スティーブン・レビツキー著「民主主義の死に方」、そして草山万兎著「ドエクル探検隊」。最初の2つはベストセラーで以前からいろんな人に読めと言われていたのだが探しても見つからないので店の人に聞くとすぐ出してくれた。
「ドエクル」は少年と少女が南米ペルーに探検に出かける話で、子供の頃に僕がよく読んでいたような本で懐かしくなり手に取った。
3冊の本を交互に読んでいるとあっという間に時間がたつ。これは楽しい。普段は電子書籍で読んでいるが、たまにインクの香りを嗅ぎながら紙の本を読むのは悪くない。客1人の平均滞在時間は4時間だそうで、確かに仕事、勉強、読書、食事などしているとそれくらいすぐにたってしまうだろう。
「AI」と「民主主義」はやはり面白いので買うことにした。しかし僕は「文喫」には悪いなと思いながらAmazonの電子書籍で買ってしまった。だってウチの本棚いっぱいなんだもの。ビックカメラで商品の実物を見るだけ見てネットで買うようなもんだが、こっちは文喫に1800円払ってるんだから許してほしい。
副店長さんによると、客の3~4割がここで本を買って帰り、一人当たり単価は3000円だそうだ。ここには同じ本は一冊しかない。だから汚れてはいないが人が読んだことはわかる。さらっぴんではないのだ。みなさん買うのにそういうの嫌じゃないんでしょうか、と聞くと、いえそういう方はあまりいらっしゃらないです、との答え。本屋でいつも平積みの一番下のきれいな本を取っていた自分がちっこく思えた。
それにしてもこれだけ多くの若者がわざわざ1800円もの入場料を払って本を読んでいるのを見るのはなぜか嬉しくなる。
紙の本と電子辞書の共存ルールが見えた瞬間
ところで「ドエクル」だがウチの娘にはまだ早いがいずれ読ませたい。彼女は探偵ものが好きなのでミステリー好きの僕としては嬉しいのだが、僕の原点は探検冒険ものなのだ。小学校に上がったら「十五少年漂流記」と「ドエクル」を両方買って置いとくか、いやそれより両親が僕に買ってくれた「少年少女世界文学全集」を僕も娘に買うべきか、などと悩んでいたら入店以来すでに5時間がたっていた。
そろそろ帰ろうと「何時までやってるんですか」と聞くと夜11時までだという。しかも酒も置いてある。これは飲んだ帰りに立ち寄ってほろ酔いでウイスキーなど飲みながら、好きなミステリーを物色するのもいいな、と思っていたら、実は1万円払って頂ければ一カ月間平日利用し放題というプランもあります、と言われ、今真剣にこの一か月プランに入ろうか悩んでいる。本のことになると見境がなくなってしまう。
しかしこのワクワク感は一体なんだ。本は電子書籍で十分、紙の本も、本棚も、本屋さんもいずれなくなるのかも、と思っていたが、やはり紙の本の文化というものは残した方がいいのだろうか。
僕が今でも買っている紙の本は小林秀雄の全集で、何年もかけて一冊ずつ集めている。そうか!紙か電子書籍かに決める必要はないのか。情報を収集したり楽しんだりするだけの本は電子書籍で十分。でも本棚は一つだけ残して自分が本当に好きな紙の本はそこに入れておけばいいのだ。人生の友になる本だけをそばにおいておけばいいのだ。僕の中でようやく紙の本と電子書籍の使い分け、共存のルールができたような気がした。