華々しいデビューもあれば、競技から離れるアスリートもいる。

1月19日(日)放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、2019年に惜しまれつつも現役を引退したアスリートたちが登場。元プロ野球選手の上原浩治さん、元女子バレー日本代表の栗原恵さん、元プロ野球選手の館山昌平さん、元Jリーガーの播戸竜二さん、ラグビー元日本代表のホラニ龍コリニアシさんらが現役生活を振り返った。

 
 
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現役最後の登板は同級生と…

ワールドシリーズ日本人初の胴上げ投手で、日米で活躍した元プロ野球選手の上原浩治さん。

1998年ドラフト1位で東京読売ジャイアンツに入団。1年目から20勝をあげ、最多勝や沢村賞などタイトルを総なめし、2009年からは海外に挑戦。メジャーリーグに9年間在籍し、世界一にも輝いた。

日本の球界に復帰した2018年には「100勝・100セーブ・100ホールド」という日本人初の偉業を達成。しかし、球界最年長で迎えた昨シーズンは開幕から2軍暮らしが続いた。そして、昨年5月に突然の引退を発表し、現役生活に自ら終止符を打った。

 
 

引退会見で上原さんはある人物の名前を口に。それは、福浦和也さんの名前。上原さん最後の登板で無言のタッチを交わしたのが、同級生である福浦さん。ロッテ一筋26年で2018年には2000本安打も達成し、名球会入りを決めた。

上原さんと福浦さんは1975年生まれの同級生で、昨シーズンは球界最年長の投手と野手としてプレーしていた。昨年5月3日のロッテとの2軍戦で上原さんが登板すると言われ、福浦さんは「2軍の今岡監督に頼んで、『上原が投げるのでそのとき代打でいいので、立たせてください』と話しました」と話す。

2019年シーズン限りでの引退を表明していた福浦さんは、これが最後の試合になるかもしれないと自ら代打を志願して、同級生対決が実現。この試合中、二人は無言で小さくタッチを交わした。

引退後はロッテ2軍ヘッド兼打撃コーチを務めている福浦さん。「本当に最後に対戦してよかった。同級生でここまで一緒に野球ができたことと、この年齢までできたのはすごいと思う」と振り返った。

そして、この試合から約2週間後、上原さんは引退を発表。福浦さんとの対戦が奇しくも現役最後の登板と会った。

スタジオでは2人のさりげないタッチに、上地雄輔が「かっこよすぎる!」と大興奮。このタッチについて上原さんは「狙ったわけではない」としつつ、「福浦が出てくることも分からなかったので、試合前に投げることは伝えて対戦できたらいいなと話はしていた。同級生の現役選手がほぼいなかったので、対戦できたことは自分の中で満足感がありました」と明かした。

プロ野球人生は怪我との戦い

 
 

元東京ヤクルトスワローズの館山昌平さん。彼のプロ野球人生は、まさしく怪我との戦いだった。

2002年、日本大学から東京ヤクルトスワローズに入団。サイドハンドから繰り出す150キロを超えるストレートを武器に5年連続2桁勝利。2009年には最多勝投手にも輝いた。

しかし、全盛期を迎え、初の開幕投手を務めたプロ11年目のシーズンに右肘靱帯断裂。

手術をしなければ野球を続けられないほどの大怪我だった。

館山さんは「激痛です。いつか(靱帯が)切れるだろうと思っていて、シーズン終わりまで持ってくれればいいなと、そういう状態でずっとプレーしていたのでついに来たかと思いました」と語る。

無事に手術は成功したものの全治は1年。館山さんは長いリハビリを乗り越え、翌年4月に2軍戦で復帰を果たす。

しかし、再び悲劇が起きる。復帰2試合目、わずか1球で緊急降板。

再び右肘靱帯断裂。2年連続の手術は選手生命の危機を意味していたため、「キツかったです。正直、辞めようかなと思いました。心が折れたのは、そのときぐらいです。すごく長い道のりだったんですけど、本当に家族にツラいリハビリのときも、うまくいかないこともうまくいったこともグチも全部しゃべっていた」と明かす。

「引退」の二文字がよぎる中、館山さんはもう一度マウンドに上がるため、さらに1年間のツラく苦しいリハビリを続け、2015年6月28日、814日ぶりに一軍のマウンドへ帰ってきた。

そして復帰2試合目には、6回を1安打に抑えて3年ぶりの勝利をあげた。見事、復帰を果たした館山さんは、この年6勝をあげ、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

さらに怪我を乗り越えて実績を残したことが称えられ「カムバック賞」を受賞。そんな不屈の闘志で何度もカムバックを果たした館山さんも、昨年9月に引退を発表。

その功績を称えてシーズン公式戦で家族も見守る中、引退試合が行われ、最後の勇姿をみようと球場にはファンが詰めかけた。

試合後の引退セレモニーでは「怪我やリハビリに負けることなく、仲間と家族に支えられて17年間の現役生活を今日、引退します。ありがとうございました」とファンに感謝の気持ちを伝えた。

館山さんの右肘には、3度の手術でできた175針の縫い跡が残っている。さらに、肘以外も含めると9度の手術を経験。その手術を意識がある状態で観察しながら受けたこともあると明かした。

浜田さんからは「復帰戦の一球での怪我」について聞かれると「正直、全治1年が見えていて、自分の靱帯がどうなっていたのかも分かっていたので恐怖しかないです。引退してからも手術をしたので今は191針になっています 」と話した。

無所属なのに引退セレモニー!

 
 

2019年9月、日本サッカー界の黄金時代の一人、元日本代表の播戸竜二さんも現役に別れを告げた。

稲本潤一さん、小野伸二さん、高原直泰さんなど黄金世代の一員として、気迫溢れるプレーで活躍した播戸さんがサッカーを始めたのは小学3年生のころ。高校卒業後には練習生としてガンバ大阪に入団したが、給料は月10万円程度。すぐに結果を出さなければクビという厳しい条件だった。

ガンバ大阪で共にプレーをした稲本さんは当時の印象を「僕の同い年の人が外国人プレーヤーとケンカしているを初めて見て、それが播戸でした。がっつりケンカをしていたのを見て、『こいつすげぇな』と思ったのはすごく印象深いです」と明かす。

その強気なプレースタイルで、エースストライカーとしてチームを牽引。日本代表にまで選出されたが、2009年にプロ契約を更新しないと通告された。

播戸さんは「まだまだクラブに貢献できるという思いもあり、最初はすごくショックでした。ガンバにプロにしてもらったので、ガンバで引退したいという思いが日に日に強くなっていったので」と振り返る。

その後、いくつものクラブを渡り歩き、2018年にFC琉球を退団したあとは、引退するきっかけがないまま、解説者として新たなクラブからのオファーを待っていた。

どうやって引退をするか悩んでいたとき、播戸さんの背中を押したのが、川淵三郎・Jリーグ初代チェアマン。

きっかけは、川淵さんと食事をしたことだといい、「『そろそろ引退も含めて考えているんですよね。所属先もないから、どこで引退するか考えているんです』と(川淵さんに)言ったら、『ガンバが最初のチームだし、ガンバで引退したらいいんだよ!』と言ってくれた」と話す。

無所属の選手がクラブで引退セレモニーを行うなどあり得ない話だったが、昨年9月に播戸さんの姿はガンバ大阪のホームスタジアムに。退団して10年経つにも関わらず、無所属だった播戸さんに手を差し伸べ、1日契約を結び、引退セレモニーが実現した。

こうしてチームとサポータに愛され続けた播戸さんのサッカー人生が幕を閉じた。

ラグビーW杯の大躍進の礎を作った男

 
 

2015年、ラグビーW杯で世界を驚かせた日本代表。

その中で、腕に「大和魂」と刻み戦っていたのが、元ラグビー日本代表のホラニ龍コリニアシさん。

その実力について、昨年ラグビーW杯で活躍した日本代表の福岡堅樹選手は「僕が初めて日本代表に入ったときの先輩。ずっとテレビで見ている存在で、本当にこの人と敵で試合するのは嫌」と話す。稲垣啓太選手も「一発で流れを変えられるようなタックルが非常に魅力的。あんなタックルを目指そうと思ってもなかなかできないので、非常に憧れています」と語るほど。

昨年のW杯ベスト8という大躍進の礎を作ったホラニは、1981年にトンガで生まれる。幼い頃、日本代表で外国人初のW杯出場を果たした伯父に憧れ、16歳で念願の来日を果たす。

当初は言葉の壁にぶつかったというホラニさんだが、すぐに才能が開花し、高校時代は全国大会に3度出場。誰よりも必死に練習する姿や日本語を学ぶ姿勢がチームメイトの信頼を得て、外国人ながらキャプテンを務め上げた。

2006年に三洋電機ワイルドナイツに入団。同じ年に妻・里衣子さんと結婚し、翌年には日本国籍を取得。日本で戦う決意を込めて左腕に「大和魂」と刻んだ。

2008年、来日11年目でついに念願の日本代表に選出。その時のことをホラニさんは「すごく興奮しました。君が代を歌ったときは、気持ちがすごく高ぶりました」と振り返る。

当時から外国人選手が多かった日本代表を一つにするため、自らの経験から、リーチマイケルさんなど同じ外国出身選手に日本の文化を知り、敬意を払う大切さを伝えてきた。

ヴァルアサエリ愛さんは「チームを仲良くするために家族のような感じで、日本人・外国人関係なく、コミュニケーションを取っていた。僕がトンガから来て何も分からないときも、本当にラグビーのこと、家族のサポートをホラニや奥さんがよくやってくれて、ホラニがいなかったら今の僕はいない」と明かした。

ホラニさんは37歳まで現役を続けたが、昨年3月に引退。今では選手時代に所属していたワイドナイツのコーチとして指導に当たっている。夢はチームのリーグ優勝。ホラニさんの第二の人生は始まったばかりだ。

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送