名だたるアスリートたちの礎を築き上げた名門校。

昨年、日本中を熱狂の渦に巻き込んだラグビーW杯。日本代表のキャプテン、リーチ マイケル選手の母校はラグビーの名門・札幌山の手高校。リーチ選手は15歳でニュージーランドから留学生として来日し、3年間で強靱な肉体や精神を育んだ。

また、昨年42年ぶりの海外メジャー大会での優勝を飾ったゴルフ・渋野日向子選手の母校は、岡山県作陽高校。ゴルフ部に所属していた渋野選手は、個人としては中国女子アマチュア選手権で優勝、団体戦では全国大会優勝へと導いた。そんな渋野選手の才能を開花させ、プロ入りを決意させたのが、ゴルフ部の監督だという。

 
 
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2月23日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、そんな名だたるアスリートを輩出してきた名門校の強さに迫った。ゲストとして、野球・内川聖一選手、ラグビー・大畑大介さん、バレーボール・川合俊一さん、サッカー・中澤佑二さん、女子サッカー・丸山桂里奈さん、卓球・森薗政崇選手、森薗美咲選手が登場した。

強さの秘密は3つ

ラグビーW杯の日本代表で活躍した山中亮平選手(2007年卒)、そして、トライ数世界一の記録を持ち、ラグビー界のレジェンドと言われる大畑大介さん(1994年卒)らを輩出したのが、東海大学付属大阪仰星高等学校。

大畑選手が高校3年生の時に全国大会へと出場して以来、全国制覇7回、日本代表を13人も輩出し、多くの卒業生が活躍している。他にも野球部やサッカー部をはじめ、あらゆるスポーツで好成績を残し、卒業生にはサッカー日本代表の藤春廣輝選手(2007年卒)や元メジャーリーガーの上原浩治さん(1994年卒)もいる。

東海大仰星高校ラグビー部は2013年、15年、17年には全国優勝、16年は全国準優勝と毎年のように全国トップに君臨している。なぜ、こんなにも強いのか。そこには3つの秘密があった。

強さの秘密1つ目は、「部員100人でハイレベルな練習をしている」こと。

1軍や2軍などといったチーム分けをすることなく、約100人の部員が全員で一緒に練習。その理由を湯浅大智監督は「下級生には追いつきたいと思ってもらい、上級生は教えることで理解が高まっていく」と話し、一緒に練習をすることで相乗効果が生まれ、チーム力が底上げされることを狙っている。

厳しい練習も100人でやり抜くことが、屈強な体と精神力を養うことにつながっている。

2つ目の秘密は「お昼に米2合を食べて体づくり」をすること。

昼食はスポーツ栄養士監修のもと、100人で専用ランチを食べて体づくりを行う。ランチを食べる際にルールがあり、米は最低2合、お茶碗で計算すると約5、6杯分を持参。100人で米70キロを消費する。中には「お肉が食べたかった」と肉を持参してくる生徒まで。

厳しい練習を乗り越えるための体力の源は“昼食”にあった。

そして3つ目の秘密は「選手だけで4時間のミーティング」をすること。

東海大仰星高校は、“考えるラグビー”を提唱しているため、選手が自主的に考えるための時間を設け、100人全員でミーティングを行っている。次の対戦相手を分析し、試合のシミュレーションなどを行い、時にはミーティングだけで4時間を超えることも。これが全員の意思統一にもつながっているという。

 
 

スタジオでは、番組MCの浜田雅功さんが大畑さんに「あなたの時代もそうだったの?」と質問。「僕らの時代は(部員が)あの半分くらい。全く名門でも強豪でもなかったんです。僕が代表選手として活躍し始めてから、“大畑の出身校だ”ということで良い選手がどんどん集まってきた…」と自身を持ち上げる大畑に「もうええわ!」と浜田さんのツッコみが入る。すると、大畑さんは「最近、選手ばかりクローズアップされているので、ちょっと自慢したかった」と最近のラグビーブームへの嫉妬を見せた。

男子生徒の3分の2がサッカー部?

 
 

埼玉県三郷工業技術高等学校出身の元日本代表・中澤佑二さんは、全国制覇14回を誇る高校サッカーの名門・長崎県立国見高等学校の強さの秘密を探った。

大久保嘉人選手(2001年卒業)らを始め、11人の日本代表選手を輩出している国見高校を、中澤さんは「同じ公立校なのに、なぜ国見高校はサッカーが強くて、僕の学校は普通なのか」と疑問を抱き、自ら現地へと赴いた。

全国生徒206人とかなり小規模な国見高校。

しかし、国見高校のある国見町は町をあげてサッカー部を応援し、大会になると全校生徒よりも多い人数が応援に駆けつけるという。

まずは、自身が抱く疑問を後藤慶太校長にぶつけると「指導力のある先生がいました。小嶺先生が国見高校に赴任されて、サッカーの歴史は始まった」と明かしてくれた。

1984年に小嶺忠敏監督が就任。とにかく走るサッカーを武器に2007年まで21年連続で全国高等学校サッカー選手権に出場し、そのうち6回優勝している。

その功績を称えられ、長崎県から特別な支援を受け、サッカー部専門寮やナイター設備などを完備。さらには、卒業後Jリーグで活躍したOBたちが日々、指導に当たっている。こうして全国的にも珍しい超サッカー部特化型公立高校になった。

そんな国見高校の現在の部員数は94名。男子生徒は145名と3分の2がサッカー部に所属。そして、サッカー部員94名全員が寮生活を行っている。

この寮生活は学年関係なく、上下関係は一切なしで毎日、寮内の掃除やトレーニング、勉強も一緒に行う。食事中は、ベルが鳴るとおもむろに生徒が立ち上がり全員の前で一発ギャグを披露するなど“伝統行事”も。

歓迎ムードで迎えられた現在41歳の中澤さんが、高校生たちの練習に参加すると「キツイ」とこぼすほどハードな練習。その後、試合形式の練習にセンターバックで参加するが、高校生相手にファールギリギリのディフェンスを繰り広げるなど、とにかく必死。

練習を終えた中澤さんは「“チームで勝つんだ!”という監督の指示に対して、すごく前向きで、良いチームですね」と話した。

名門校の卓球部が廃部危機!?

 
 

数々のオリンピックメダリストを輩出した青森山田高等学校卓球部出身の森薗美咲選手と弟の政崇選手。

青森山田高等学校のサッカー部は現在、県内359連勝中で、サッカー日本代表の柴崎岳選手(2011年卒)ら42人のJリーガーを輩出している。

180人の部員が所属し、1軍から6軍まで分かれて活動。1~4軍までが校舎に隣接された人工芝グラウンドで練習し、5~6軍は校舎から自転車で20分の土のグラウンドで練習している。

さらに全国レベルの部活はサッカー部だけではなく、全国大会優勝28回を誇る男子新体操部や全国大会優勝50回の女子バドミントン部、そして「青森山田」の名前を全国に知らしめたのが、2007年に卒業した福原愛さん。全国大会優勝21回を誇る超名門で卒業生には、福原愛、水谷隼(2008年卒)、丹羽孝希(2013年卒)とオリンピックのメダリストを輩出している。

 
 

「いろいろな学校からお誘いを頂いていましたが、コーチ、監督、施設、すべてが完璧だったので、即決でした」と政崇選手が話すように、寮などの施設も充実している。

政崇選手は、「普通は4~5人部屋とかだと思うんですけど、僕らの場合は実力が上の選手は一人部屋を勝ち取ることができる。さらに、各部屋にトイレとお風呂がついていて、家具もある」と明かした。美咲選手も「男子の卓球場には卓球部専用のサウナがあった」と話す。

そんな青森山田高校卓球部には、最近廃部の危機があったという。卓球部の現状を探るため、美咲選手が10年ぶりに訪れたのは、卓球専用施設「青森山田学園国際卓球センター」。約100人が暮らせるほどの寮と直結し、卒業したプロ選手も練習に訪れるほどだという。

 
 

美咲選手が施設に入ると、卓球部の姿はなく、練習していたのは新体操部。当時の卓球部は40人ほどが所属し、フロアを全部使って練習していたというが、今は5台の卓球台を並べ、現在男女合わせて部員9人で練習。卓球専用だった場所も、今では新体操部と共有し、4分の1にも満たないスペースで練習している。

部員が減少した理由は、17年に渡り指導していた吉田安夫監督が2014年に勇退したこと。そこから部員も年々減り、2017年には女子0人、男子2人と廃部の危機だった。

常連だった全国大会からも5年間、遠ざかり、このままでは卓球部が消滅してしまうと危機を感じ、元日本代表の川村公一さんを監督として招き、再建を図った。すると、昨年8月に5年ぶりのインターハイ出場を決めた。

復活に向けて動き出した卓球部。「私もOGとして力になりたい!」と美咲選手も直接後輩たちの指導を行った。
 

父親と目指した甲子園!

 
 

福岡ソフトバンクホークスの3年連続日本一に貢献し、球界を代表するバッター・内川聖一選手。

出身校は3度の夏の甲子園出場を果たした、大分県立大分工業高等学校。

父である内川一寛さんが当時の野球部の監督を務めていた。

親子で甲子園に出場することを夢見て、1年生からレギュラーに抜擢されるなど順風満帆な高校生活を送っていたが、1年生の秋に内川選手は骨嚢腫という難病に冒された。

骨嚢腫とは、骨の内部に空洞ができ、そこに液体が溜まる病気で骨折の危険が高く激痛を伴う場合もある。歩くこともままならず、約1年にわたるリハビリ生活を送った。そのツラい時期を支えたのが、父親であり監督でもある一寛さん。

その後、長いリハビリを経て復帰した内川選手は2年生の秋季大会から大活躍。試合に出場した約1年間で放ったホームランは43回。清宮幸太郎選手が高校3年間で出した最多記録111本に匹敵するほどの驚異的な数字。

惜しくも親子での甲子園出場は叶わなかったが、打撃センスを認められ、プロからもスカウト。そして、大分工業初のドラフト1位選手となった。

父親が監督を務める高校を選んだ理由を内川選手は「僕が小学校の時に、親父が初めて監督として甲子園に行って。フェンスの向こう側にいる父が大監督に見えて、父と一緒に野球やるしかないと思っていた」と明かす。

そんな内川選手は名門校にまつわる夢があるといい、「キャンピングカーを買って、北海道から名門校の練習を見て回って日本を縦断したい」と話した。
 

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送