母の死後 義父から暴力の日々
フジテレビの梅津弥英子アナウンサーが向き合っていたのは、早稲田大学に通う19歳、飯田芽生愛(めいあ)さんだ。
長野県から上京し、現在ワンルームで1人暮らしの彼女は、日々、学業と部活のチアダンス、そしてアルバイトに精を出す普通の大学生だ。
しかし彼女は壮絶な“過去の経験”をもつ。
義理の父親からの虐待だ。
梅津の問いかけに、芽生愛さんは虐待の日々を静かに語り始めた。
飯田芽生愛さん:
雪の日とか普通に、雪の中を引きづられ、寝る場所も、冬にあえて玄関のドアを開けて、玄関に寝かされた。水シャワーという罰があって、風呂場でずっと顔に水を当てられる。息ができなくなるが、逃げてもシャワーをもって追いかけられる。
父親は母親の再婚相手だ。
父の暴力は当初、母に向かっていたという。その母が自殺したのは彼女が4歳の時だった。目の前で、灯油をかぶっての焼身自殺だった。
母の死後、父の暴力は、姉と自身に向かった。
殴る蹴るなどの暴力、水シャワー、さらに食事も満足に与えられなかったという。父親の留守の隙にパンをかじって空腹を満たすこともあった。
こうした虐待は、芽生愛さんが6歳になるまで続いた。
しかし、家にいる大人は父親だけ。相談相手はいない。芽生愛さんは「虐待する人の存在は大きい、絶対に逆らえなかった」と振り返る。
学校が児相に通報 養護施設へ
虐待の発覚は、小学校に通っていた姉の一言だった。
飯田芽生愛さん:
私の姉も殴られて、あざがあって『どうしたの?』と先生に聞かれると、いつも『転んだ』と言っていたが、さすがに担任の先生が『おかしい』と思って、問い詰めたら、姉は暴力のことを話したのです。私のことも先生に言ってくれた。
学校側は直ちに児童相談所に通報、姉妹は保護された。
ここで、再び父親の元に戻されていたら、千葉県・野田市で虐待死した栗原心愛さんのような悲劇にもなりかねなかった。しかし父親(その後、病死した)と切り離されたことで、芽生愛さんは新たな人生を歩み始めることが出来た。
彼女が引き取られたのは、長野県飯山市の児童養護施設「飯山学園」だ。ここで13年間、過ごすことになった。
芽生愛さんが、梅津を「飯山学園」に案内してくれた。
芽生愛さんのように実名で、自らの虐待の経験を語るのは珍しいことだ。
そこには、自分を救ってくれた児童養護施設のことを「もっと世間に知ってもらいたい」との強い思いがあった。
「飯山学園」は、今、2歳から18歳までの41人が暮らしている。いずれも虐待など家庭の事情を抱えた子供たちだ。
1階は食堂。食事は学園の職員がつくる。
夕食時をのぞくと、配膳に励む子供たちの姿があった。中学生や高校生は部活もあるので、食事の時間はまちまちだ。一方で、職員にとって、食堂は41人の子供たちとの貴重なふれあいの場でもある。
梅津が食堂の壁をみると、職員と子供たちとのやり取りが書かれた掲示板があった
子供「スマホ欲しい。または中古のアイパッドでもよろしい」
職員「欲しいものがいっぱいだね」
子供「(お小遣い)1600円を2000円にして」
職員「なぜかな」
子供たちの思いに、真っすぐに向き合おうとする職員の真摯な姿勢があった。
この施設で救われた芽生愛さんだったが、入所当初、彼女は「我慢する子供」だったという。彼女を担当した職員の川久保さんは「いい子を演じるじゃないけど、我慢しなきゃいけないというのをすごく出していた」と語る。
親の虐待を受けており、こうした態度は当然のことだ。
しかし、施設の職員の向き合いが彼女の心の“大人との分厚い壁”を徐々に壊していった。
「頑張るだけじゃないよ 弱さを見せて」
施設の地下には雪国らしくスキー板が並ぶ。
そこには「芽生愛」と書かれたスキー板が2組あった。長短2組のスキー板は、小さい頃から高校生まで、クロスカントリーに打ち込んできた彼女の長年の努力ぶりが伺える。
その練習の辛さを受け止めてくれたのが職員だった。職員の向き合いが彼女の“大人との分厚い壁”を壊していった。
職員の川久保さん:
頑張るだけじゃないんだよ。自分の辛い部分や、弱い部分をもっと見せていいんだよ、ということは伝えたかった。
芽生愛さんにとってさらなる自信になったのが、高校生の弁論大会で文部科学大臣賞を受賞したことだった。
そこには、自分の人生を前向きに生きる彼女の姿があった。
芽生愛さんが文部科学大臣賞を受賞したスピーチ:
児童養護施設について、よく知らない、という人も多いと思います。おそらく、児童養護施設の子どもたちの多くは、自身の過去をコンプレックスとし、あまり多くを語らないからでしょう。 だからこそ、私は、ここに立ち、私たちの今を伝えます。(弁論内容を一部抜粋)
進学率「3分の1以下」の現実
彼女は早稲田大学の「施設枠」の審査に通り、奨学金を得て、今年4月から大学に通っている。しかし彼女のように養護施設から名門大学への道が開けるケースはごくわずかだ。
一般の高卒と、養護施設児の進学状況を比較すると、大学・短大・高等専門学校の高等課程に進学する生徒の割合は、実に3分の1以下だ。
教育格差の現実を芽生愛さんも嘆く。
飯田芽生愛さん:
進学率とかもすごく低い。 みんなお金が無理…となっちゃう。学生の時に学力があっても、お金が無理だという人が多い。
児童養護施設は18歳になると出所しなくてはならない。
しかし、その後の「生きる力」まで身につけられるかどうかは、子供たち次第、というのが現実だ。
芽生愛さんも弁論大会の演説でこう語っている。
芽生愛さんが文部科学大臣賞を受賞したスピーチ:
児童養護施設で暮らす子どもたちの多くは、自分の居場所を見いだせず、施設を出た後に、頼れる人や帰ることのできる場所がありません。 私は、そんな子どもたちの居場所を作り、支えていきたいと考えています。
子供の格差は子供たちの責任ではない。大人の責任であり、社会の責任だ。
「身の丈」などと、格差の後始末を子供任せにしてしまうのではなく、大人たちがいかに知恵を絞るべきか。
芽生愛さんの前向きな生き方は、大人たちに、真っすぐに問いかけている。
(取材:梅津弥英子(フジテレビアナウンサー)、原卓志(「日曜報道 THE PRIME」ディレクター)文章:井上義則(同番組チーフプロデューサー)