“6割が亡くなる”脳幹の脳梗塞で生死の境をさまよい、重い後遺症が残った商社マン。 「最悪寝たきり」「一生車いす」と告げられながらも、過酷なリハビリを続け、2027年秋の職場復帰を目指しています。
■34歳商社マンを襲った脳梗塞
愛知県一宮市に住む湯浅巧さん(37)は、商社マンとして東京で働いていた時、脳の中枢である「脳幹」が損傷する脳梗塞に襲われました。

1カ月ほど意識不明の状態が続きましたが、奇跡的に一命を取り留めました。しかし、目が覚めると体の両側に麻痺が残り、体も口も全く動きませんでした。出版した著書には、「俺の人生もう終わったな、どうにでもなれ」 と、当時の心境が綴られています。
湯浅さん:
「脳幹の脳梗塞自体が、6割くらいが亡くなっちゃうような危険な場所で。(医者からは)『最悪寝たきりか、一生車いすを、覚悟してください』って。現実って分かった瞬間に泣きましたね。『やるしかない』っていう気持ちの方が強かったですね」
過酷なリハビリ生活を経て、発症から半年後にはなんとか一歩を踏み出せるようになりました。

会社を休職し、戻ってきた実家では、元の生活を取り戻すため、毎日歩く練習を欠かさず、車いすなしで生活をしています。
湯浅さんの父親:
「『よくなりたい』『社会復帰したい』という気力で変わってくると思うんですよね。私なら途中でへこたれていますわ」
湯浅さんの母親:
「本人の頑張り次第。手を出すと怒られましたので」
■発症から3年、後遺症と「若さ」の壁
発症から3年が経ち、靴も1人で履けるようになりましたが、日常のひとつひとつに時間がかかります。さらに、自分の意志とは関係なく笑いが止まらなくなる後遺症もあり、声もうまく出せません。
34歳で脳梗塞を発症したことで、若さゆえの壁にも直面したといいます。
湯浅さん:
「脳卒中の治療に関して、若いことをあまり想定していない。一番大変なのは、介護保険が使えないんです」

脳梗塞を発症する年齢の中央値は78歳で、40歳未満での発症はわずか2%といわれています。入院後、医療保険でリハビリを受けられるのは発症から180日までで、その後の受け皿は「介護保険」ですが、加入できるのは40歳以上。34歳で発症した湯浅さんは対象ではありませんでした。

2年間以上通っている民間のリハビリは全額実費です。障害年金を受給していますが、週2回通うだけで1カ月分を使い切ってしまうといいます。
■誰かの支えに…SNSでつながった仲間たちとの交流会
2年前からは自身のリハビリの様子などをSNSで発信しています。すると同じ境遇の人とつながることができ、今では交流会を主催するようになりました。

この日は初めて東京での開催となり、中学生の時に脳梗塞を発症した人や職場復帰を果たした人たちなど10人が参加しました。
参加者:
「元気だった時の自分を覚えていることが、ものすごくつらいんですよね」
湯浅さん:
「僕の嫌いな言葉で、『障害受容』というものがあります。障害を、“今の自分を受け入れて楽しく生きていこう”みたいな」
参加者:
「私の場合は『受け入れたら自分が終わっちゃうな』と思ったんですよ」
会ったのは初めてでしたが、同じ境遇の仲間だからこそ話せることがあります。湯浅さんが発信してきたリハビリの日々は、仲間の支えにもなっていました。

参加者:
「“悩んでいた”というか今も悩んでいます。そういう中で、(湯浅さんの)動画を見て、もっと頑張れると思って。元気をもらって、毎日見ながら、リハビリしていた」
湯浅さん:
「一人じゃないって思えるような場でしたね。来ること自体が、大変でしたけど、やっぱりやってよかったなって。(発信について)最後は自分のためにやっているところがあるかもしれないです、自分を奮い立たせるためにやっているかもしれない」
■休職中の会社へ…目指す2027年の職場復帰
手だけで車を操作できる補助器具をつけたことで運転もできるようになりました。この日向かったのは、休職中の会社。上司への2カ月ぶりの近況報告となりました。

湯浅さん:
「病気直後の自分を知っている、数少ない人」
湯浅さんの上司:
「営業として活躍もしてくれてましたし、本当に仕事は頑張ってたと思います。前向きな気持ちとか考え的なものは、前と今ではそこまで変わらないのかなと思います」
今の目標は、2027年10月の職場復帰です。 復職するため、週3回、パソコンのタイピングなどの訓練も受けています。
湯浅さん:
「一番は前みたいに働けるようになることですね。『前みたいに戻る、何とかなる』と、今でも本気で思っています」

3年前は歩くこともままならない状態でしたが、いまでは大きな横断歩道でも、2回に分ければ渡ることができます。一歩ずつ、一歩ずつ、前に進んでいます。

