画家、作家、ラジオパーソナリティー、映画監督、など幅広いジャンルで活躍した、大宮エリーさんが先月23日、病気で亡くなった。
マルチクリエイターとして才能あふれる大宮さんは、その作品だけではなく、仕事を共にした仲間も魅了し、多くの人々に影響を与え続けた。
共に番組制作に携わったディレクターが、大宮さんとの思い出を振り返る。

■思い出つまった「もういらんTシャツ」を「アート」に
大宮エリーさんとは2019年、当時私が担当していた関西ローカルの番組でご一緒しました。
誰しも、もう着ることのない「Tシャツ」がクローゼットで眠っているのに、思い出があって捨てられないという経験があると思います。
そんな「もういらんTシャツ」を使って、「巨大なアート作品」を作り、「いらんかった」ものに、「新たな生命」を吹き込もうという企画を立ち上げ、大宮さんと3カ月にわたって密な時間を過ごしました。
元々、電通でCMディレクターとして活躍され、映画監督、作家、そしてアーティスト活動まで…
大宮さんにかかわった人なら誰しも思うことかもしれませんが、本当に多彩な才能の持ち主でした。
「いらんTシャツ」で「アート作品」を作るということ以外は白紙だった企画ですが、「なんか面白いもん作れませんかね~」と時には無茶ぶりともえいる相談をすると、「なんかさー、こんなんとか、あんなんとかどう?」と、どんどんアイデアを出してくれました。
とにかく、あんなことやりたい!こんなことやりたい!と、
”誰もやったことのないことに挑戦する好奇心旺盛で行動力のある方“でした。

■モノ作りに「一切の妥協がない」
作品の製作に入ると、大宮さんは多忙にもかかわらず、何度も住まいのある東京から大阪まで足を運んでくれました。
アーティストとしていわば「大御所」の大宮さんですから、方針を示して、あとは大阪のスタッフに託す、ということもできたと思うのですが、作品の進捗を細かくチェックし、モノづくりに対してはとにかく一切の妥協を許しませんでした。
納得がいかない時には美術スタッフと意見がぶつかることも…
たかが「テレビ番組の企画」ではなく、「1つの作品」を作り上げることにかける大宮さんのパワーはとにかく「スゴイ!」と、学ぶことの多い日々でした。

■この人はいつ寝てるんだろうと...と心配することも
もちろん「いらんTシャツアート」の製作期間中にもエッセイを書いたり、ラジオパーソナリティーをしたり、「スナックエリー」というゲストとのトーク動画の配信、さらには個展を開いたりと、「この人はいつ寝ているんだろう」と、心配になることもありました。
あとは、お酒が大好きなので、空き時間ができたら、いつもお酒を飲んでいて、いつか体を壊さないかなと、少し心配していました。
一緒に仕事をしているときにも、「寝てないのよね」とか「声が出ないのよね」など
調子が悪そうだなと思うときが時々ありました。
でも仕事は絶対に最後までやりきる、大宮さんはそんな方でした。
「恋話」も大好きな方でした。ネイルなどオシャレにも常に気を配っていて、こんなところも「全力投球」なんだなと思いました。

■未来を変える才能の塊だった
こんなにも未来を変えてくれそうな、才能の塊のような人が49歳の若さで亡くなるなんて、ただただ、残念でなりません。
エリーさん、きっと頑張りすぎだったのかな。
またいつか一緒に仕事をできる日が来ると思っていました…
たくさん学ばせてもらいました。
せっかく天国にいっても、新しいアイディアが次々とわいて、「全力投球」で走り続けているのかもしれませんね。
エリーさん、本当にありがとうございました。
(関西テレビ「newsランナー」ディレクター 西塚知子)
