太平洋戦争末期、宮崎県延岡市の離島で空襲があり住民6人が亡くなりました。
5月2日で空襲から80年となるのを前に、地元の子供たちが慰霊碑を清掃しました。
1945年5月2日、延岡市の島野浦島では、アメリカ軍の空襲により島野浦国民学校の4人と住民2人が亡くなりました。
30日は、島野浦学園の児童生徒合わせて12人が、島野浦小学校の跡地にある「学童戦災之碑」を清掃。
石碑をふき上げ花を供えた後、全員で黙とうして犠牲者の冥福を祈りました。
(生徒)
「(犠牲者は)私たちと同じ子供だから、これからいろんな出来事もあっただろうし楽しいこともあったはずなのにと、私事のように考えて悲しいです」
(児童)
「みんなが悲しむような、2度と起きてはいけないような被害だと思いました。みんなが平和に暮らせるような世の中であってほしいと思います」
島野浦の空襲については、6月に市内で開かれる「戦争と原爆展」で生存者が当時の状況を解説することになっています。