市民たちの決起…諦めなかった人々の物語

四季折々に美しい風景を見せる諏訪湖。かつて深刻な水質汚染に悩まされていました。1990年、この湖は悪臭を放つ緑色の液体と化した状態に。大量発生した「アオコ」が湖面を覆い尽くし、腐敗臭が周辺に漂う。「このままでは諏訪湖は死んでしまう」。そんな危機感が地域全体を包んでいました。

「このままじゃいけない」諏訪湖畔の老舗旅館ぬのはんの主人、故 藤原正男さんは、当時、汚染された諏訪湖を眺めては、心を痛めていました。1960年代の経済の成長に伴って工場や家庭から大量の排水が湖に流れ込んだ結果、汚染が広がり、1980年代になると諏訪湖はアオコが広がり、緑色のペンキで塗られたような湖になってしまったのです。

そこで、藤原さんは1989年、地域の有志たちと「日独環境まちづくりセミナー」の開催に動き出します。当時、世界に先駆けて湖沼浄化に成功していたドイツから専門家を招き、地域の企業や市民の協力でセミナーは成功を収めます。

これを機に結成された「諏訪環境まちづくり懇談会」。藤原さんは会長として、会の活動をリードしていきました。「人間は自然の一部。競争ではなく協調の時代だ」。その言葉は、当時の地域社会に大きな影響を与えました。

懇談会では、1991年に行政の立場から湖沼や河川の浄化・再自然化に取り組んでいたドイツの専門家を招いて第2回の日独セミナーを開催、1993年には、懇談会のメンバーを中心に38人がドイツを訪れ、河川や湖沼、下水処理場を現地視察する第3回の日独セミナーを行いました。次第に、諏訪湖を守ることが、地域の共通の目標として認識されるようになっていきました。


科学者たちの挑戦…諦めない研究者たち

一方、こうした活動に学術の立場から協力したのが、信州大学諏訪臨湖実験所の所長だった沖野外輝夫教授でした。

1973年にアオコの抑制を最大のミッションとして臨湖実験所に着任した沖野教授は、長年の研究の結果、「諏訪湖の浄化には、下水道整備だけでは不十分だ」と考え、コンクリートで固められた湖岸を自然な状態に戻す「再自然化」の必要性を訴えました。当時としては革新的な提案でした。「コンクリートの護岸を壊すなんて」と、反対の声も少なくありませんでした。しかし、その科学的な裏付けと粘り強い提言により、行政も動き出します。

1994年、全国初の試みとなる人工渚の工事が始まりました。コンクリートの護岸の内側に土を入れ、遠浅の岸辺を作り、そこにヨシやマコモを植えていく。治水機能を保ちながら自然を取り戻すという、画期的な取り組みでした。

工事が始まって1年後、植えられたヨシは見事に根付いて、新しいヨシ原が誕生。観光客の多い場所では、緩やかに玉砂利を敷き詰めた「ふれあいなぎさ」が作られ、人々が湖に近づきやすい環境も作られました。

奇跡の復活…市民の力が湖を変えた

下水道整備と水辺の再自然化。この二つの取り組みが功を奏し始めると、諏訪湖は驚くべき速さで回復していきました。アオコの発生は激減し、水質は著しく改善。一時は姿を消していた水鳥たちも見られるようになりました。2000年からは「水泳大会」も開催され、ついに「泳げる諏訪湖」が実現したのです。

「諦めなければ、必ず道は開ける」藤原さんはその成果を見ることなく、1996年に他界しました。しかし、彼の精神は確実に受け継がれています。2007年に設立された「諏訪湖クラブ」は、市民の手による環境保全活動を続けています。

市民に諏訪湖への関心を保ち続けてもらおうと、諏訪湖の成り立ちや水生植物の変遷、諏訪湖の漁業、流域下水道を解説など、9冊、49000部に上る冊子を作成し、地域の人たちに届けています。民間の立場から更なる浄化をめざす実験なども行いました。会長を務めるのは、信州大学を退官した沖野外輝夫名誉教授。「諏訪湖の問題は地域の問題。だからこそ、地域全体で取り組まなければならない」と語ります。


新たな挑戦…次世代へのバトン

しかし、諏訪湖の課題は終わっていません。水草「ヒシ」の大量繁茂は、船の航行を妨げ、景観の悪化も懸念されています。2016年に起きたワカサギの大量死は、湖水の貧酸素化という新たな問題を浮き彫りにしました。さらに2020年には、湖底からマイクロプラスチックが検出され、環境への影響が心配されています。

2024年に開設された「長野県諏訪湖環境研究センター」では、これらの課題に科学的にアプローチしています。最新の分析機器を駆使した水質調査を行う一方、これまではやや不十分だったと言われる湖の生態系の保全・回復にも力を入れています。

センター長の高村典子さんは、諏訪湖の価値をこう語ります。 「諏訪湖の浄化は、世界的に見ても貴重な成功例。科学的な見地からも、浄化に取り組んだ市民の活動の見地からも、諏訪湖の回復過程を記録にとどめ、世界に向けて発信していくべき」と語ります。

そして、諏訪湖に対して強い思いを持つ岡谷市の環境課職員、小口智徳さんは、その経験を次世代に伝えることに力を注いでいます。「岡谷こどもエコクラブ」の活動を通じて、子どもたちに環境保護の大切さを伝えています。観察会では、子どもたちが自分たちで水質を調べたり、生き物を観察したりします。

2024年秋、エコクラブの子どもたちは、海洋ごみ問題で知られる三重県の答志島を訪れました。年間3000トンものごみが漂着するという浜辺で、子どもたちは海の環境問題と諏訪湖のつながりを学びました。

「ここに来るまで、諏訪湖と海がつながっているなんて考えたこともなかった」。参加した小学6年生の児童は、真剣な表情でそう語りました。「これからは、ごみを出さないように気をつけたい」


「太平洋へと注ぐ天竜川の源流である諏訪湖で起きていることは、すべて海につながっているんです」と小口さん。「私たちの活動は、諏訪湖だけでなく、日本の、そして地球の未来につながっているんです」

今、諏訪湖では新たな取り組みも始まっています。絶滅危惧種「メガネサナエ」の調査研究や、ヒシ群落と湖の生きものの関係性の調査、マイクロプラスチックの検査など、様々な活動が展開されています。

諏訪湖の浄化は、一つの奇跡を起こしました。しかし、それは終わりではなく、新たな挑戦の始まりでもあります。35年前、深刻な水質汚濁に見舞われていた諏訪湖が、市民の力で蘇ったように、これからの課題も、必ず解決への道が開けるはずです。


藤原さんが残した「人間は自然の一部」という言葉。その意味を、私たちは今、より深く理解し始めているのかもしれません。諏訪湖の未来は、まさに私たち一人ひとりの手の中にあるのです。

※この記事は、長野放送で2025年4月25日に放送した「NBSフォーカス∞信州 新時代の諏訪湖へ」をもとに作成しました。

長野放送
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