神戸市北区で2010年、高校生だった堤将太さん(当時16歳)が殺害された事件で、11年後に逮捕された、当時17歳だった元少年が、1審の神戸地方裁判所で、言い渡された懲役18年の判決を不服として控訴した裁判で、控訴審が始まった。
元少年が欠席する中、殺害された堤将太さんの父・敏さんは、法廷に立ち、意見陳述をした。

2010年10月、高校生だった堤将太さんは神戸市北区の自宅近くの路上で何度もナイフで刺されて殺害された。
事件からおよそ11年がたった2021年8月に逮捕されたのは、事件当時17歳の元少年(逮捕時28・現在32)で、少年法が適用され、氏名などが公表されることはなかった。

■1審は「精神障害はなく 殺意があった」と認定し「懲役18年」判決を言い渡す
2023年6月に神戸地裁で開かれた1審で元被告は、事件当時、精神障害があり心神耗弱で、殺意はなかったなどと主張。
しかし審理を経て神戸地裁は、精神障害はなく、殺意はあったと認定された。
さらに事件当時の少年法の規定で、「無期懲役を課す罪の場合、最長でも『懲役15年』」と刑を緩和する規定があったものの、この事件が、「無期懲役を課すべきもの」ではなく、「有期の懲役刑の上限ないし、それに近い刑を課すべき」と判断したとみられ、元少年に「懲役18年」の判決を言い渡していた。

■4月25日の控訴審初公判に被告は出席せず「精神障害あった」「懲役18年は法令適用誤り」主張
そして4月25日から始まった控訴審で、被告は法廷には出席せず、弁護側は1審では否定された、「事件当時には精神障害で刑事責任能力が十分ではなかった=心神耗弱の状態だった」と改めて主張したほか、「懲役18年」が言い渡されたことについて、法令の適用に誤りがあったなどと主張し、刑を軽くするよう求めた。
そして検察側はこれらを否定する反論をして、控訴の棄却を求め、被害者の父・敏さんが意見陳述した。

■被害者の父・敏さんの意見陳述「精神障害なかったのは明らか」「責任回避の主張」
被害者の父・敏さんの意見陳述より:
事件から15年、地裁判決から2年、これほど経っても何1つ被告の責任は確定していません。被告は責任から目を背け続けています。遺族は本当に苦しく、やりきれない思いでこの日を迎えています。
神戸地方裁判所での判決は、被告に精神疾患や精神障害がなかったと判断しました。被告人は急性精神病に罹患していたから事実誤認だと主張しています。
しかし、原審の鑑定人は、あらゆる精神障害について、日常生活や社会生活が障害されていることが必須であると述べていました。
犯行当時、日常生活や社会生活が障害されていなかったのですから、どのような病名を主張したとしても、精神障害でなかったことは明らかです。
被告人は本件犯行翌日に予備校に通い、その翌日、千葉県浦安市に転居しています。 予備校に行ったのは、普段通りにしないと怪しまれると考えたからでしょうし、 あまりにも急な転居は、偶然の引っ越しではなくて、事件の報道の大きさや警察の捜査に 怯え、犯行の発覚を恐れた逃亡としか考えられません。
精神障害に関する、被告人の主張がすべて責任回避のための言い訳であることは明らかで、無意味に殺人と病気を結びつける責任回避の主張であるといえます。

被害者の父・敏さんの意見陳述より:
被告人は少年法51条 2項の趣旨から、解釈上、本件は、懲役15年が上限となるべきと主張しています。
少年法は、犯行から裁判までに長期間が経過することを、そもそも想定していないはずです。
被告人は、本件犯行当時、17歳8カ月であり、もう少しで刑の緩和が認められない18歳を迎えるところでした。
本件犯行翌日、何事もなかったかのように通塾して周囲の目を欺き、 急に転居して捕まらないように逃亡しています。 巧妙に犯行発覚を隠しており、成人と遜色ない程度に成熟していたとしか考えられません。 この点からも、被告人に科刑制限を認める必要はありません。

■息子への思い「どれだけ痛かったか。どれだけ苦しかったか。どれだけ恐かったか。どれだけ辛かったか」
被害者の父・敏さんの意見陳述より:
私たちは、何物にも代えがたい、大切な子供を、息子を、被告人に奪われました。 頭や肩、胸や背中など、何力所も何力所も刺されて、命を奪われたんです。
どれだけ痛かったか。どれだけ苦しかったか。どれだけ恐かったか。どれだけ辛かったか。 今考えても、胸が詰まる想いがします。
息子の明るい未来が突然うしなわれたこと。 そして、私たちの生活が一変したことは、原審の心情意見陳述でお伝えした通りです。
私たちは絶対に被告人を許せません。 たとえ目の前で 3回死刑にしても許せません。 死んでも許さない。私たちが死んでも、被告人が死んでも、絶対に許すことができません。
私たちは逮捕から今まで、被告人やその家族から謝罪や反省の言葉は一切受けていません。 裁判中には謝罪を口にしていましたが、あらかじめ用意された台本を読んでいるだけで、その時のパフォーマンスは謝罪とは言えません。
原審の被告人質問で、被告人は息子が刺されて「痛い」と言ったのを見て、 「なんとも思わなかった」と言いました。 「犯行をやめようとは考えもしなかった」 「被害者がなにを感じていたかは考えたこともなかった」と言いました。
本犯行を反省し悔いて、謝罪をする気があるなら、なぜ被告人はこの場にいないんですか。 教えてください。 一つ否定されると、次々に変える証言、精神障害。 挙げ句の果てに「何らかの精神障害、あるいは精神病」といった、意味不明の主張をする。 これこそ、犯行を病気のせいにする言い逃れではないでしょうか。
人を刺したくなる病気。人を殺したくなる病気。というものさえ作りだすのでしょうか。 犯行と病気を無理矢理結びつけようとする、無責任さ。 もはや、責任能力を争うのではなく、責任を逃れることを目的としている、としか言えません。
■「被告人は罪と向き合っていないのでは」
被害者の父・敏さんの意見陳述より:
被告人及び弁護人からは被害者の息子に対しての敬意などの言葉は一言もなく、他人事のような、常に自分を主語として語り、おぞましい物語を作り上げているものである。
被告人が事件を起こした時から、これまでの言動や行動は息子の命を奪っただけではなく、 息子の尊厳まで踏みにじり、遺族の私たちまでからかい、あざ笑っているとしか見えません。
主張のどこを見ても、被告人の犯した罪自体、それに対する文言は一つも見られません。 まずは犯した罪について、どう考えているか主張するのが普通ではないでしょうか。 これらのことからも、被告人は一切、罪と向き合っていないのではないでしょうか。
できることなら、二度と被告人を社会に戻してほしくないというのが私たちの願いです。 それを強く望みます。
息子の将太は倒れるまで「助けて。助けて」 と言いながら歩いたそうです。 もっと生きたかった。死にたくなかった。 この法廷に息子がいれば、きっとそう訴えたはずです。それがすべてです。
裁判所におかれましては、自分の欲望を満たすためだけに、まったく面識もない人を殺し、11年間も逃亡したあげくに、自分の行いを他人事のように考え、罪を逃れようと、 今なお被害者や遺族の心を踏みにじる被告人を、どう許すのか、ではなく、どう罰するか、という視点で審理し速やかに控訴棄却の判決をお願いしたいです。

(関西テレビ 2025年4月25日)