10月24日、すい臓がんで亡くなった女優の八千草薫さん、享年88。

所属事務所の社長によると、亡くなる前日も元気そうに話していたといい、突然の訃報に驚きを隠せなかったという。

八千草薫さんの所属事務所社長:
亡くなる前日、マツタケご飯を食べて、「おいしいからあなたも食べなさい」って言っていたんです。あと、今後の仕事の話もしていました。

重い病を患いながらも舞台に立ち、亡くなる約5ヶ月前の今年5月にも、公の場に。

八千草薫さん:
今日は本当にいいお天気ですけど、昨日より少し涼しいようにと祈ってましたけど、ダメでした。

突然の報せに、俳優の石坂浩二さん(78)は「本当に悔しいですね」と涙をにじませ、映画監督の山田洋次さんは「八千草さんは本当に若い時からの憧れの人でした」と語った。

大女優として、昭和から平成を笑顔で駆け抜けた「日本のお母さん」。

2003年に旭日小綬章を受賞した際には、「年を取っても生き生きと生きてる人っていっぱいいますから、そういう役をやりたいと思う」と話していた。

幅広い世代に親しまれた“日本の母”

八千草さんは、1947年に宝塚歌劇団に入団。清純で可憐な娘役として一世を風靡し、雑誌企画の「お嫁さんにしたい女優」で何度も1位に選ばれた。

1957年に宝塚歌劇団を退団してからは、本格的に映像の世界に進出。

1972年『男はつらいよ 寅次郎夢枕』、2002年ドラマ『東京物語』、2009年『ディア・ドクター』など、数々の作品に出演し、1997年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受章。
2004年には『阿修羅のごとく』で日本アカデミー賞の優秀助演女優賞を受賞し、芝居に対する思いを語っていた。

八千草薫さん(1997年紫綬褒章受章・当時66歳):
いつもなんか、正直な気持ちで芝居をしたいと思っていまして。本番に入る前には「素直な気持ちになって」って自分で言い聞かせてやるんですけどね。

八千草薫さん(2003年旭日小綬章受章・当時72歳):
私あまり理屈でいろいろ考えるタイプじゃないと思うんですね。なんか感覚的、動物的っていうのか、動物的嗅覚というか、そういうので役を捉えちゃうところがあるんですね。

映画・ドラマの他にも、CMやバラエティーで活躍。その穏やかで品のある佇まいで、幅広い世代に親しまれた。
また、私生活では、1957年に26歳で映画監督の谷口千吉さんと結婚。20歳近く年上の谷口監督が再々婚だったため、周囲からの反対もあったが、信念を貫いて谷口監督が亡くなるまで50年間連れ添った。

八千草さんの訃報に、ドラマで共演した石坂浩二さん(78)は…

石坂浩二:
一緒に芝居をしていて本当に心が安らぐというか。芝居というものをする、演技をするということの本当に奥ゆかしい表現なんですよね。それでいてやはり、どこかに光るものがあって、そういうものを本当に身近で見せていただけたということだけでも幸せだったと思います。またご一緒出来る日があるんじゃないかなと、本当に思っていました。だから…できないというのは残念ですね。

「私らしく演じたい」病を伏せ舞台へ

八千草さんの体を病魔が襲ったのは、2017年の春。かかりつけの医師がみつけた小さな異変は「乳がん」だった。

八千草薫さん(2013年 当時82歳):
時々つらいことや悲しいことがあっても、 それを楽しく少し気分を変えてやればいいんじゃないかなと思って。そういうつもりで、いつも楽しく暮らしております。

手術を終えた後も、八千草さんは女優として精力的に活動。テレビドラマにも出演する中、その年の秋、1本の知らせがあった。

診断結果は「すい臓がん」。2018年1月、87歳と高齢ながら6時間に及ぶ全摘出手術を受けた。ところがその後、八千草さんは、医師たちをも驚かせるような行動に出る。
それは、手術翌日のこと。八千草さんは闘病中の今年7月に出版した自らの著書で、こう記している。

「歩いていこう。とにかく歩けば少しでも良くなるかな」(八千草薫さん著『まあまあふうふう。』より)

「手術後は少しでも歩いたほうが回復が早い」と医師から言われた八千草さんは、さっそく歩いて見せ、仕事復帰への意欲に溢れていたという。それから7ヶ月後、病を伏せたまま舞台に挑み、2018年8月、家族の絆を描いた舞台『黄昏』で主演を務め、20公演以上をこなした。

しかし、その胸の内は…

「これが最後になるかもしれない。迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、私は私らしく、演じたい」(八千草薫さん著『まあまあふうふう。』より)

覚悟を持って舞台に賭けていた八千草さん。舞台に関する取材では、こんなエピソードも。

八千草薫さん:
やっぱりお肉を食べた方がいいだろうと思って、食べてますけどね。

――朝からですか?

八千草薫さん:
ええ、朝でもいつでも。

八千草さんは、翌年4月から始まるテレビドラマのオファーも受けていた。

亡くなる前日も食事に気を遣い…

がん治療に詳しい医師の梅舟仰胤氏(ファミリークリニックひきふね 院長)は、「80代半ばにしてこの大きな手術をされたというのは、社会復帰したいという強い闘病意欲と、日頃から鍛錬されていて、気力・体力ともに充実していたということですね」と話す。

しかし今年1月、八千草さんをさらなる病魔が襲う。それは、がんの肝臓への転移。人生初となる病気での降板を余儀なくされた。

八千草薫さん(今年2月のコメント):
体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加出来るよう、帰って参ります。どうかお許し下さいませ。

その後、再び手術を受けると、今年5月には、理事を務める日本生態系協会のイベントに姿を見せた。その様子を近くで見ていた協会の会長は…

日本生態系協会 池谷奉文会長:
病気なんて全く感じないですね。とっても明るくて朗らかで、元気でございましたよ。

八千草さんは、このイベントの1週間前に抗がん剤治療が終わったばかりだったという。

八千草薫さん:
私は今日もずっとわくわくしているんです。自然の中に入っていって、その何とも言えない気持ちの良さとか、そういうものをみんな楽しんでいただけたら、どんどん自然が増えていって、生き物も増えていくんじゃないかなって期待しています。

しかし、がん治療に詳しい梅舟仰胤医師は…

ファミリークリニックひきふね 梅舟仰胤院長:
80歳ですい臓がんになると、せっかく手術できる状態で見つかっても、手術そのものによって、逆に寿命を縮めてしまう。手術によるリスクが大きい。

それでも、仕事への情熱を燃やしていた八千草さん。 亡くなる前日の10月23日に病院を訪ねた所属事務所の社長が、当時の様子を明かしてくれた。

八千草薫さんの所属事務所社長:
見舞いのマツタケをマツタケご飯にして食べていた。「おいしいからあなたも食べなさい」と言われた。今後の仕事の話をし、私に対してクレームも言われた。

体力を少しでも回復しようとの思いからなのか、仕事の話の最中も食事を欠かさなかった八千草さんは、「明日はヒラメのお造りが食べたい」と亡くなる日のメニューもリクエストしていたという。

多くの人に愛され、名女優として88年の生涯を駆け抜けた八千草薫さん。著書の中で、生き方について語っていた。

「後悔があったとしても、反省があったとしても、自分が納得するまで、「今」から逃げないことが大事だと私は思うのです。その日その日、1日1日、瞬間瞬間を大事に過ごしたいなと思うんです」(八千草薫さん著『まあまあふうふう。』より)

可憐な娘から理想の母、日本のおばあちゃんまで、多くの人の憧れの存在であり続けた八千草薫さん。通夜と告別式はすでに近親者のみで執り行われ、八千草さん本人の希望もあってお別れの会は行われないという。

(「めざましテレビ」10月29日放送分より)