人気ラーメン店にも納品していた静岡県熱海市の製麺所が、土石流被災から約1年ぶりに営業を再開した。折れそうになる心を支えてくれたのは、クラウドファンディングだ。資金援助はもちろん、応援メッセージに勇気づけられたという。
土石流で自宅兼工場が…奪われた家と仕事

製麺機から作り出される、ラーメンの麺。熱海市多賀地区に2022年7月、新しくオープンした製麺工場だ。オープンさせたのは、ラーメン店に卸す麺を製造している「コマツ屋製麺」。

コマツ屋製麺・中島秀人 社長:
まだ(機械の操作に)慣れてないけど、しょうがない。これから毎日やって慣れていこうと思う
コマツ屋製麺はもともと、熱海市伊豆山地区の自宅を兼ねた工場で、80年以上にわたり麺を製造していた。

しかし2021年7月3日、土石流が自宅兼工場を襲った。
中島社長:
土石流の3波目がきた時には、(自宅より上流部の)家が全部なくなり見通しが良くなっていまい、もうこの後は自分たちの家が流されてしまうから逃げなければまずいと思い逃げた

工場の入口の屋根は曲がり、配達用の軽自動車は流された。駐車場も土砂に埋まった。建物に大きな被害はなかったが、警戒区域に指定されたことで、工場への立ち入りが制限されることになった。
それは、仕事ができないことを意味した。
中島社長:
自宅と工場が一緒というのが一番問題。工場と仕事を奪われてしまった。行政が悪いわけではないが、法律や条例に(現地での再建を)阻まれてきた
クラウドファンディングで集まった再建費用と温かい励まし

自分の仕事を取り戻したい――。
経営する中島さんは、新しい工場を建てることを決意した。後押しとなったのは、中島さんの2人の娘たちが始めたクラウドファンディング、そして支援してくれた人たちの温かい言葉だ。

【クラウドファンディングに寄せられた励まし】
「日本の麺文化を守ってください、再建を応援します」
「行楽で熱海に行った時に気になっていたラーメン屋さんがいくつもありました。肝となる麺を早く供給再開できるよう応援させていただきます」
クラウドファンディングによって、全国の882人から、目標を上回る900万円以上の寄付が寄せられた。

コマツ屋製麺・中島茉子さん(次女):
本当に絶望していたので、「これからどうしよう」とどん底にいるような気持だったので。(励ましの言葉に)勇気が出た。「私も頑張らなければ」という気持ちになりました
1年ぶり営業再開に納入先も安堵

家族が一丸となって取り組んだ、工場の再建。
土石流から約1年となる7月1日、ようやく建物が完成した。しかし以前の工場と比べ、広さは3分の1程度。機械も減り、これまでと同じ量は製造できない。また、移設した消毒用の手洗いには、土砂の一部が残されていた。

中島社長:
この手洗い器は伊豆山の工場から持ってきた。この辺まで泥が入っていたけど、使えるかもと思って持ってきた。(新品を)買うと高いから。この泥は土石流の泥
さらに、以前の工場から運び出され修理に出していた製麺機も、新しい工場に運ばれてきた。新工場での営業再開に向けた準備が、着々と進められた。
そして7月18日、工場の営業再開にこぎ着けた。

新しい工場に設置された、数台の製麺機。移設したことで動きが悪い部分もあったが、今までの経験を生かし、お客さんの注文通りの麺に仕上げていく。太さを微妙に調整する。
土石流災害から1年、市内のラーメン店も、コマツ屋製麺の麺を待ち続けていた。

わんたんや・福井敏幸 店主:
こちらがコマツ屋さんの麺。創業以来お付き合いしているので、(営業再開で)ホッとしましたね、安心できる
次女も加わり目標は「伊豆山に戻る」
次女の茉子さんも、会社を退職して、家業に加わることを決めた。
次女の茉子さん:
何かしなければいけないけど、できない状況が続いていた。やはり手伝わなければと思ったので転職して、今はコマツ屋を手伝おうという気持ちです

新天地での再出発となったが、中島さんも娘の茉子さんも、またいずれは伊豆山に戻りたいと考えている。

コマツ屋製麺・中島秀人 社長:
工場が建って復興、ということではない。自分たちは(自宅のある)伊豆山に戻ることが一番大事で。伊豆山に戻らない限り復興ではない、以前の日常ではないです。伊豆山に戻って平和な暮らしができることが、自分たちの最終的な目的です
突然奪われた日常を取り戻すために、歩み始めたコマツ屋製麺。
伊豆山に戻り麺を作ること、その目標に向かって、一歩ずつ前に進んでいる。
(テレビ静岡)