検疫事業の責任者に抜擢された後藤新平

岩手・奥州市立後藤新平記念館。
さまざまな分野で日本の近代化に貢献した政治家・後藤新平に関する資料を展示している。

今回、後藤が100年以上前にまとめた感染症対策に関する貴重な報告書を特別に見せてもらった。

後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:
似島(にのしま)検疫所の全景

似島検疫所とは、1895年に後藤新平が広島に作った、伝染病の検疫所。

日清戦争の終結でコレラなどの伝染病がまん延する中国から、23万人を超える兵士が船で帰国することになり、当時37歳の若さの後藤が、世界でも前例のない大規模な検疫事業の責任者(事務官長)に抜擢された。

医師としてキャリアをスタートした後藤は、内務省衛生局にスカウトされ官僚になる。
ドイツに自費で留学し、ベルリン大学で衛生行政学を、北里柴三郎から細菌学を学んだ後藤は、帰国後、伝染病研究所の設立を推進し、実現させた。

3カ所に大規模検疫所を2カ月で建設

後藤は、伝染病についてこう述べている。
その危険の恐るべきこと弾丸よりも大なるものがある

後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:
何十年・何百年後のことを考えて、新平はさまざまなものに取り組んでいたと思います

伝染病研究所完成の翌年、検疫事業の責任者に就いた後藤は、任命の2日後には、北里をはじめとした医学や衛生学の権威を集めて、検疫の大方針を決めた。
そして、国内3カ所に大規模な検疫所をわずか2カ月で建設。

後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:
ちゃんと『新平自ら講じ』ということは言ったということだと思います

死の危険にさらされる検疫の担当者たちに、後藤が自ら注意点などを講義している。
また、検疫を開始する前日、後藤は検疫所を一般公開した。
近隣住民にその効果を知ってもらい、不安を払拭するのが狙いだった。

3カ月間で687隻23万2346人を検疫

検疫作業の順序を示したチャート図。

輸送船がやってくると検査官が乗り込み、感染者、もしくは感染の疑いのある人がいないか確認し、いた場合は隔離する。

後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:
実線が消毒の必要がない健康者。入所点検所に行って、持っているものを預かってもらい、待合室に移って、浴室に行く

健康な人は入浴して身体を洗い、その間に最新の大型ボイラーで衣類や持ち物を熱気消毒した。

死の危険がともなう最前線で、後藤はほとんど睡眠もとらず、陣頭指揮を取り続けた。

終わってみれば、3カ月間で687隻23万2,346人を検疫。
半分近い258隻が伝染病患者を乗せていて、コレラ感染者369人などを隔離し、感染拡大を阻止した。

後藤は、政府から高く評価された。

後藤新平記念館・佐々木菖子学芸調査員:
医学が発達しても(新型コロナウイルスを)防げていないというところでは、検疫の基本、後藤新平の当時の報告書は大事な資料なのかなと思います

(岩手めんこいテレビ)

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