東西文明が出会う海峡に持ち上がった“クレイジー・プロジェクト”

東西文明の十字路、トルコ。最大都市イスタンブールは、かつての東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルだ。そのエキゾチックな雰囲気は、今も決して色褪せない。そして、イスタンブールを、アジア側とヨーロッパ側に隔てるのがボスポラス海峡。北の黒海から南のマルマラ海につながる海峡は海上交通の要衝であり、美しい景観を求めて国内外から多くの観光客が訪れる。
このボスポラス海峡をめぐり、ある“仰天”プロジェクトがついに動き出そうとしている。海峡に並行して、西側に「運河」を建設するというものだ。その名も「イスタンブール運河(カナル・イスタンブール)」。ボスポラス海峡をバイパスするもので、いわば「第2ボスポラス海峡」だ。

ボスポラス海峡の西側に並行する「イスタンブール運河」完成予想図
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「イスタンブール運河」は長さ45km、ボスポラス海峡と同じく黒海からマルマラ海に抜ける人工水路で、その先にはエーゲ海、さらには地中海が広がる。このプロジェクトの考案者こそ、エルドアン大統領その人だ。2011年、当時首相だったエルドアン大統領は、自ら“クレイジー・プロジェクト”と称する計画を公式発表し、「スエズ運河やパナマ運河をもしのぐ規模になるだろう」と意気込みを示した。運河のルート選定や資金繰り、反対運動などから、建設が始まるには至らなかったが、エルドアン大統領はあきらめていなかった。2019年11月以降、エルドアン大統領は再びこのプロジェクトを実行に移すと述べたうえで、2020年にも入札を開始すると宣言したのだ。

「イスタンブール運河」について力説するエルドアン大統領 2020年1月

運河を必要とする根拠

賛成派が訴える理由は主に3つ。
「ボスポラス海峡の交通量の削減」、「海峡の安全確保」、「運河ルートの都市開発」だ。

①ボスポラス海峡を通る船舶の交通量を減らす
政府によると、海峡を通過する船舶は約4万1000隻(2018年)で、スエズ運河の2倍以上の通行量にあたるという。海峡の入り口で通行待ちをする船も多く、その待機料も膨らんでいる。

②海峡の安全確保
通行する船舶には大型石油タンカーや武器を積んだ軍艦も含まれ、こうした危険物を運ぶ船のリスクを減らす必要性があるという。また、ボスポラス海峡は細長く、最も狭いところでは幅700mほどしかない。しかも曲がりくねった地形から、世界で最も通行の難しい水路の1つと言われる。実際、過去に事故が発生していて、大事故となればイスタンブール市民の生活や歴史的建造物に危害が及ぶ懸念がある。

ボスポラス海峡の幅は狭く両岸の目と鼻の先を大型タンカーが通行していく

③運河ルートの都市開発
政府は運河の完成予想CG(※注1)まで公開し、運河沿いの都市開発への投資を呼びかけたい考えだ。両岸には耐震構造がなされた住宅街、高速道路、高速鉄道、地下鉄等が新設され、空の玄関であるイスタンブール新空港(2018年10月開港)の横も通る予定となっている。
(※注1)トルコ政府が作成した「イスタンブール運河」完成予想CG(トルコ語)
http://en.istanbul.gov.tr/kanal-istanbul-project-of-the-century

エルドアン大統領自ら“クレイジー”と称するこのプロジェクト、政府側は約150億ドルの総工費を見込んでいる。当然、海外からの資金調達も必要で、一部のアラブ諸国のオイルマネーを期待しているとみられる。

環境破壊への懸念

エルドアン大統領はこれまでも、海峡をつなぐ「ボスポラス海峡第3大橋」、海峡の海底に「マルマライトンネル(鉄道)」と「ユーラシアトンネル(車道)」、そして市内3番目の巨大空港「イスタンブール新空港」など、数々のメガプロジェクトを実現させてきた。ただ、今回はそれらを上回る規模の費用を要することや、環境破壊への懸念から、発表当初から反対意見が相次いできた。

年間利用者2億人を目指すイスタンブール新空港

中でも2019年6月、イスタンブールのやり直し市長選で勝利した、最大野党のイマモール市長は「イスタンブール運河」建設反対の急先鋒だ。「イスタンブールへの裏切り」、「殺人計画」などといった強い言葉で、財政面から環境面へのリスクをあげて大反対している。総工費に関しても、政府側が主張する150億ドルには留まらず、市民の税金負担が増えるだけだと批判。また、運河と海峡との間に「島」が誕生し、大地震が発生すれば800万人が孤立するリスクや、さらに運河の計画地周辺が、既にアラブ諸国の投資家に売られているなどと批判を強めている。

運河建設予定地周辺を視察するイマモール市長 2020年1月

専門家の多くは、まず運河建設による生態系の破壊に警鐘を鳴らす。北の黒海と南のマルマラ海をつなぐ新たな水路ができることで、水位の変化とともに海流のバランスが崩壊、魚類の生育環境が大きく損なわれるという。トルコ海洋研究財団のオズトゥルク会長は、「エジプトのスエズ運河の拡張工事後、インド洋に生息する海洋生物が地中海に侵入し、地中海全体の魚類の2割ほどまで急増した」と訴える。地中海にはみられなかった有毒クラゲやフグが一帯に広がり、海水浴客にとっても「見える」問題になってきているようだ。

次に大きな問題は「水」だ。計画では、運河建設ルートにあるダムを取り壊すことになっている。このダムは言わずもがな、イスタンブール市民の「水がめ」だ。専門家らは、これにより市民の飲料水が確保できなくなると訴える。反対勢力はもはや専門家に留まらず、最近は反対するイスタンブール市民の署名活動も活発化してきている。

「モントルー条約」の観点からも問題?

賛成派や反対派に関わらず、運河建設そのものが「モントルー条約」を脅かす恐れも出てきている。1936年に調印されたこの条約は、トルコがこの海峡を管理することを認めた上で、通行できる軍艦について制限を設けるなどしている。ただ、イスタンブール運河は人工水路であるため、軍艦の通行が可能となれば、トルコ政府がそれを管理することになり、黒海の軍拡競争にもつながりかねないとの指摘もある。また、自然の水路であるボスポラス海峡の通行料は無料だが、イスタンブール運河は通行料を徴収する方針だ。政府は早くも年間80億ドルの収入を見込んでいるが、隣に無料の「一般道(海峡)」があるのに、誰が好んで「有料道(運河)」を使うのか?といった疑問も生じる。

エルドアン大統領のポスターを背に、運河について説明するトゥルハン運輸インフラ相 2020年1月

反対派の声に「どこ吹く風」のエルドアン大統領

こうした数々の反対意見があるにも関わらず、エルドアン大統領は、イスタンブール運河は市長や市に付託するものではなく、あくまでも国家プロジェクトだと繰り返し主張。2019年12月には、「望もうが望むまいが、イスタンブール運河は建設する!」と言い切った。

先述の通り、運河構想は2011年に大統領により公式発表された。当初はトルコ建国100年である2023年完成を視野に入れていたようだが、現時点では2026年を目標としている。とはいえ、建設どころか、いまだ入札さえ行われていないのが実情だ。3年後の2023年には大統領・国会選挙が予定されている。イスタンブール運河というメガ構想は、今後、選挙のメガ争点になりうるのかもしれない。

【執筆:FNNイスタンブール支局長 清水康彦】