JR脱線事故から20年。

4月25日午前9時半ごろ、兵庫県尼崎市。
車内アナウンス:お亡くなりになられたお客様のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族みなさま、おけがをされた方々のご家族のみなさまに、深くおわび申し上げます。
列車は、事故現場のカーブをゆっくりと走行していった。

■中学2年のとき母を亡くした男性「孫を抱っこしたかっただろう」
現場のマンションの一部を保存した「祈りの杜(いのりのもり)」で行われた追悼慰霊式。
母親の和賀子さん(当時41)を亡くした尾形麗さんは、去年生まれた子供を連れて出席した。
母を亡くした尾形麗さん(33):母が過ごしたかった時間のひとつで、孫を抱っこしたりとか世話をするというのがあったでしょうから、きょうは連れてきたよっていうのを心に思いながら、抱きしめてくれてたらいいなと思いますね。

追悼慰霊式でJR西日本の社長は…。
JR西日本 長谷川一明社長:この事故の重大さを痛感し、ただただ、おわびを申し上げるしかございません。

■大学に入学したばかりの息子を亡くした父「20年返してくれ」
上田弘志さん(70)は、次男の昌毅さん(当時18歳)を亡くした。JRに対して憤りを感じ続けた20年だった。
次男を亡くした上田弘志さん(70):この20年間、JRと向き合って、けんかもしながら、より安全に早くなってほしいという思いで自分的にはやってきたつもりなんだけど、会社は聞き流してばっかりなんで。『意見として持ち帰ります』とか。それだけする気がないのだったら、何にもしないでいいから、20年返してくれと言いたい。
企業に刑事責任を問う「組織罰」の実現を求めて、署名活動を続ける遺族もいる。
長女を亡くした大森重美さん(76):私たちのような不幸な遺族が出ないように、できる範囲のことをやっていこうという思いを強くしています。

■一命をとりとめたが今も激しい痛みの中暮らす女性「いろんな障害が中に中にある」
浅野奈穂さんは一緒に乗っていた母と叔母を亡くした。
一緒にいた母と叔母を亡くした浅野奈穂さん:今になったら『見守ってね』という感じでしかないです。昔は謝っていた自分がいるような気がするけど、助けられなかったというのをずっと思っていたけど。
あの日以来、電車に乗る訓練を続けたが、いまだ乗ることはできない。
浅野奈穂さん:一番安全と言われていた電車が、たまたま乗った電車が事故したことによって、すべてが信用できなくなった。あのタイミングさえなければ、どんな未来だったんだろうとか、いろいろ悔しいこともあったし。

一命を取り留めたものの、今も激しい痛みが残る中、暮らす人もいる。
3両目で重傷を負った玉置富美子さん(75):足も手術したけれども100パーセント治ったわけじゃない。頭が切れて、(顔は)貫通して、きのう歯の治療に行ったら傷の下の歯が真っ二つに割れていて、10年間こっち(反対側の歯)でかんでたんです。いろんな障害が中に中にあるんです。
20年たっても癒えることのない遺族や負傷者の苦しみ。

■二度と事故を起こさないように…
事故後に入社した社員が7割を超えたJR西日本。
記憶を語り継ぎ、二度と事故を起こさない体質を築けるのか問われている。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年4月25日放送)
