東日本大震災から13年、元日の能登半島地震など各地で災害が発生している中、教訓を伝え続けることの意味はますます大きくなっています。

岩手県釜石市の伝承施設から、高橋礼子アナウンサーが中継でお伝えします。

高橋礼子アナウンサー:
私は、釜石市の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」に来ています。
こちらのすぐ隣には追悼施設「釜石祈りのパーク」があり、11日は日中多くの人が訪れ祈りを捧げていました。

こちらは5年前、2019年3月にオープンしました。
コロナ禍の影響を受けながらも、この5年で約15万人の人が訪れています。

釜石市では、東日本大震災で関連死を含め1064人の方が犠牲となり、そのうち約6割の方はこの施設がある鵜住居地区の方でした。

なかでも特に大きな被害が出たのが、かつてこの場所に建てられていた「鵜住居地区防災センター」でした。

鵜住居地区防災センターは2階建てで、「防災」と名付けられていながら津波の避難場所ではありませんでした。

しかし、震災前にはここを避難場所とした訓練が行われていたため、多くの人が逃げ込みました。

津波は2階の天井付近まで達し162人が亡くなったとされています。

防災センターの展示室には津波が到達した午後3時36分で止まった時計などが展示されていて、何があったのかを伝えるスペースとなっています。

向かい側には、鵜住居の子どもたちの当日の避難行動についての展示スペースがあります。

ここからは、この施設でガイドを務めている川崎杏樹さんにお話を伺います。

Q:ここはどういった展示スペースですか?

いのちをつなぐ未来館 川崎杏樹さん
「こちらの展示スペースは釜石の子ども達がテーマになっておりまして、震災当時実際に避難をした子ども達の実例と、その背景にある防災学習について紹介をしている施設です」

Q:震災前から取り組んでいた防災学習の成果で避難できた子どもの1人として、川崎さんはこちらで4年にわたってガイドを務めてきました。
あの日から13年を迎えてどのようなお気持ちですか?

いのちをつなぐ未来館 川崎杏樹さん
「まだ13年という気持ちと、あっという間な13年だったという気持ち、どちらもあって不思議な感覚です。ですが13年経ったからこそ生まれたものもあると思います。釜石市では『伝承者』という仕組みがあり、その中で小学校4年生の佐々木智桜さんが活躍していますので、これは13年ならではと思います」

Q:東日本大震災から時間が経過する中で、日々どのような思いで伝承に当たっていますか?

いのちをつなぐ未来館 川崎杏樹さん
「こちらの施設の名前が『いのちをつなぐ未来館』ということで、未来志向で、これからに向けて備えを伝えていきたいなと感じています」

Q:2024年は元日に能登半島地震が発生し、大きな被害が出ました。
教訓を伝えてきた立場で、改めて今どのような思いをお持ちですが?

いのちをつなぐ未来館 川崎杏樹さん
「日々ニュースで犠牲者が更新されていく中で、これまでやってきた伝承活動がまだまだ足りなかったんじゃないかと感じる部分がありましたが、一方で実際に『助かった』という事例があったと聞いて、救われる気持ちでした。今後とも災害が起きたときに少しでも犠牲者を減らせるように継続して伝承活動を行っていきたいと思います」

いのちをつなぐ未来館でガイドを務めている川崎杏樹さんにお話を伺いました。

岩手めんこいテレビ
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