静岡県熱海市の土石流で妻を亡くした男性は、今も悔やんでいることがある。あの日 知人を助けるため外出した男性は、自宅で土石流に襲われた妻からのSOSに気づかなかった。携帯電話を自宅に置き忘れたためだ。あれから2年、男性は妻の希望を取り入れた家を建て、前を向く。
妻が被災した自宅跡 何も変わらず
この記事の画像(18枚)田中公一さん、73歳。
田中さんが熱海市の市営住宅で一人暮らしを始めてから、2023年7月で2年が経つ。この生活もあと数カ月で終わる。
2021年7月3日 熱海市伊豆山地区を土石流が襲い、災害関連死を含む28人が死亡した。
田中さんが生まれ育った家にも土石流が押し寄せ、妻・路子さんを亡くした。
2023年6月、田中さんが自宅のあった場所に案内してくれた。
田中公一さん:
ここが我が家があったところです。2年たったけど、何も変わっていない。ただ建物のがれきが無くなっただけで、あとはほとんど手がついていない状態
置き忘れた携帯に着信 妻が「助けて」
田中さんはあの日 妻・路子さんの友人から助けを求められ、路子さんを自宅に残して出かけた。再び路子さんに会うことはなかった。
田中公一さん:
俺の携帯に女房から何回か助けを求める着信があったんだけど、俺は携帯をここ(自宅)に置きっぱなしで出かけちゃったから
路子さんの安否がわからない状態が続くなか、田中さんはわずかな希望をもって毎日現場に通った。
田中公一さん:
家の状態を見たときに、「もう助かってないだろうな」と思ったけど、(妻が)逃げることができて、どこから不意に出てくるんじゃないかという気がして
路子さんは土石流の5日後に見つかった。
「あいつが全部 背負っていったのかな」
田中さんの家には、土石流の1週間前まで息子夫婦と孫が出産のため帰省していた。
田中さんは「土石流発生が1週間早ければ犠牲になっていたかもしれない」と話す。
田中公一さん:
この災害が1週間前だったら、多分 俺もいないだろうけど、息子も嫁さんと孫2人も巻き込まれたのではないかと。そういうのを断片的につなぎ合わせていくと、いろいろな思いがあるよね。「あいつ(妻)が全部 背負っていったのかな」と思ってさ
田中さんが家族で撮った写真を見せてくれた。自分ひとりの時には妻の写真はあまり見ないそうだ。まだ気持ちに余裕がないという。
孫たちの面倒を見る夫婦の写真。
土石流の前に生まれたばかりの孫を抱きかかえる路子さん。その孫も2歳に成長した。
田中公一さん:
発災当時0歳だった孫がいま2歳になって、「じいじ、熱が出た」とか会話ができるようになった。電話でそういう会話をしていると、さみしくなる時がある。孫が大きくなっているのを、路子に見せてやれないのが不憫でしょうがない
全壊した自宅から、泥まみれになったガラスの瓶が3本見つかった。中には、路子さんが子供たちと漬けた梅酒が入っていた。
田中さんは「『私がつくったものだから、あなたと子供たちで1本ずつ置いときなさいよ』と、妻が言っているようだ」と話す。
「家族を守る」新居で果たす妻との約束
田中さんの自宅の敷地の一部は、土石流が流れ下った逢初川の拡幅工事や道路の整備計画にかかる。田中さんは「迅速な復興に協力したい」と、市の求める土地の売却に応じ、造園業の仕事で使っていた土地に新しい自宅を建設している。
「子供や孫のために、子供や孫が帰ってこられる家を作りたい」、路子さんから託された思いがあったからだ。
田中公一さん:
(孫が)ケガしない程度に走り回ろうと何をしようと、ここなら隣からも「うるさい」と言われない。早く作ってやらなければと思って、やっと実現しました
周辺に花や緑が多く、「花や緑が大好きだった妻が気に入ってくれそうだ」と田中さんは話す。むなしさや寂しさを感じる時もあるが、今は前を向いているという。
田中公一さん:
下を向いたり後ろを向いたりしていたら、残りの人生で損するよ。「前を向いて行っていますよ」と、慰霊祭で(妻に)声をかけたい。「見守っていてね、こっちはこっちで頑張っているよ」と、そういう発信をしたい
発災からちょうど2年が経った2023年7月3日、 熱海市では追悼式が行われた。
田中さんも参列して、妻・路子さんの冥福を祈った。
路子さんと約束をしたそうだ。「残された家族を守る」と。
田中さんは地元・伊豆山で、路子さんの分までしっかり生きていく。
(テレビ静岡)