「買収」と「地盤培養」の違いがワカラン 

以前からものすごく気になっていた、選挙で使われるお金について、河井容疑者夫妻の逮捕を機に考えてみた。

1つは、これはある元政治家の表現を借りると、「政治家が有権者に対し、長い時間をかけて少しずつお金を配るのは許されるけど、選挙直前にいっぺんに配ると逮捕される」というもの。

「長い時間に少しずつ」の意味は、選挙期間における選挙運動でなく、あくまで政治活動として、政治家が自分の地盤を強くする、「地盤培養行為」としてお金を配ることは許されている。やっていい事はこの他に「社交的行為」というのがあって、お葬式に本人が香典を持って行くのはOKなのだが、「地盤培養」というのは初めて聞いた言葉だ。

ただこの「地盤培養」も選挙が近づいて、国会議員が地方議員に票の取りまとめを頼んだりすると、「買収」になって公選法違反になる。今回のケースはこれにあたると検察は見ているらしい。

河井夫妻はあくまで「地盤培養」と主張し、そこが裁判の争点になるとみられるのだが、問題はこの「地盤培養」と「買収」の違いが曖昧で、「票の取りまとめをしてほしいのだなと感じた」とか「選挙が近いので買収だろう」とか主観的な判断で決まってしまいそうなのだ。

僕らの税金が選挙運動に使われる

これはもう少し具体的に決めた方がいいのではないか。お金は一切ダメとか、選挙の何日前まではOKとか。その時の雰囲気で有罪だと決めつけるのは危険ではないか、というのが一つ。

もう一つは自民党本部が案里容疑者に対し1億5千万円の選挙資金を渡し、そのうち1億2千万円が政党交付金、すなわち税金だったことだ。

この使い道について自民党の二階幹事長は「広報誌を複数回、全県に配布した費用にあてられた」と説明し、買収に使われたとの見方を否定した。

二階幹事長

政党交付金は今から25年ほど前に、企業団体献金による政治との癒着を防止するために献金を制限し、代わりに税金を政党に配ることにしたもので、年間320億円に上る。

当時このことを政治家やメディアがしきりに「政治改革」と呼んでいたのだが、献金の代わりに国民の税金を政党に与えることのどこが政治改革なのかと不思議に思ったことを覚えている。

政党交付金より個人献金拡大を

あれから25年、僕らの税金は案里さんのために広島の有権者に広報誌を配るために使われた。これが政治改革の結果なのだろうか?広報誌を配りたいなら案里さんや自民党が自分たちで集めた金で配るべきであり、なぜ僕らの税金が使われるのだろうか。

政党交付金などやめて個人献金の税額控除を増やした方がいいのではないか。政治改革の名のもとに政治家が国民から強制的に金を取り立てるのはやめてほしいのだ。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】