がんと戦いながら国会活動を続けた宮川典子議員

自民党の宮川典子衆議院議員40歳。最期は家族に見守られながら、2019年9月12日午後8時25分、乳がんのため息を引き取った。

関係者によると、宮川さんが、乳がんを患ったのは約3年半前。その後も議員活動をしながら闘病生活を続けてきた。病気のことを知っていたのはごくわずかの関係者だけだったという。病と戦いながら、国会の最前線でも戦い続けていた。

教え子の自殺をきっかけに、政界で教育改革を目指す

2012年の衆院選で初当選
2012年の衆院選で初当選
この記事の画像(9枚)

宮川さんは、山梨県の出身で40歳。母校の私立学校で教師をしたのち、松下政経塾で学び、2012年の衆院選で初当選した。

宮川さんが政治家を目指したきっかけは、教員時代に教え子が2人自殺したことだった。今年3月の衆院本会議でも、「いつでも、どこでも、誰でも、何度でもチャンスにアクセスできる日本、これこそ、今後の日本が目指すべき国のあり方だと私は考えます」と語り、教育を入口にこの国のあり方を考えていた。

教育を入口にこの国のあり方を考えていた宮川さん
教育を入口にこの国のあり方を考えていた宮川さん

2017年8月からは文科政務官も務めるなど、教育行政をライフワークとしていた宮川さん。議員会館の事務所を訪れると、そこにはいつも数人の大学生のインターンの姿があった。彼らを指導する姿はまさに「学校の先生」。学生の成長のために声をかける姿を何度も見かけた。

トレードマークは黄色いスーツ
トレードマークは黄色いスーツ

トレードマークは黄色いスーツ。選挙のときには自ら先頭に立って支援者に電話をするなど、いつも最前線で戦う姿に周囲は鼓舞されていたという。

宮川さんの“熱い”その姿は、多くの国民だけでなく、数々の国会議員からも支持され、彼女の死を悼む声が相次いでいる。

選挙のときには自ら先頭に立って戦った宮川さん 
選挙のときには自ら先頭に立って戦った宮川さん 

山東昭子参院議長が見た、宮川議員の情熱と可愛らしさ

宮川さんが大先輩として慕う山東昭子参院議長
宮川さんが大先輩として慕う山東昭子参院議長

宮川さんが大先輩として慕っていたという山東昭子参院議長は、彼女のこんな素顔を明かした。

「とにかく何か情熱があって政治に対する。そしてなんか許せないってことは徹底的にぶつかって何か打破していこう、そういう気力がひしひしと伝わってくる先生でした。でもちょっぴり、時折みせる女性としてのかわいらしさも秘めてたんです」

そして彼女の死は日本にとっても大きな痛手だと続けた。

「とにかく女性活躍はこれからみんな頑張るという真っただ中だった。政治の世界で本当に40歳という、これから何十年もがんばれる人だったのになぜっていう気持ちで…私も茫然としています」

三原じゅん子議員が語った宮川議員の思い出と無念さ

昵懇の仲だった三原じゅん子参院議員
昵懇の仲だった三原じゅん子参院議員

「私は、乳がんだということは知らなかったです」

ひと言ひと言を絞りだすようにこう話してくれたのは宮川さんと昵懇の仲だった三原じゅん子参院議員。宮川さんが亡くなるその日まで、病気のことすら知らされていなかったという。

三原氏と宮川さんは、三原氏が自民党女性局の局長、宮川さんが局長代理として仕事を共にしてきた。女性活躍にはじまり児童虐待やリベンジポルノ、さらには乳がんや子宮頸がん検診の推進などさまざまな課題について議論し合い、ともに活動してきた仲だった。

三原氏にとって宮川さんは「あまりに近すぎる」存在だったという。そんな三原氏にも、宮川さんは自身のがんのことは明かさなかった。しかし、三原氏自身も子宮頸がんを患った経験から、「おかしいな」と宮川さんの小さな変化には気が付いたという。

「彼女の行動や、色々な体の変化を見てて、これは何か大変キツイ薬を使っているのではないかなって思うようになった。特にこの1年ぐらいは、見た目の変化もありましたし」

一方で、三原氏は、宮川さんが自らに病気を明かさないのは「何か考えがあってのことだ」とし、「いつか話してくれるまで待っていよう」と、ずっと待ち続けていた。

結果的に、最後に二人が直接会話をしたのは今年6月13日、月に一度、政治家を目指す女性を集めて行う『女性未来塾』の席だった。「女性の健康支援に関するステッカーを自民党本部の女性トイレに貼らないか」と宮川さんから提案を受けたという。

「そういう活動もずっと二人でしてきたので、どんな思いで、自分が乳がんだったのに、そういう活動していたのかなと思うと…。私ががんを患ったサバイバーだから気を遣って言わなかったのか…。」

三原氏はその当時のことを思い出しながら、「今はもう何も聞けないですからね」とつぶやいた。そして、途中幾度かの沈黙を挟みながら言葉を続けた。

「私は色んな女性議員を見てきたけど、彼女ほど、正義感が強くって、情熱的で、まっすぐで、本当にそんな女性議員ってなかなかいないなって思ってたんだけど…、その分なんか全部背負って、1人で頑張っちゃってた…、それもみんな子供たちのためにって思ってたんですよね。私が贈る言葉がどうのっていうより、とにかく本人が無念だと思います」

「道半ばで、どれだけやりたいことが山ほどあったか。彼女にしかできないことがたくさんあったと思う…。その思いを引き継いでいくよってことしか言えないかな」

宮川さんの遺志を受け継ぐ政治を

 
 

「絶望して命を絶つ子供たちを、世の中からなくしたい」という志半ばでこの世を去った、宮川さん。彼女をよく知る人が口をそろえて言うのは、宮川さんには豪快さとともに、人を思いやる心遣い、そして、内に秘めた繊細な心があったということだ。まだ当選3回だった。一政治家として何もかもがうまくいっていたわけではない。そうした葛藤も抱え、病と闘いながら自らの志を貫こうとした姿は、これからも多くの人の胸に刻みつけられるだろう。彼女の遺志を受け継ぐ政治、社会を実現してもらいたいと切に願う。

 
 

フジテレビ政治部 杉山和希 福井慶仁

杉山 和希
杉山 和希

義理と人情とやせ我慢を大事に取材に励みます
報道局政治部 首相官邸&麻生派担当。1992年岐阜県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、2015年フジテレビ入社。「情報プレゼンターとくダネ!」ディレクターを経て現職