半世紀以上にわたり国の政策に住民が翻弄されてきた城原川ダム事業。2030年度の完成に向け、住民の集団移転が進んでいます。住み慣れたふるさとへの思いと新しい土地での生活を取材しました。
鶴田良治さん78歳。
城原川ダムの建設予定地、岩屋地区の区長を務め、今年4月末、妻の光子さんと集団移転先となる神埼市志波屋に引っ越してきました。
【鶴田良治さん】
「今まではほら、山暮らしっていうか、もう四方八方山に囲まれてたんだけど、やっぱここは、四方八方もう平地だもんでですね、そういう、こう、見晴らしはもう最高ですね」
神埼市で建設が計画されている城原川ダム。
過去の水害を受け1971年に予備調査が始まりましたが、地域では賛否が分かれ、長年、議論が続きました。
そして2005年。
【古川知事(当時)】
「従来の貯留型の水を貯めてしまうダムではなく、環境と共生できる新しい形のダムが必要ではないかと考えた」
当時の古川知事が、水を溜めない「流水型ダム」の方針を示し、地元住民団体も調査受け入れに合意。
しかし、2009年には政権交代の影響でダム事業が凍結されました。
その後、2016年に事業継続が改めて決定し、現在は住民の移転とダム建設に向けた設計などが進んでいます。
【鶴田良治さん】
「今、一番電柱のある向こう側の家を解体しているんじゃないかな、コトコト音がしているのは」
住宅の取り壊しも進む岩屋地区。
ダムの建設により、水没予定地の50世帯のうち、鶴田さんを含む25世帯が集団移転を終えました。
今も引っ越し前の家具が残る、住み慣れた家。
鶴田さんは、自分のペースで荷物の整理を進めています。
【鶴田良治さん】
「もう徐々に。11月始めには孫たちも来て加勢するけんって」
【鶴田良治さん】
Q.お孫さんとかが来たらどこで食事していたんですか?
「ここらへんでしよったね、で、寝るときは雑魚寝ですよ。そんなに広くないけんね。で2階でも寝たり。狭いながらも家族皆が育っていってね。そう思ったらね。なんかもう、せな行かんけど。まあ、ぼちぼちでよかねとかゆっくりやってます」
ダムの計画から半世紀以上。
思い出の詰まった場所を離れ、住民たちは新たな生活を始めています。
Q.新しい志波屋地区に来て、今後の楽しみっていうのは何かありますか?
「何人かに聞いたら、「やっぱ来てよかったね」と。畑作る人は少しでもやっぱり家庭菜園したりとか、(私は)今、家庭菜園と花と、ここをバラ園にしようと思って。それぞれやっぱり楽しみを持って生活のスタートをされている感じです」
賛成派と反対派に分かれ、議論がたびたび停滞してきたこの計画も建設に向けて動き始めました。
そもそもなぜ城原川ダムが必要なのかについてですが、この城原川の下流域では、昭和24年、28年と大規模な洪水が発生しています。
特に昭和28年、1953年のいわゆる「28水」では、山間部で900ミリ、平野部で500~600ミリの雨が降ったとされ、城原川流域で2万9517戸が浸水被害にあったとされています。
【キャスター】
2019年の水害では約6000件の浸水被害だったのでかなり大きな被害だった事が伺えます。なぜ被害が大きくなったんでしょうか?
【原竹】
はい、モニターの地図の赤い線が城原川。
薄く囲まれたエリアが降った雨が城原川に流れ込むエリアとなっているんですが、山に降った水が斜面を通って城原川に流れ込むんですね。
【キャスター】
漏斗のように雨水が集まるんですね。
【原竹】
はい、これにより堤防の許容量を超え、大規模水害が発生しました。
そして城原川ダムは災害時に下流に流れる水を低減させるため、常に水が流れ続け、大雨時に流れる水を一時的に溜めゆっくり流す流水型のダムになります。
【キャスター】
一気に水が下流に流れないようにするんですね。
【原竹】
佐賀河川事務所の想定では、昭和28年の大水害の時と同じ雨量が降った場合でも浸水被害をゼロに抑えることができると想定しています。
【キャスター】
効果が大きいダムですね。
【原竹】
今回話を聞いた鶴田さんも「あと10年早ければ元気なうちにみんなで移転できたのに」と話すと同時に、移転した住民の皆さんと共に新しい土地でそれぞれの楽しみを持って生活をスタートさせていると話してくださいました。
私も、新しい生活を送る住民の方々が完成した城原川ダムを誇りに思えるようこの治水事業を伝えていく責任を感じました。
