「同じ証拠」で判断されながら、1審で無罪、2審で逆転有罪となった、20年前の強盗殺人事件。
「神戸質店事件」と呼ばれるこの事件で、無期懲役で収監中の受刑者が、ことし6月、冤罪の救済活動を行う団体「イノセンス・プロジェクト・ジャパン(IPJ)」の支援を受け、大阪高裁に裁判のやり直し「再審」の請求を申し立てる予定だ。
再審が実現するかどうか、カギを握るのは「目撃証言」。心理学者の科学的アプローチによって、厚く、重いとされる「再審の扉」を開くことはできるのだろうか。
3回にわたってお伝えするうちの第1回。
(関西テレビ・司法キャップ 菊谷雅美)
■1審「無罪」2審「無期懲役」決めるのは“真実”ではなく裁判官なのか
筆者がこの事件に関心を持ったのは、去年3月、甲南大学(神戸市)で開かれた、「IPJ」で活動する学生たちが企画したシンポジウムに参加したのがきっかけだ。
「全く同じ証拠で1審は無罪判決。2審は無期懲役の有罪判決」
判断材料が変わらないのに結果が真逆になるということは、裁判官次第で“白”にも“黒”にもなるということなのだろうか…
被告人の人生を決めるのは、“真実”ではなく裁判官なのだろうか。
当時、司法記者になりたてだった筆者に大きな疑問を投げかけた事件だった。
■20年前に発生した強盗殺人「神戸質店事件」逮捕のきっかけは『指紋』
「神戸質店事件」は、20年前、質店経営者の中島實さん(当時66歳)が、店舗兼住居で殺害され、現金1万650円が奪われたという事件だ。
中島さんの死因は、頭部を鈍器で滅多打ちにされたことによる脳挫滅で、頭蓋骨に粉砕骨折がみられるほどだった。
警察は強盗殺人事件として捜査本部を設置。残忍な犯行様態などから、当初、犯人は顔見知りと思われたが、捜査は難航した。
そして、“迷宮入り”かと思われた1年11カ月後に、急展開を迎える。
容疑者として逮捕されたのは、市内で電気工をしていた緒方秀彦受刑者(66)。
逮捕につながったのは、スピード違反で検挙された際に取られた「指紋」が、事件現場から出た「指紋」と一致したことだった。
緒方受刑者は、中島さんから防犯カメラの設置を頼まれ、質店を訪れたことは認めるも、事件への関与は一貫して否認し続けていた。
■裁判のカギを握る「目撃証言」事件から1年10カ月後の記憶
裁判で検察は、現場に残された指紋や靴型、緒方受刑者のものと一致するDNAが検出されたタバコの吸い殻のほか、「犯人らしき人物を見た」という目撃証言から緒方受刑者の犯行を立証した。
一方、弁護側は、「防犯カメラ設置の依頼を受けて、現場を訪れている緒方受刑者の指紋や靴型、タバコの吸い殻があったとしても不自然ではない」と反論。
目撃証言についても、古い記憶に基づくもので信用できないと主張した。
指紋や靴跡、タバコの吸い殻は、“質店に行ったこと”を証明するが、“犯行を行った”証明にはならない。
裁判のカギを握ったのは、事件が起きたと思われる時間帯に、「質店のあるマンションの出入り口前で、布でまいた棒状の物を持って立っていた男を見た」という目撃証言の“信用性”だ。
実は目撃者が見た人物が「緒方受刑者であるかどうかの確認」は、事件から1年10カ月後になされたもの、つまり、「目撃者の1年10カ月前の記憶から判断したもの」だったのだ。
■目撃者 当初は「目撃は一瞬で似顔絵については自信がない」も…
弁護団によると、目撃からの時系列は以下のようになっている。
<2005年10月18日>
・午後6時~午後8時半ごろの間 事件発生。
・午後8半ごろ 目撃者が不審な人物を目撃。
<2005年10月27日>
・目撃者が目撃情報を警察に話す。
・「目撃は一瞬で、似顔絵については自信がない」とも。
<2006年12月21日>
・目撃者が目撃情報を話し、似顔絵が作成される。
<2007年8月中旬>
・緒方受刑者がスピード違反で検挙される。
<2007年8月23日=★事件から約1年10カ月後>
・目撃者が警察に呼ばれ、20人の写真の中から、緒方受刑者を「目つきが似ている」と選別。
<2007年9月6日>
・緒方受刑者が強盗殺人容疑で逮捕される。
<2007年9月10日★事件から約1年11カ月後>
・警察が目撃者に緒方受刑者の顔を見せ、「目撃した人物かどうか」確認。
「一瞬しか見ていない」人物について、目撃から1年10カ月経過した時点で複数の顔写真の中から、「目つきが似ている」と判別したり、1年11カ月後の時点で顔を見て、「この人物だ」と特定できるのだろうか。
■1審・神戸地裁は「目撃証言の信用性に疑問」と無罪判決 緒方受刑者「すべてを失った。兵庫県警に対しての強い憤怒が無罪への喜びを上回った」
実際、1審の判断は、この目撃情報への疑問を呈している。
神戸地裁(岡田信裁判長)は、目撃者が見た人物と緒方受刑者が一致するかどうかの判定は、「事件から1年10カ月も経ってから行われていて、証言についても『睨みつけるような目』など印象に基づくもので、顔つきのわかるような特徴を一切述べることができず、信用性に疑問が残る」と指摘。「そのほかの検察が主張する間接事実を総合しても緒方受刑者を犯人とみるには、合理的な疑いが残る」として、無罪判決を言い渡した。
無罪が言い渡された瞬間、緒方受刑者は「日本の刑事裁判では99.9パーセント以上、有罪と聞いていたが、自分はやっていないのだから当然と言えば当然で、公正な裁判官の判断だと思った。と同時に、家族を守るために離婚した元妻や娘たち、仕事、すべてを失った。どうしてくれるんだという兵庫県警に対しての強い憤怒が無罪への喜びを上回った」という。
■2審は一転して「目撃者の記憶に揺らぎない」無期懲役判決
検察側はこの無罪判決を不服として控訴。
2審の大阪高裁(小倉正三裁判長)は、1審と全く同じ証拠から、まるでオセロの石を裏返していくかのように検察の立証を認め、弁護側の主張を「信用できない」と退けた。
1審が「信用性に疑問が残る」とした「1年10カ月後に『緒方受刑者である』と判別された」の目撃証言についても、「記憶に揺らぎがない」と緒方受刑者による犯行を認定する証拠として採用したのだった。
緒方受刑者は、逆転有罪判決を不服として上告するも、2011年に最高裁が棄却し無期懲役刑が確定。
岡山刑務所に服役して、14年になる。
1審から緒方受刑者の弁護を務めた戸谷嘉秀弁護士は、質店事件を通して「裁判の恐ろしさを知った」と話す。
無実を訴え続ける緒方受刑者を救い出したいと、戸谷弁護士が藁にも縋る思いで救いを求めたのが、アメリカで多くの人の冤罪被害からの救出を実現してきた「イノセンス・プロジェクト」の日本版として9年前に設立された「イノセンス・プロジェクト・ジャパン(IPJ)」だった。
■「IPJ」の支援受け再審請求へ 「1年10カ月後の目撃者の記憶」は信用できるのか 科学的アプローチ
そして、ことし6月、緒方受刑者は「IPJ」の支援を受けて大阪高裁に再審請求を申し立てる予定だ。
新証拠は、日本の目撃証言における研究の第一人者で、数多くの刑事裁判に専門家の証人として出廷する人間環境大学・厳島行雄教授監修のもと行った、「目撃証言」に関する独自の検証結果だ。
厳島教授は目撃証言について、事後に警察から話を聞くことで得た情報や報道によって、実際には体験していないこともあったかのように記憶してしまったり、目撃した際の心理的、物理的要因が記憶に与える影響などを研究している。
こうした研究をもとに、「1年10カ月」の間に、目撃者の記憶にどのような影響があったのか、本当に信頼できるのかということを検証していった。
人の記憶は、時間が経過したとしても、どこまでなら真実を語ることができるのかー
次回は、新証拠となる「目撃証言」の検証内容に迫る。