東日本大震災特別企画「ともに」。宮城県南三陸町の海岸沿いでは、津波から命を守るために緊急の避難場所をつくる取り組みが行われています。この避難場所が今ユニークな防災学習の場に進化していました。

南三陸町志津川の林地区。カキの養殖などが盛んな港町です。

堤勇高アナウンサー
「あちらの木をご覧ください。幹の方を見てみますと、漁に使う網が引っかかっています」

地元の人によりますとこの網は震災時に引っかかったものでこの港には、当時15メートルの津波が来たそうです。志津川の港町の多くは高い建物が少なく、避難できる場所といえば「山」しかない所も。ただ、歩道が整備されていない山も多くあり、お年寄りにとっては避難が難しいという現状があります。

堤勇高アナウンサー
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」

この課題を解決しようと、震災後、山に歩道を整備する活動が行われています。活動の中心メンバー、後藤さんに案内してもらい整備された歩道を実際に歩いてみます。

海の見える命の森 後藤一磨さん
「もともとこういう道はなかったんですよ。道自体がなくて、動物が通る道、獣道を伝ってこの山に入ったんです。最初は私たちだけだったんですが、ボランティアの手伝いが入るようになって、こんな階段を作っています」

ボランティアの手を借りて2016年から少しずつ森を切り開いて、手作りの階段や案内板を設置してきたそうです。急な階段には、お年寄りでも登れるようにと手すりも作られました。

歩くこと15分。およそ150段の階段を登り終えて山の頂上にたどり着くと。

海の見える命の森 後藤一磨さん
「後ろを振り返ってみてください」

堤勇高アナウンサー
「海が一望できますね」

頂上から海を眺めると美しい志津川湾が広がっていました。

堤勇高アナウンサー
「今、海から風も吹いてきて登ってきた分もあって、すごく気持ちいいですね」

海の見える命の森 後藤一磨さん
「きょうはあいにくの小雨交じりの天気ですが、晴れた日は最高ですよ」

晴れた日の景色がこちらです。ボランティアの人たちは訪れた人に、この景色を楽しんでもらおうと周りの木を一本一本手作業で切ったそうです。そして、頂上には石碑がありました。

「津波が来たらとにかく逃げろ!」と呼びかける。三陸地方の言い伝え「つなみてんでんこ」です。

後藤さんは、この山を震災の教訓を学べる場所にもしたいと考えました。

海の見える命の森 後藤一磨さん
「犠牲者がここでは831人出ている。再び起きないようにするために、ここで震災の語りや、気づいたことを皆さんにお伝えしています」

避難場所から防災を学ぶ場所へ。この考えに多くのボランティアが賛同。ここを「命の大切さを学べる場所にする」という想いから「海の見える命の森」と名付けました。

そして、いつでも体験学習ができるようにと小屋やウッドデッキを手作りで建設。水が無くても利用できる、バイオトイレも設置。さらには、こんなものまで。

海の見える命の森 後藤一磨さん
「これが『ピザ窯』です。私たちとボランティアで作ったものです」

これまでボランティアに参加したのは、小学生から社会人まで、8年間で、のべ1万3000人。4月13日には、民間企業の有志15人が東京から訪れ、5年前に植樹した桜の生育状況を確めていました。参加した人は皆、後藤さんたちの想いを受け継いでいます。

参加者
「防災というか、災害を防ぐことを伝える場所にする、という人が集まって、楽しく美しい景色を見ながら、それを伝えていくっていう事を教えて頂いて、それでまた引き続きずっと来たいなと」

ピクテ・ジャパン社長 萩野琢英さん
「心温まる人がいる中で、震災の記憶も含めて貢献できればという思いが、うちの会社のメンバーは思っている人も多くて」

森の自然。絶景の海。震災の記憶。そして、命の大切さを学ぶ場所。後藤さんは「海の見える命の森」の魅力について最後にこう話してくれました。

海の見える命の森 後藤一磨さん
「人間は自分たちだけで生きていると思っていますが、自分たちが生きるためには、自然を含めたあらゆるものが関わって、支えてくれている事がよく分かる森だと思います。そういう営みの中で人間は生かされているということを学んでいただいたらと思います」

仙台放送
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