熊本地震の前震から14日で8年となりました。益城町の県道の4車線化など復旧・復興が進む一方で、遺族や被災者からは「寄り添う行政であってほしい」といった声が聞かれました。
熊本県庁で14日開かれた熊本地震の犠牲者追悼式。蒲島知事や遺族などが参列し、犠牲者に祈りを捧げました。
国内の観測史上初めて2度の震度7に見舞われた8年前の熊本地震。
災害関連死も含めて県内で273人が犠牲となったほか、19万8000棟余りの住宅が被害を受けました。
追悼式に参列した阿蘇市に住む大和さん夫婦は次男・晃さんを熊本地震の本震で亡くしました。
熊本県による晃さんの捜索は、二次災害の恐れなどから、発災から約半月で打ち切られ、その後、両親によって見つけられました。
今回で知事としては最後の参列となる蒲島知事は大和さん夫婦に声を掛けました。
【蒲島知事】
「ご遺族に言ったことは『至らない知事で申し訳ない』と」
【晃さんの母 大和 忍さん】
「何もなければ挨拶だけで出るつもりだったが、知事からの言葉があり動けなくなった」
【晃さんの父 大和 卓也さん】
「(地震を教訓に)被災者やその家族にもう少し寄り添って心のケアなどに重点を置いてやってほしい」
大和さん夫婦は当時の捜索の打ち切りを「知事として悩み抜いての決断だったと思う」と話す一方で、「対応は正しかったのか、検証してほしい」と話しました。
この1年で、熊本地震からの復旧・復興はさらに進み、去年7月には南阿蘇鉄道が全線再開しました。
また、12月には阿蘇神社の楼門が再建されました。
震度7の揺れに2度襲われた益城町は、災害に強いまちづくりを目指し、県道熊本高森線の約3.8キロで4車線化を進めていて、県が事業主体として整備しています。
14日は、広崎から惣領の0.8キロの供用が開始され、全体のおよそ4割が開通しました。
【近くの住民】
「渋滞がなくなって便利」
きのう益城町で開かれた開通式には蒲島知事も参加し、4車線化された道路を「創造的復興を実感できる道路」と話しました。
【蒲島知事】
「自分たちも被災しながら町のために土地を提供してくれたこと土地を提供し(次の土地を)買うことが一番難しい。(地権者の協力で)スムーズにできこれだけ早くできた」
一方、店舗兼住宅が4車線化にかかり、立ち退きを余儀なくされた岡本商店の矢野さんは「最後まで納得できなかったが、くす玉が割れたときに長い8年間に区切りがついた」と話します。
【岡本商店 矢野 好治 さん】
「被災者みんな状況は違うが同じ枠に入れられた感じ。最後まで寄り添ってほしかった」
熊本地震から8年。遺族や被災者からは「地震を教訓に住民に寄り添う行政であってほしい」といった声が聞かれました。