首里城復興への歩みを辿る「首里城ふたたび」です。将来の正殿の修復に備えておよそ30年間続けられているチャーギ・イヌマキの育樹祭が今年も国頭村で開かれました。

辺野喜ダムに近い国頭村の森の中に、その場所はありました。佐久本浩志アナウンサー「時折ヤンバルクイナの鳴き声も聞こえるやんばるの森の中で、長年にわたって大切に育てられてきたのがチャーギ・イヌマキの木です。」

かつて首里城正殿を始めとする建造物の建築や修復に用いられてきたのがこのイヌマキです。首里城公園友の会高良倉吉会長「30年ぐらい続いています。木を植えて育てる。幸いイヌマキも全体としても見れば成長しています。」

今月3日に開かれたイヌマキの育樹祭には首里城公園友の会や支援する企業などからおよそ80人が参加し、さっそくイヌマキの手入れを開始しました。

30年続く育樹祭のきっかけが、平成の首里城復元です。当時、建築材として使用できる県産のイヌマキが一本も見つからず、台湾の協力を得て代わりのヒノキを確保しました。この背景には琉球王国の歩みも深く関わっていたのです。

高良倉吉会長「昔の王国時代から、琉球の先人たちが沖縄に一番ふさわしい木がイヌマキ。だからがっちり植えてがっちり育てて管理したわけです。それが首里城明け渡し、琉球処分以降にそのシステムが無くなったものだから植えない、育てない、切ってもまだ植えない。」

「結局はイヌマキというものが沖縄の地から、使えるイヌマキが姿を消していく。それを首里城というものが気づかせてくれた。」

成長の遅いイヌマキ。立派な柱として使用できるまでには100年も200年もかかるとされています。先人たちの努力に学び、正殿復元の翌年、1993年から毎年やんばるの森にイヌマキを植えて大切に育ててきました。

実はこの場所、もともとは辺野喜ダム建設の土砂が捨てられた窪地で、赤土の荒涼たる光景が広がっていたそうです。緑化にも貢献してきたイヌマキの成長を促すため大量に転がる石や岩を一つ一つ取り除いていきました。

石を積んだ一輪車を押して何往復もしたのは比嘉亘さんと息子の亘之介(4)くんです。「イヌマキの植樹を経験させたくて参加しました。これが実施に首里城に使われるのは50年、100年先。僕たちがもしかしたらそれには携われないかもしない。子どもたちとさらに孫たちにうまく引き継がれていければなと。」

多くの子どもたちも参加した育樹祭。将来の正殿の修復に備えて今年も新たに100本のイヌマキを植えました。

松田美乃さんと脩禅くん「子どももなかなか普段土に触れることもないし、日常では経験できないことなので。」「楽しみですね。これがまた沖縄の大事な木材になっていくというのはすごくいい取り組みだし、自分が知らない未来のことを手がけるというのはとても感慨深いなと思いました。」

参加者は200年後の子孫たちにバトンタッチすることを夢見て大事にイヌマキを手入れしていました。

沖縄コカ・コーラボトリング小山良彦社長「これだけの多くの石や岩がイヌマキの成長の邪魔をしているということを改めて我々も勉強になりましたし、ほんの少しでもお手伝いできたことを大変嬉しく思ってます。」

イヌマキの育樹が、沖縄の風土と先人が大切にしてきた精神を将来にわたって受け継ぐ貴重な機会としてこれからも続くことを願って。

沖縄テレビ
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