本を片手に真っすぐ指をさす男性の銅像。日本人として初めて西洋文化に触れ日本を開国へと導いたジョン万次郎は、かつて、沖縄で過ごしていた時期がありました。4日、ジョン万次郎の足跡を辿ろうとゆかりの地を訪れるウォーキング大会が開かれました。

琉球万次郎会徳元孝進会長:
「〈万次郎には〉日本を何とかしたいというような一つの大きな希望があったという事ですね」「大渡浜に上陸したのは大きな意義があると思うんですよ」

高知県出身のジョン万次郎〈本名・中濱万次郎〉は、14歳の時に漁に出たあと遭難してしまいアメリカの捕鯨船に救助されます。

船長に可愛がられた万次郎は養子となり、日本人として初めてアメリカに足を踏み入れ英語や航海術などを学びました。

後にペリーが日本を訪れた際、幕府側の通訳を務め鎖国の政策をとっていた日本を開国へ導き、近代化に貢献したとして讃えられています。

1851年の2月旧暦の1月3日、万次郎は10年間過ごしていたアメリカから日本に戻るため現在の糸満市・大渡海岸を訪れました。

4日、万次郎のことを語り継ごうと有志で結成した市民団体が、沖縄での足跡を辿ろうとウォーキング大会を開催し、子どもから大人までおよそ50人が参加しました。

一行は、上陸した万次郎の目的などのを聞き取りが行われた「間切り」の跡地などを訪れ当時、万次郎が食べたと言われるふかし芋を試食しました。

男の子:
「美味しいしずっと食べたら飽きるんじゃないかなと思いました」
「(万次郎が)船で来るから大変だろうなと思いました」

Q参加した理由は?
女の子:
「ジョン万次郎がどんなところで歩いたのか知りたかったからです」

およそ12キロの道のりの最後は万次郎が滞在の間、住まいにしていた豊見城市・翁長の屋敷高安家を訪れました。

ガイド:
「ひんぷんは当時から〈あるもの〉」「いつも(家主が)仰っていたのは万次郎はこの石を飛び越えてよく遊んでいた」

ゆかりの地を辿った参加者たちは、万次郎をいっそう近くに感じることが出来たようでした。

男の子:
「ジョン万次郎がよくあの距離を移動できたと思った」「自分(万次郎)とは合っていない国とよくあの中で勉強などを一緒に出来たなと思いました」

女性:
「(万次郎の足跡には)大切なことがいっぱい散りばめられているんですよ」「その大切なことを自分がしっかりと納得して、そのことを自信を持って後世に少しでも伝えられたらといいかなと思っています」

琉球万次郎会徳元孝進会長:
「西洋文明にまだ接していない時期に交渉する場合に万次郎の働きが大きかったと日本の夜明けは大渡浜からと」

日本の開国に尽力したジョン万次郎と沖縄の交流は地域の誇りとして、何世代にも渡って受け継がれています。

沖縄テレビ
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