避難指示の一部解除、一方で仮設住宅の退去期限迫る

東京電力福島第一原発事故で避難指示を受け、公務員宿舎などの応急仮設住宅に身を寄せた住民の退去期限が3月末に迫っている。今回、期限を迎えるのは、原発事故の際、「避難指示区域」として強制的に避難をさせられた富岡町、浪江町、飯舘村の住民である。

11日、東日本大震災・首相官邸献花式

富岡、浪江、飯舘の3町村の住民は原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。
つまり、被災者たちは強制的に避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである。

被災者が住む応急仮設住宅の中には公務員宿舎が仮設住宅扱いで被災者に提供された場所もある。東京都内では、江東区東雲にある公務員宿舎が被災者に提供され、そこに避難をしていた被災者も3月末に退去期限を迎える。

東京・江東区東雲の応急仮設住宅(公務員宿舎)

東雲住宅は都内では最大の応急仮設住宅で、36階建て、総世帯数900戸のうち、18階以上が応急仮設住宅として提供された。元々は被災者約400世帯が住んでいたが、まずは自主避難者が退去対象となり、自ら退去した世帯もあり、現在は、だいたい半分の約200世帯が退去期限対象となっている。

応急仮設住宅の供与期間について送られてきた資料

一方、富岡町、浪江町、飯舘村では徐々に避難指示が解除されてきている。そして、その避難指示の解除に歩調を合わせるかのように、仮設住宅からの退去期限が設定されてきた。

しかし、被災者は「『戻れるようになったのだから出て行ってください』と言われても生活の基盤は既に東京にあり、元の場所に戻っても、仕事など、生活のメドは全く立たない」という。

「戻れるのだから出て行け」と言われている気がします

浪江町から避難してきた斉藤達也さん(24・仮名)も、そんな一人。
斉藤さんは中学生の時に、被災した。

「正直、浪江は『子供の時の思い出の町』という感じで、今はもう東京での生活が当たり前になっています。浪江には戻れるけど、戻っても仕事もないだろうし、生活はしにくくて、先が全く見えないんです。東京の方が、いろいろ可能性もあるような気がするし」

被災した当初、斉藤さんは親とは離れ、兄弟とともに子供たちだけを集めた専用の施設に入れられた。その後、東雲の公務員宿舎を仮設住宅として提供され、親兄弟と一緒に住むことが出来るようになった。そして都立高校に進学。さらに専門学校に進学し、卒業後は派遣社員、アルバイトなどをしながら生活をしている。

「私はまだ東京になじめたから良かったんです。でも、弟はこっちで『福島出身の被災者』ということで『いじめ』にあったりもして不登校になってしまったんです。父も都内で仕事をしたんですが、元々が自営だったこともあり、使われる立場で、しかも割に合わない仕事だったので、かなり苦労していたようです。母は、弟のこともあり、東京は早く離れたいと言ってましたね」

福島県のHPにも掲載「応急仮設住宅の供与期間について」

今回の退去期限については「『避難指示』が出たから避難しろ。『避難指示解除』で戻れるようになったのだから仮設住宅からは出ていけ、と言われているような気がしますよね」「父の仕事や弟のこともあり、両親と弟は一旦浪江に戻りました。でも、私は浪江に戻っても何もできない気がするので、東京に残ったんです」

「これ以上わがままは言えない」

迫る退去期限、今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」

被災者の住処を奪うことでネットカフェ等で寝泊まりするような人を生み出すことになるかもしれないことが窺われる。
斉藤さんによると、被災者は「退去しないと裁判を起こされるのではないか」と恐れているという。
自主避難をしてきた被災者が2年前に退去期限を迎え、その後も残り続けた人たちに対して住宅の提供元となっている福島県の議会が、2019年11月、裁判を提訴することを可決した。次は自分たちなのではないかと言うのである。

被災者の気持ちを斉藤さんは「すごく多くの人に助けられて、すごく迷惑をかけているという気持ちがあるんです。だから、これ以上わがままは言えない」と表現する。

「でも、実際に出ていくことになったらどうすればいいのか…」

斉藤さんたちの住む東雲の国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

(執筆:フジテレビ情報制作局 森本太郎)