課題に“急ぎ過ぎ”と批判も…村井知事「クビ覚悟で」

3月17日、閉会した宮城県議会2月定例会。
宿泊税の導入をめぐって紛糾も予想された2019年度最後の議会は、村井嘉浩知事(59)が新型コロナウイルスの影響を考慮して、急きょ議案を撤回、一転して無風状態となった。

スピード感のある政策を誇る村井知事に対し、「急ぎ過ぎ」との批判も聞こえる中、知事は「クビを覚悟でやっている」と自らの姿勢に胸を張った。

村井嘉浩知事:
わたしは、県民の皆さんには理解していただけると信じてやっている。駄目だったらクビにしてもらうしかないと覚悟してやっている

2020年、就任から15年目を迎える村井知事。東日本大震災後は、強いメッセージとスピード感のある政策で、宮城の復興をけん引してきた。

ところが、ここにきて、知事の政治手法に陰りが見え始めている。

宿泊税の導入や水道運営権の民間譲渡、さらには美術館の移転・集約など、県民には唐突とも思える提案に、「急ぎ過ぎ」との批判が集まっている。

ーーどうも知事が突っ走っているぞと、そういう声が聞こえてくるんですが、そうした声は知事の耳には入ってきませんか?

村井嘉浩知事:

(批判は耳に)入ってくる。わたしの仕事は、県民の中で一番、県のことを心配しなくてはいけない立場。それがわたしの役割だと思っているが、これから25年間で50万人も人口が減る。230万人の人口が180万人に、たった25年間で。生まれた子が25歳になるまでに50万人も人口が減る。今まで経験したこともないこの減り方が、あらゆる分野に影響を及ぼすと思う。わたしはそれが本当に心配でならない

県が想定する将来の人口推移は、今後25年間に県の人口は、約50万人減少。その結果、税収が下がる一方、社会保障費の負担は増し、暮らしに大きな影響を与えるとしている。

村井知事は、「急ぎ過ぎ」との批判について、「むしろ遅いくらい」だと反論する。

村井嘉浩知事:
もっとスピードを上げていかないと、時代の変化についていけない。人口減少についていけないと思う。水道も美術館も、宿泊税の問題にしても、根本はそこにある

課題には8,000Bq超の指定廃棄物問題も

こうした中、2月、女川原発2号機の再稼働に必要な審査に、原子力規制委員会から正式な合格が出された。再稼働には地元の同意が必要とされているが、住民からは避難計画の実効性に対する疑問など、さまざまな反発も予想される。

求められるのは、スピード感とは真逆の慎重な対応。

村井嘉浩知事:
住民説明会の様子をわたし自身も全てではないが、行けるときは行って話を聞く。その後、県内の市町村長の意見や、30km圏内の自治体の首長の意見や、実際に立地している石巻・女川の首長の意見を聞く。さらに、県民の代表である県議会の考え方を聞く。そういったものを最終的に総合して、わたしなりの考えをとりまとめて経産相に返事する

一方、県の復興計画が終わる2020年度いっぱいでは解決できない見通しとなっているのが、8000Bq(ベクレル)を超える指定廃棄物の問題。

県は、国と市町村との議論を一旦棚上げし、基準値を下回る汚染廃棄物の処理を進めてきたが、その間、国の指定廃棄物への対応は止まったまま。

村井嘉浩知事:
指定廃棄物の中にも、すでに8000Bqを切ったものがある。ところが1回指定してしまうと、8000Bqを仮に切っていても、一般廃棄物のカテゴリーに入れられない。皆で話し合って、8000Bq以下をどうするのかということを協議したい。それが仮にうまく片付いたとしたら、8000Bq以上の指定廃棄物をどうするんだという議論に入りたい

ーーそれはいつごろ?

村井嘉浩知事:
わからない、もう早く。わたしは、それを終えて、初めて復興だと思っているので

新型コロナウイルスの感染が広がり、震災犠牲者の追悼式が各地で見送られた2020年。新たな感染症の問題は、津波や台風といった自然災害とは異なる不安をわたしたちにもたらしている。

村井嘉浩知事:
自然災害は、発生したときの影響の大きさが被害のマックスで、そこから先はだんだん収束してくる。今回の場合は、いつ終わるかわからない。どれくらい被害が広がるかわからない。全国の支援が集中してもらえるわけでもない。そういう意味で、わたしは非常に不安

ーーその影響で復興に遅れも?

村井嘉浩知事:

十分あると思う

村井知事「自分が正しいと思う宮城創りあげる」

震災から9年。村井知事は、インタビューの最後を復興の総仕上げに向けた決意でしめくくった。

村井嘉浩知事:
自分なりに計画を立ててやってきているが、簡単にはいかない。難しい。次の選挙に受かるために何かをやるということはやらないで、自分の目指す宮城。自分が正しいと思う宮城を創りあげるんだという決意でやって、それを結果的に県民の皆さんに選挙という形で審判を受ける。これがわたしは正しい姿だと思ってやっている

(仙台放送)