デモ隊カラーの黒い服で中国に向かい拘束される
香港の男性が中国・深圳に入る際、イミグレーションで身柄拘束された。現地メディアによると、男性は本土の工場に仕事で行くところで、デモ隊が着る黒い服を着ていたため拘束された。男性はスマホを調べられパスワードを教えろと要求され、写真やチャット記録で6月のデモへの参加がばれたという。他の黒シャツの数人も拘束されスマホを調べられ、デモ関連の写真を見つけられた。男性らは深圳の公安局に移され、写真撮影やDNA採取などを受け、デモ参加の理由、逃亡犯条例改正への賛否などを聞かれ、反省文も書かされ7~8時間後に解放された。男性は「6月に平和的にデモに参加した以外、何も参加していない」と話した。

これこそ、デモ隊がそもそも反発し懸念する、「逃亡犯条例が改正され、反中国デモに参加したことで罪に問われ中国本土に身柄を送られたらどう扱われるか」を実証したようなものだが、中国政府が、あらゆる手でデモ隊を牽制しようとする現れだ。
中国はさらに航空当局が、香港拠点のキャセイパシフィック航空に対し、抗議デモに参加したスタッフを本土路線の業務から外すことや、本土路線に乗務するクルーの情報の提出を求める警告を出した。デモ参加への新たな牽制だ。
中国本土への容疑者引き渡しを可能にする条例改正に反対するデモは、中国との対立も激しくなる一方だ。観光客も多いスターフェリーの乗り場の中国国旗がデモ隊に下ろされ海に投げ捨てられたり、出先機関の国章が卵や墨で汚されたりなど、中国への攻撃が相次いでいる。

棍棒でデモ隊を襲う男たちは親中国ギャング?
「あっちに行っては危険だ。棒を持った男達が待ち構えている」。取材で現地入りした我々が、香港島の北角(ノースポイント)の地下鉄駅を出ると地元の人が何人も声をかけてきた。その直前、地区の中心部にデモ隊が集まってきたところに、棍棒などの武器を持った男たちが襲いかかったのだ。
ネットにアップされた映像では、長い棒を持った男らがデモ隊を激しく殴り、物を投げつけ衝突していた。地元の人によると、周辺には、中国・福建省にルーツを持つギャングのような集団がいる地区があるという。確かに目つきの鋭い、明らかに雰囲気の違う男達がデモ隊を見つめ、写真を撮っていた。襲撃理由は定かではないが、親中国の住民にデモ隊への激しい反発があることは予想される。

制圧訓練動画でデモ隊に介入を警告~中国はそろそろ“キレる”?

戦車に機関銃に、ヘリからミサイル・・・。香港駐在の人民解放軍は、訓練映像の公開でデモ隊を牽制し、司令官も「暴力は絶対に許さない」と警告した。また、境界を挟み隣接する深圳で、黄色いヘルメットの集団を警察が催涙弾で制圧する訓練映像も公開され、香港の中国政府に近いテレビ局ではニュースで繰り返し放送していた。
「香港政府がコントロールできない動乱が現れれば中央政府は絶対に座視しない。動乱を平定する多くの方法と強大な力を十分に有している」。中国政府の香港担当トップは、直接介入を匂わせデモ隊に警告した。なお“動乱”は、1989年の天安門事件の際に中国共産党機関誌の人民日報で学生デモを批判するのに使われ、その後、学生や市民の反発が拡大し事件につながった言葉だ。そろそろ本気でキレるぞ!と拳を振り上げているも同然だ。

デモは“革命”目指す反政府・反中国運動に?
しかし香港・中国両政府への抗議は過激になり警察との衝突も激化している。デモ隊は、全土でのゼネスト、繁華街占拠などに加え、警察署を包囲し、投石し、最近は火をつける行為も目立つようになった。対する警察は、デモ隊を殴ったり、昼でも繁華街や住宅地でためらいなく催涙弾を使うようになってきた。東京なら渋谷や六本木、大阪ならキタやミナミの真ん中で催涙弾が飛び交うような状況だ。催涙弾が住宅に飛び込み乳児が煙を吸ってしまったとの報道もあった。

そもそも香港市民の中国への反発は高まり続けてきた。本土からの観光客だらけの街には北京語があふれ、流入人口も増え続け、中国マネーで不動産は高騰し香港人も手が出ない状況だ。行政長官は実質的に中国政府が支持する候補しか選ばれないなど選挙制度への不満も大きく、デモで「普通選挙を求める!」とのスローガンもある。

その中で起きた条例改正問題は、司法での中国の影響拡大、一国二制度の終わりにつながるとの猛烈な危機感を生んだ。デモでは最近「光復香港・時代革命」(香港を取り戻す・私達の時代の革命)という言葉が目立つようになった。抗議運動はもはや幅広い反政府・反中国運動に発展している。
「暴力的なデモ隊の隠れた動機は、香港を破壊し、一国二制度を危機にさらし、彼らが呼ぶ“革命”を進めることだ」林鄭月娥行政長官は、デモ隊を批判した。
確かにこの破壊と混乱が続けば香港は深刻な影響を受ける。ただ、市民が激しい声をあげ続ける理由は、中国政府が「香港を破壊し、一国二制度を危機にさらし、“革命”を進める」ことへの恐怖なのだ、ということを林鄭長官はどう考えているのだろうか。

