てつたま。「てっちゃん野川のローカル魂」です。
前々回からこの本「オノテツの車窓から」を道しるべに、かつて尾道にあった尾道鉄道の廃線跡巡りをお届けしています。今回で尾道鉄道廃線巡りは3部作・完結です。それでは…

【野川キャスター】<前回のVTR>
「あ!見えました。わっー、あれは間違いなく、尾道鉄道のトンネルですね」

今から60年前に廃線となった尾道鉄道。尾道市街地と当時の御調郡御調町の市を結ぶおよそ17キロの路線でした。

今回は御調町の民俗資料館からスタート。
ここで尾道鉄道に関する資料が展示されているそうなんです。

【御調地方歴史文化研究会 住貞 義量 会長・野川キャスター】
「こんにちは」「こんにちは」

ここで私を待っていたのは資料館を管理する住貞さんです。
館内には御調町内で使用されていた生活用具や農機具など800点を超える民俗資料が展示されています。
私、貴重な尾道鉄道の資料と対面しました。

【御調地方歴史文化研究会 住貞 義量 会長・野川キャスター】
「住貞さん、こちらが…ここに、そのものズバリ書いてありますね」「尾道鉄道ですね」「尾道鉄道株式会社。名所案内ってホームに立ってたりしますが、それだっていうことですか」「そういうことですよね?まさにね」「文言だけで名所とどの位の距離かっていうのが書いてあるのもありますけど、これは丁寧ですよね。しっかりこうイラストで書いてある」

この看板は、尾道鉄道の諸原駅に設置されていた周辺の観光名所を紹介する看板で1955年に撮影された写真にもしっかり写っています。

【御調地方歴史文化研究会 住貞 義量 会長・野川キャスター】
「温泉があったんですよ」「温泉があったんですか」「ですからここへ温泉が」「ありますね。
温泉マークが確かに」「諸原の附近にこの仙人がいたと言うことで、浄聞房言うかね。
仙人の足跡もありますから、石へ」「仙人がつけたであろう足跡が。ここは、かなり全盛期は賑わったんじゃないですか?」「そうですね。特に仙人がいたということで、近郊から来て、人がもう、どう言うんですかね?ものすごく多かったと、この桜…桜が電車に入る。そして、またトンネルの中でも。その電車から桜が見えたり、言うのでね。桜吹雪が」「はあ、風流な鉄道だったんですね。桜花隧道ですからね。温泉があってハイキングコースがあって、これちょっと土日のね。ちょっとした小旅行にはピッタリじゃないですか。子供の頃の住貞さんの思い出はありますか?尾道鉄道のこの辺り」「もう朝5時…」「歩いて?」「5時頃から歩いて、ここの市駅まで。電車に乗って、そして、この尾道から今度は、三原まで蒸気機関車へ乗って行ってました」「山陽線乗り換えて」

観光看板が設置されていた諸原駅は、尾道鉄道の中でも少し特別な構造だったそうで、今でもその痕跡が感じられるということです。

【野川キャスター】
「諸原駅の跡の周辺にやってきました。諸原駅は終点の市駅から一駅だったということで。
ちょっと特別な構造をしていまして、これがスイッチバックですね」

鉄道で急こう配を登るためにジグザグと折り返しながら斜面を登るのがスイッチバックです。坂が多い尾道鉄道の路線の中でも、諸原駅は唯一のスイッチバックの駅でした。

【野川キャスター】
「おそらくですが、あの辺りが諸原駅の構内といいますか、諸原駅がこの辺りにあったのではないかと思います。私が今登ってきたこの、左奥の道があります。ここがですね、奥の方から市駅を出た列車が上ってくる。諸原駅に入った後に方向を変えて、あの先、今工場になってますが。あそこまで、ぐーと上っていって、尾道駅のほうに上っていったんだと思います。まあ、今ちょっと痕跡を探すのはなかなか難しいですけど。ただやっぱりこう、ふと冷静になってみると、何かここにあったんだろうなという。おそらく、これが桜の木なんだと思いますけど、一種こう、この雰囲気合わせると桃源郷じゃないですけどね。ちょっとこう別世界に来たような、そんな素敵な光景が広がっていたのかもしれないですね」

最後は諸原駅の次の駅、終点・市駅があった場所へ到着しました。
現在はバス会社の車庫になっています。

【野川キャスター】
「ちょうどこの辺りに駅があって、終着駅ですから、規模も少し大きめの市駅があったということですよ。ここからあちら側にかけてがいわゆる、駅前通りと言いますか?
今からちょっと想像もつきませんが、この辺り、本当にとてもにぎわっていた所なんだそうです。そこの橋がちょっと駅であった、ここが駅であったということ。ちょっと名残があるということで。これですね、これですね、はい。この橋の名前。駅前橋です。すぐあちら側、駅だったということで言えば確かにここは駅前で。その橋、駅前橋だったんだなと思いますよね」

ここまで、尾道鉄道の廃線跡巡りの道しるべとして使ってきた『オノテツの車窓から』。
最後にこの本をまとめた林さんに話を聞くことができました。

【尾道新聞社 林 良司 記者・野川キャスター】
「結局、この尾道鉄道が目指したもの。見果てぬ夢というところですけど」「やっぱり陰陽連絡、山陰と山陽つなぐ鉄道っていうところがね、最初の構想で、でも、それも早いうちに頓挫しちゃって、それ叶わなかったわけですけど。でもなんか現代を見た時に、尾道松江線が尾道起点に松江まで開通しましたけど、なんかオノテツが果たせなかった夢が、鉄道から道路に変わって。そこでなんか奇しくも果たされたのかなという気もしたりもします。
仮にオノテツが、その陰陽連絡で残っていても、厳しかったんだろうなっていうのは福塩線の今のね。事情とか見ると思ったりもしますけど」「こうして、書籍にも林さん、まとめられてと言うことになりましたけど、やはりこの尾道鉄道がこの辺り走っていたんだよというストーリーは紡いでいきたいですよね」「ですよね。それぞれね、まだ証言される方がいらっしゃいますので、そういう方の証言。思い出話を一つ一つ拾い出して。で、なんかそれを一応まとめて。後々までね、それが残って皆さんに見ていただければ、まあオノテツは消えて、思い出も消えるんでしょうけど、でも何かそれが、語り継ぐものになればいいなと思います」

廃線から半世紀以上が経過し、町も姿を変え、尾道鉄道のことを知る人は少なくなりました。
しかし、その跡をたどれば鉄路の痕跡は今もひっそりと息づいています。

<スタジオ>
【野川キャスター】
本当に地元の人に尾道鉄道の事を聞くと楽しそうに“オノテツ”がねって、話してくださるんですよね。尾道鉄道、未だに皆さんの心の中を走っているんだなと思いました。

テレビ新広島
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