4年ぶりとなったおきなわマラソンで県勢トップでフィニッシュし準優勝した濱崎達規選手。

まれにみる激しいレースとなった今回の大会の背景には、全国トップクラスのライバルに挑んだランナーとしての矜持がありました。

4年ぶりに開かれたおきなわマラソン。マラソンの日本代表を決めるMGC・ファイナリストの実力を発揮した愛三工業の富安央が大会を制しました。

富安のフィニッシュに沸く歓声の中、競技場内に入ってきたのは県勢のなんじぃAC・濱崎達規。

濱崎選手
「頭の中は富安くんばっかりで。自分の最善を尽くしても一枚二枚上手で、勝つことができなくて。もう一回やれと言われてもあのレースすると思いますし、それを貫いたので悔いはないって感じですね」

42.195キロのレースで濱崎がしかけた勝負とは。その舞台裏です。

レース当日の朝。選手が続々と会場を訪れる中一向にその姿を見せない濱崎。

会場から離れた場所で1人黙々とウォーミングアップを続けていました。

号砲の直前に濱崎の出場を知り驚く選手もいました。

スタートの号砲が響き、ここからおきなわマラソンの歴史の中でも指折りの激しいレースが始まります。

レースナンバー134番・外間勇太と飛び出した濱崎。

この時のペースは1キロ3分10秒。これは2時間20分を切りの大会記録の塗り替えも狙える「ハイペース」。

ここに食らいついたのは富安央と黒田雄紀でした。

濱崎が意表をつくレース展開をしかけたのには富安選手への競技者としての「リスペクト」がありました。

かつて東京オリンピック日本代表の座をかけたMGCに挑んだ濱崎。自身が持つ2時間11分26秒の県記録はこの時作ったものです。

マラソン人生の終盤と語る濱崎の年齢は35歳。

1つ1つのレースに「出る意味」を見出し、県外の高いレベルのレースに身を投じてきた濱崎が、ぎりぎりまで迷っていたというおきなわマラソンへの参加を決めたのは富安央の出場でした。

濱崎選手
「愛三工業の富安くんが出てくれる。自分が出る価値があるな。方やMGC取った選手。自分は取れなかった選手なので力の差は歴然ですし、出るからにはしっかり隙を突くような走り。狙っていくような走りはしないといけないなと。それが逆に礼儀だと思うので、しっかり全力でぶつかりたい」

レース中盤までペースメーカーを務める後輩の外間勇太と最期の調整を続けていました。

富安が想定していたであろうペースを上回るハイペースで入った濱崎と外間。

スタート直前まで自身の存在を隠したのもこの展開を「想定外」とさせるための戦略の1つでした。

6キロ地点、外間のさらなるペースアップに先頭集団から離れた富安・黒田。

「作戦がはまったか」と思われましたが、2人のランナーは動じることなく時間をかけて差を詰めます。

10キロ地点を過ぎ勝連城跡に続く最初の上り坂、大会記録を上回るペースに体力が尽きかけた外間に代わり前に出たのは濱崎。

まだレースは序盤、ほかの2人の後ろにつくという選択肢はなかったのでしょうか。

濱崎選手
「あれも想定外ではあったんですけど。場所も場所であそこがもろ地元だったので。中学校の時に練習していた場所なんで地元の与勝中学校周辺は。ここ県外の人に走らせるわけにはいかないな。自分が先陣切って行くしかないなって。見てる人が熱くなるぐらいのレースをしないと」

「戦う姿勢を見せる」ランナーとして矜持が濱崎の走りに表れます。

13キロ地点、最初の勝負をしかけ一時富安との差が広がります。

16キロ地点で再びペースをあげた濱崎。2人を大きく引き離していきます。

通常のレースならばここで勝負がついてもおかしくありませんでしたが相手は全国トップクラスのランナー富安央。

黒田と息をあわせ冷静に距離を詰めていきます。

濱崎選手
「やっぱり流石がだなぁ。この感覚っていうのが、かつて実業団だった時の感覚。力のある選手はできるんだよなと思いながら」

21キロを過ぎてトップにたったのは富安。前半戦で万策尽きた濱崎にはもはや遠ざかる背中を追うだけの体力しか残されていませんでした。

濱崎選手
「絶対勝ち切ってやるという気持ちで、スタート地点おらおらでいって。ぜってーきょう勝つぞ。ぐらいの気持ちで行ったんですけど、全然太刀打ちできなくて。それぐらい、次考えられないくらいきょうは出し切れたかなと思いますね。自分のスタイルを貫けたというのが、自分の中では満足しているところです」

ハイレベルなレースの中で、記録を狙う以上に、勝負する気持ちを前面に走り切った濱崎達規。

戦う姿勢を貫くランナーがこれからのステージでどんな姿をみせてくれるのでしょうか。

沖縄テレビ
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