福島県二本松市の渡邊健さん(55)は、30歳の時に網膜の細胞に異常が起きる進行性の難病「網膜色素変性症」を患った。健さんの目となり光となっているのが、妻の千春さん。互いに感謝をし尊敬しあう2人から、家族について考える。

教職は天職 しかし全盲に

大学時代の同級生だった2人。お互いに教員の道に進み、健さんが27歳、千春さんが25歳の時に結婚した。

学生時代の健さんと千春さん
学生時代の健さんと千春さん
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“天職”と言えるほどやりがいを感じていた教員の仕事。充実した日々の中で感じた目の違和感は、徐々に光を奪っていった。

天職と言えるほどやりがいを感じていた教員時代
天職と言えるほどやりがいを感じていた教員時代

天職を離れるという選択肢

健さんは「縦書きが読めなくなってくるし、子どもの顔も見えなくなるし、できないことがどんどん積み重なってくる。その中で不安を感じるんです」と当時の心境を語る。

できないことが積み重なり不安に
できないことが積み重なり不安に

また妻の千春さんも「主人も不安だったと思う。見えなくなってくることも不安だし、周りが変わってしまったら嫌だなと思っていたと思う」という。

当時の夫の心境を慮る妻・千春さん
当時の夫の心境を慮る妻・千春さん

千春さんは健さんから「見えなくなっても、自分に対しての気持ちは変わらないんだろうか?」と言われたこともあったという。そんな健さんの不安に押しつぶされそうな心を、千春さんが支えた。

目が見えなくなっていく不安…妻が寄り添う
目が見えなくなっていく不安…妻が寄り添う

千春さんは「教員を辞めてもいいんだよ」と声をかけたという。健さんは「こんな単純なことを、なぜ自分は選択肢に入れてなかったのかと思ったときに、自分は意外と危ないところにいたなと思った」と振り返る。

妻の一言に救われる
妻の一言に救われる

鍼灸という新たな道へ

46歳で教員を退職した後、視覚支援学校と大学院に通った健さん。鍼灸の国家資格などを取得し、2021年に「銀の森治療院」を開業した。確かな技術と人柄に、多くの人が“健先生”を頼りにする。利用者は「先生は色んな話を聞いてくれるので、心も身体も軽くなって帰れる。来る前日からウキウキで、楽しみにしている」と話す。

46歳で教員を退職した後、鍼灸の国家資格を取得
46歳で教員を退職した後、鍼灸の国家資格を取得

健さんは「新しい仕事をするうえで、家族が見てくれていることがエネルギー。簡単にいうと、格好つけたい。格好つけたい相手がいるのは幸せなこと」と話してくれた。

家族には格好をつけたいという健さん
家族には格好をつけたいという健さん

妻への感謝

全国の鍼灸師などが集まる学会に、2人の姿があった。健さんの研究論文が、鍼灸界で権威ある賞「高木賞奨励賞」を受賞した。

健さんの研究論文が、鍼灸界で権威ある賞を受賞
健さんの研究論文が、鍼灸界で権威ある賞を受賞

「千春さんがいなければ、そもそも僕は学びを深めようと思わなかった」と話す健さん。努力が認められた晴れの舞台でも、そばにはいつも千春さんがいた。

いつもそばには千春さんが
いつもそばには千春さんが

スピーチで健さんは「今、同席させていただいている妻・千春が、心も支えてくれている。私事で申し訳ないがこの場をお借りして、伝えさせていただきます」と千春さんへの感謝の言葉を送った。

晴れ舞台のスピーチで妻への感謝を伝えた健さん
晴れ舞台のスピーチで妻への感謝を伝えた健さん

千春さんは「感謝してもらっていると伝えてもらえるのは嬉しい。見えない画像も処理して、それで一つまとめるのはすごく大変なこと、目が見えている私はやってないですから。目が見えていないうちの人がやったわけなので、すごいなと思う」と話した。

千春さんからは夫を尊敬する言葉が
千春さんからは夫を尊敬する言葉が

家族は失いたくないもの

これまでの夫婦生活。変わったこともあるが、2人の笑顔は変わらない。最後に2人に聞いた「家族とは?」
千春さん:失いたくないもの
健さん:ずっと居心地よくて、ずっと続くと思うけど、実はそんなに人生甘くないから、はかないけど。千春ちゃんが言ったように、失いたくないものなんだな

家族とは「失いたくないもの」
家族とは「失いたくないもの」

そして「家族は支えあうもの」としてこう続けた
健さん:僕は人生を支える一部になっているのですか?
千春さん:なってます。ありがとうございます。

笑い合う2人の姿に、理想の家族像が見えた気がする。

(福島テレビ)

福島テレビ
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