初めて千歳に飛行機が降り立った100年前のあの日もみんな興味津々だったはず。
当時の飛行機の原寸大の模型が展示された。
「今、自分たちが飛行機を利用し、いろんな所へ行けることにつながるのだと誇らしい」(千歳市民)
「3人しか乗るところない。窓どこ?窓もないよ。窓ないよ」(子どもたち)
千歳に空港ができてから100年―
千歳に空港ができて10月22日で100年を迎える。

今では国内線27路線、国際線13路線が就航。
中でも新千歳・羽田便は、2025年日本で初めて利用客が1000万人を突破した人気の路線。
2025年は空港自体の利用客も過去最多の約2600万人を記録した。
世界のスーパースターも北海道への第一歩は千歳市の空港から。

「地球は青かった」と話した旧ソ連の宇宙飛行士・ガガーリンの目に空港はどのように映ったのか。
「開港100年を迎え、現在では世界各国との空の玄関口となっていますが、その空港は地域住民らの手によって作り上げられてきたものでした」(木村洋太記者)
「住民の想い」が空港のルーツ
「(Q:飛行場を作った当時は?)工事というものではない。邪魔になるような木を払っただけだから。あとは何もない平らな火山灰だから」(当時飛行場づくりに参加した男性)

100年前、当時の千歳村の住民が「近くで飛行機を見てみたい」とつくったのが空港のルーツ。
長さ200メートル。
まだ木の根が残っているような飛行場に、新聞社の1号機が着陸した。
「みんな鍬を持って出てこいと言うので、1日やった。(1号機が飛んできた時は)熱狂的。飛んでくるという話を聞き、家から飛行場まで走ってきたのを覚えている」(当時飛行場づくりに参加した男性)

1951年には千歳と羽田を結ぶ定期便が就航し、大勢の住民が祝った。
当時はまだ1日1往復。
不安を抱えながら始まった土産店
「飛行機の発着は今とは比べ物にならないぐらい少ない。それに耐え続けて今があり、その苦労はすごかった」(小笠原商店 小笠原琢社長)

小笠原琢さんは土産店の4代目。
店は1963年、千歳空港のターミナルビルが開業した時から営業を続けている。
空港ビルに出店するという不安を抱えながら店は始まったという。
先代からつないできた思いがあった。
「北海道の玄関口にあるお店なのでホテルでいうとドアボーイを目指して頑張りなさいと言われてきた。国際線ができ始めて、ここまで千歳が注目される空港になると想像していなかった」(小笠原社長)
千歳市の前市長は
1981年には成田経由のハワイ・ホノルル線が就航した。
北海道からの海外旅行は身近なものに変わっていき、1987年には千歳空港の利用客が1000万人に達した。
「見る時はやはり思いが出てくる」(千歳市の前市長 山口幸太郎さん)

行き交う飛行機を眺める山口幸太郎さん。
2023年まで千歳市の市長を20年間務めた。
「民間航空として発展していく姿、成長の度合いをこの目でずっと確かめてきた」(山口前市長)
空港ビル開業時、こんな一幕も…
「これまでの滑走路から南東へ1.5キロのところに新千歳空港の3000メートル滑走路があります」(当時の記者リポート)
航空自衛隊と滑走路を一緒に使っているため手狭となった千歳空港は、民間機専用の新千歳空港へと移った。
1992年、現在の空港ビルが開業する時にはこんな一幕もあった。

「一人ひとりが責任を果たし安全作業でやりぬこう!ヨシ」
最終便のあと、古いターミナルビルから大急ぎで新しいビルへ引っ越した。
1000人以上のスタッフが段ボール3万5000個や精密機械、そして飛行機をたった一晩で移し終えた。
新しくなった新千歳空港にはJRの駅も直結し、利便性が格段に良くなった。
住民の反対も
一方、その裏側では…
「(道議会議員だった頃)24時間開港に向けて、市民の合意を得ることが大切だと、必要性などを議会で議論した。それはいい思い出」(山口前市長)
「ちょうど屋根の上を飛んでいる。昼間の時間帯は我慢しなければいけないことは自覚しているが、深夜に飛ぶことは反対している。深夜に飛ばれると眠れない」(千歳市民)

国際的な物流拠点にしようと、道が新千歳空港の24時間運用を打ち出すが、周辺の住民から理解は得られない。
「国の事業だから知事とやり合う向こう側には国がいる。そこをにらんでの議論で、大きな議論だった」(山口前市長)
千歳市や苫小牧市の住宅などに騒音を測定する装置が取り付けられた。

深夜・早朝のテストフライトで住民への影響を調査したほか、住民に頭を下げ、協力を求めた。
「今回の対策案提示後は一層頻繁に住民の家を訪れ、協力を求めました」(当時の記者リポート)
1994年、「貨物便を1日6便のみ」という条件で24時間運用が始まった。
山口さんが市長だった時代には市民との対話を重ね、「30便」に拡大した。
「市民の理解がないと、空港だけの発展というわけにはいかない。空港の発展とマチの発展・市民生活の向上は付き物でないといけない」(山口前市長)
現在も空港周辺の住宅には防音工事費用の助成が行われている。
開港100年から、その先へ―
「信じられないことに社長就任以降、気付くまで本社の女性用トイレが和式のままだった。すぐやれということで洋式に替えたり、まだまだ職場環境の整備が十分でないところもあるので、職員の声を聞き、どんどん進めていきたい」(北海道エアポート 山崎雅生社長)

2025年6月、新千歳空港を運営する北海道エアポートの社長が交代した。
まだまだ改善すべき点が少なくないようだ。
12月には初の北米路線が就航。
新千歳とアメリカ・サンフランシスコ、そしてカナダ・バンクーバーがそれぞれ直行便で結ばれる。
北海道の空の玄関は開港100年からその先へ、さらに翼を広げようとしている。
