スポーツクラブは、売るものを持っていない
この言葉を最初に聞いたとき、妙に腑に落ちた。元サッカー日本代表監督・岡田武史氏がサイボウズ社長・青野慶久氏との対談で語った一節である。
売るものがない、しかし元気や夢や勇気を売らなければならない。
この逆説の中にこそ、地方とプロスポーツの関係を考えるヒントが潜んでいる。
10年前の問いが巡る運命の糸
時計の針を10年前に戻そう。
2016年、まだJリーグ昇格前だったFC今治のオーナーに就任したばかりの岡田氏に、今治出身の青野氏はインタビューしていた。
岡田氏は当時からすでに、スタジアム単体では地方は動かないと確信していた。人口16万人(2016年当時)の愛媛・今治市でJ1昇格時に必要な1万5千席を満員にするのは、どう考えても無理だ。西条市・新居浜市・四国中央市を合わせても人口は50万人。本州からしまなみ海道を渡ってもらえば。そう逆算したとき、スタジアムはただの競技施設であってはならず、そこに来ること自体に価値がある「複合型スマートスタジアム」でなければならないという結論に至った、と彼は語った。
この発想に、青野氏は当初ついていけなかったという。「今治の人がついてこられるのかな」と、ずっと気になっていたと本人も率直に認めている。

ところが、だ。
その懐疑が確信に変わるまでに9年かかった。「夢スタ」こと「ありがとうサービス.夢スタジアム」が生まれ、次に「今治里山スタジアム(現・アシックス里山スタジアム)」が完成し、今や増席を重ねて9000席近くに迫ろうとしている。民設民営という形で、着実に。青野氏の言葉を借りるなら「夢を見てる感覚」の連続だったはずだ。

愛媛オレンジバイキングスという「次の挑戦」
そして今度は青野氏自身が挑戦者になった。
2025年、プロバスケットボールBリーグの愛媛オレンジバイキングスのオーナーに就任。チームは直近2シーズンで23勝37敗、さらに5勝55敗と惨敗を続け、西日地区で2年連続最下位という状況だった。そこへITの雄・サイボウズが乗り込んだのである。松山市で創業した企業として、創業の地への恩返しという意味も込められていた。

オーナーとして1年運営してみて、青野氏が驚いたのは数字ではなかった。売上規模は7億円程度、ビジネスとしては決して大きくない。しかし毎週新聞やテレビが取り上げ、人々が勝った負けたと一喜一憂する。
「人の心を動かす力の強さ」
これが彼の想定をはるかに超えていたのだ。
スポーツには、数字に還元できない何かがある。そのことを肌で知った青野氏は、次の一手としてBプレミア適合アリーナの建設を目指している。費用は通常200〜300億円規模。岡田氏が後ろ盾のない中でアシックス里山スタジアムの建設費40億円を集め切ったFC今治の歩みを間近で見てきた彼は、「自分たちもちゃんと集め切る」と静かに覚悟を語る。

北海道が証明した「エリア思考」の力
では、それは本当に可能なのか。一つの答えが北海道にある。
北広島市、人口およそ6万人の地方都市。そこに北海道日本ハムファイターズの本拠地「エスコンフィールドHOKKAIDO」を含む「北海道ボールパークFビレッジ」が3年前に開業した。32ヘクタール、東京ドーム7個分の敷地には、開閉式屋根付き天然芝球場を中心に、バルコニーから試合を直接観戦できるホテル、世界初の球場内の天然温泉。また試合のない日は無料で回遊できる球場施設内にはレストランやクラフトビールの醸造所もそなえ、親子向けには室内外の遊び場を備えたプレイランドも。

驚くべきは来場者の内訳だ。試合のある日より試合のない日の来場者数が上回り、昨年の総動員数は459万人(前年比10%増)と過去最高を記録した。(※1)
ファイターズスポーツ&エンターテイメントの伊藤直也執行役員はこう語る。
ファイターズスポーツ&エンターテイメント執行役員 伊藤直也氏:
「野球をいろんなコンテンツのうちの一つとして捉え、野球には興味ないけどこれだったら興味あるという、いろんな来る理由をたくさん作った」。
野球は一つのコンテンツ。この発想の転換こそが、Fビレッジに「365日人が集まる」日常をもたらしたのだった。

さらにこの地では、グローバルスタートアップとの事業共創プログラム「Hokkaido F Village X」でさまざまな実証実験の場を提供することで新たな挑戦や可能性への支援を行っている。
2025年の初募集には世界29カ国から310社が応募、国内外11社が採択(※2)された。
自律移動ロボット技術を持つ韓国の企業はヤマトホールディングスが連携し、エスコンフィールドHOKKAIDO内においてビール樽などの搬送業務の自動化に向けた取り組みに挑戦したり、冷却素材を開発するアメリカの企業は、北海道日本ハムファイターズの秋季・春季キャンプで選手・コーチ・スタッフと連携し、冷却効果を備えたヘッドバンドやインナーウェアなどをトレーニング実環境下で検証を行ったほか、カナダのPontosense社は自社が開発する転倒を検知する見守りセンサーを、北広島市内の福祉施設でセンサーを試験的に導入した。(※3)

同社のTravis Peterson氏は、自社のサービスについてこれまで国内では東京での導入実績はあったものの今回北海道という地方での導入実験に臨んだ結果に手ごたえと可能性を感じたという。
Travis Peterson氏:
「都心ですでに実装されていたものが地域、地方でも使えるということがわかり、そこがすごく大きな収穫。今回このプロジェクトを通して北海道で取り組めたことは日本各地で拡大できるという自信が持てた。すでに世界各国で24か国で使用されているので、今後はグローバルにも拡張していきたい。」
Fビレッジ周辺にはJR千歳線が新しい駅を再来年の完成を目指して整備をすすめていて、9月、駅名が「Fビレッジ」となったことを発表。
他にも大学や外資系ホテルの建設が決まっていてますます町としての開発が加速している。
青野氏が「20以上アリーナやスタジアムを視察した中でトップ」と断言するのも、無理はない。

理念と採算は、矛盾しない
ここで岡田氏の言葉に戻りたい。
「会社潰れたら理念・理想は実現できない。利益を上げるため何ができるかを必死に考える」ーこれを矛盾だと言う人がいる。しかし岡田氏の中では全く矛盾していない。高い理想があるからこそ、現実の現場で何をするかを必死に考え抜く。青野氏はこれを「エベレストの山頂を目指すのに準備しないで行くやつはいない」と表現した。
夢を語ることと、採算を取ることは、相反しない。むしろ崇高な目標があるからこそ、それを実現するための地道な収益活動が正当化される。その矛盾を矛盾と感じないメンバーが増えたとき、組織は変わる。青野氏はそう確信しているようだった。
「スポーツが地方の未来を創るエンジンになりえるか」という問いへの答えは単純ではない。しかし愛媛と北海道の事例が示しているのは、少なくともこういうことではないか。スポーツを核にエリア全体を「ワクワクする場所」として設計し直すとき、人は動く。心が動けば、足が動く。足が動けば、街が動く。
「ああ、愛媛変わったな」
そう言ってもらえるような街づくりをしたいと青野氏は語った。岡田氏の返答はシンプルだった。「それやったら応援するで」。
10年越しの対話が、新しい挑戦の号砲になった。
出典
※1「 HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE ANNUAL REPORT 2025」 2026年1月
※2 Scrum Venturesプレスリリース 2025年8月
※3 Scrum Venturesプレスリリース 2026年2月


