羽田空港で新千歳発羽田行きの日本航空の機体と、海上保安庁の航空が接触し、炎上した事故。

さいたま市に住む33歳の男性は、奥様と2歳の娘の家族3人でこの日航機に乗っていたという。奥様の実家がある北海道へ帰省した帰りにたまたま乗り合わせたために遭遇した事故。当時の機内の様子と決死の脱出について語ってくれた。以下が一問一答

ーー機内ではどちらの席に座っていましたか?
僕の座席は45なので燃えている翼の隣の真ん中の3席の所です。家族は僕の隣です。

ーー衝撃音や揺れは?
着陸した瞬間に“ドーン”という、着陸音プラスアルファくらいの衝撃だったと思う。

ーーどれくらい揺れましたか?
揺れとかは特に感じませんでした。音は“ドーン”という音が結構しました。それよりも火の方が気になったので、火がどんどん強くなっていって、煙がどんどん濃くなってという感じです。

ーー火は見えましたか?
見えました。しっかりオレンジに燃えていたので、どんどん火の手は強くなってきていて、脱出した後もエンジンは燃えていました。その後もすぐ左側のエンジンがもう燃え尽きてしまっているような感じです。
機体の方にも燃え移って、中も燃えていて、徐々に火が燃え移って機体全部が燃えてるような感じになったと思います。

ーー火の勢いは?
時間が経つにつれて機体全体に移っていきました

ーー煙や息苦しさの中、待っていた時の気持ちは?
家族だけは守れたらいいっていう。荷物とかは何もなかったので、持てる物もなく、子どもだけは煙にあたらないように。
妻には子どもの口だけ押さえさせて、避難するときも両側に通路があったけれど、左側が煙がひどくて危ないと思ったので右側から避難しました

ーー命の危険に対する怖さは?
火が出始めたときはすぐ消えると思っていたが、煙が強くなってきてどうなるかはわからない。でも着陸はしているのでなんとかなるのかな、とは思っていた。

ーー脱出までどれくらい時間がかかりましたか?
体感でしかわからないけど僕の体感だと10分とか15分とか。もっと短かかったのかもしれないけど、それくらいだった気がします。
避難しようにも後ろも横も扉が開けられらない形になって、前の扉がなんとか開くような状況でした。みんな前から避難して下さいという指示があってから避難を始めた感じです。

ーーその間はどういう気持ちで待っていた?
早く出たいなという気持ちと、子どもと妻を守りたいという気持ちだったので。とりあえず前の扉が開いてくれて良かったかな。開かなかったら避難できなかったので。

ーー他の乗客は?
そんなにパニックという感じではなかったが「早く窓を開けて」とか、「外に出して」とか、立って荷物を取ろうとしていた人もいるので、それをCAさんがなだめているような感じはあったが、僕のまわりの人は基本的には落ち着いていた。

ーー脱出の際、CAさんからは?
「落ち着いて」という通常の避難アナウンスと同様のものが聞こえていたので、それを聞いて、「その通りにやるしかないな」と。荷物も持たないようにしていたので、みんな無事でよかったかなという感じです。

ーーその後の脱出はどのように?
脱出の滑り台かなにかで降りて、滑走路にみんなで集まった。初め「10人単位で集まってください」と言われ集まったが、火の手と煙が強くなってきたので、「そこから離れてください」という指示があり、またそこで「10人単位になって下さい。そこにバスが迎えにきてくれます」と言っていた。
でもバスが来られなくなったみたいで、再度「移動して下さい」「10人単位になって下さい」と言われ、そのあと「消防車の後ろについて歩いて下さい」と言われ、そこで初めてバスに乗れた感じです。

ーー今、荷物は?
何もないです、携帯だけです。

ーーこの後の流れの指示は?
特に何も受けていないです。

ーー率直な感想を
家族無事で良かったっていう感じですね。