1995年の阪神・淡路大震災発生から2024年で29年。元日には、阪神・淡路大震災と同じクラスの震度7の揺れが石川県の能登半島を襲い、今も多くの人たちが避難生活を余儀なくされていて、感染症や災害関連死も懸念される。
当時、現地で阪神・淡路大震災を経験した鹿児島市出身の医師に今、思うことを取材した。

医療支援体制改善のきっかけに

1995年1月17日午前5時46分、最大震度7の揺れを観測する阪神・淡路大震災が発生した。建物の倒壊や火災による甚大な被害が出たほか、長期化する避難所生活で体調を崩すなど、災害関連死も含めて6,434人の命が奪われた。

6,434人の命が奪われた
6,434人の命が奪われた
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この阪神・淡路大震災を現地の医師として経験した鹿児島市の医師・野口仁さんは当時、兵庫・明石市の病院に勤務していて、自宅で震災に遭遇した。野口さんは「経験したくない非常に強い揺れでしたので、忘れることはできない」と振り返る。

野口仁医師:
まずは割れた食器や本を片付けようと思ったんですが、次々に余震が起こって、ちょっと片付けたらまた本が飛び出してきたり。繰り返す余震で、そういった気持ちもなえてしまいました。

野口さんはようやくたどり着いた現地の大学病院で、あふれかえる被災者に薬を処方するなどの対応に従事した。

当時は今のように医療チームが避難所に出向くといった体制はなく、避難所の衛生管理も深刻な状況で、避難所での災害関連死の約4分の1が“肺炎”だったといわれている。

その後、阪神・淡路大震災を機に、患者の重症度に応じて治療の優先度を判断する「トリアージ」や、「ドクターヘリ」が導入された。その後の東日本大震災や熊本地震を踏まえ、災害ボランティアや全国各地からの医療支援体制も徐々に整ってきている。

“口腔ケア“が衛生面の対策で大切

こうした中、現在の能登半島地震で懸念されているのが、長引く避難所生活での感染症の広がりだ。

野口さんは、「避難所というのは体育館や公民館など、人が多く収容できるところに設置される」とした上で、「そうなると、いわゆる『3密』という状況が起きやすくなる」と指摘する。

そんな野口さんが衛生面の対策として提案するのが“口腔(こうくう)ケア”だ。

野口仁医師:
少量の水でブラシをぬらして、軽く磨くというだけでも違ってきますし、口腔ケア用のシートもあるので、それの活用。案外、ガムをかむと唾液が増えるので効果がある。

要するに口の中を乾燥させないようにするのが重要で、「意外と口腔ケアは大事になってくる」と指摘する。

地震が自分の身に起きたときの学びに

阪神・淡路大震災から約30年の時を経て、被災者を取り巻く環境・課題も変わっていく中で、私たちが今、改めて考えるべきことを野口さんに聞いてみた。

野口仁医師:
能登半島地震の報道が盛んにされているが、ただ眺めて聞いてということではなく、「自分の身にもし起こったら、どう対応したらいいんだろう?」という学びにしていただきたいと思いますね。

今では当たり前になっている被災地への“医療支援”、野口医師によると、当時はそのような概念がなかったという。

東日本大震災や熊本地震などを経験し、支援体制が整ってきたわけだが、一人一人が過去の災害、そして防災を自分のこととして考えることが何より大切だといえそうだ。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
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