コロナ禍で失業し、2021年から生活保護をもらいながら、富山市のデイサービス施設で働き始めた男性がいる。
一時は路上生活も余儀なくされたという男性の自立を目指す思いに迫った。

地下道で一時路上生活も…月の収入11万円で暮らす

デイサービスのスタッフ:
スプーンはこのまんま、はい、これで

田中さん(仮名):
はい

デイサービスの施設で働きはじめて、1年あまり。54歳の田中さん(仮名)は週2回、ここに来て利用者の介助を手伝っている。

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介護士の資格を持っていないため、できることは限られるが、真面目な仕事ぶりと優しい人柄が、施設や利用者に評価されている。

田中さん(仮名):
今日は、これは食べられなかった? おなかいっぱいですか?

同僚のスタッフ:
聞いて下さりますし、言ったことやって下さってるので、優しい方です

施設を運営する水口勝志さん:
働く気持ちがあふれているのが、一緒に働いている自分にも伝わってくるっていうか、言葉を言わなくても伝わってくるというのが、利用者さんにも伝わっているのかなと思います

田中さんは、デイサービス施設の給料と生活保護で暮らしている。
月の収入は、合わせて約11万円。アパートの家賃が約3万円で、生活費に回せるのは残りの8万円。生活保護をもらう前、2021年1月の約1カ月間、富山駅の地下道で路上生活をしていたという。

田中さん(仮名):
ここに木の柵とかがあって、そこで野宿していた。お金も数百円、数千円しかなかった

工場派遣の雇用打ち切られ…どん底から救ったボランティア団体

田中さんは2020年まで石川県の工場で派遣社員として働いていたが、雇用を打ち切られて収入が途絶えた。
その後、仕事が見つからず、住む場所も失い、あてもなく電車に乗ってたどり着いたのが富山だった。

田中さん(仮名):
ここで終わりなんだなと思っていた

どん底だった田中さんを助けたのは、生活困窮者向けに弁当の無償配布を行うボランティア団体だった。生活保護申請のサポートをしてもらい、受給に至ったことで、路上生活を脱することができたという。
さらにその後、就職先も紹介してもらい、今のデイサービスの仕事に就くことができた。

物価高騰が叫ばれるいま、田中さんを支援したボランティア団体を訪ねた。
行列を作っていたのは、ボランティアから無償の弁当をもらいに来た人たち。週に1度の弁当配布。弁当を求める人は、新型コロナの発生以降急増し、以前の倍の30人以上が毎週訪れるという。

弁当をもらいに来た人は、「生活保護で生活しとる。去年とかに比べたら、やっぱり少しずつ切りつめんなんし。3食を2食にするとか。インスタントラーメンとかでも、5袋で200円とかの特売品を選んでいる」と語る。

ボランティア団体代表の堀江節子さんは、2011年から困窮者への食事の提供などを続けている。近年は特に高齢者の困窮者が増え、困窮の度合いも増していると懸念する。
一方、自立に向けた支援は、1人ひとりの思いを尊重する必要があると、その難しさを話す。

グループ駅北食堂・堀江節子代表:
野宿のままでよいという方から、仕事がほしいという方から、1人ひとり話しを聞かせてもらう場を作りたいなと思うんですけど。そういうことしない限り、自分は何をしたいかというか、そういう希望に気づくことが難しい人たちかなと思っている

勤め先の倒産やリストラで職を転々…生活も切り詰め

デイサービス施設で働く田中さんが失業したのは、実は2020年が初めてではない。
石川県生まれの田中さんは、工業高校を卒業後、地元や名古屋で働いてきたが勤め先が倒産。ほどなく次の仕事が見つかったが、今度はリーマンショックでのリストラにあい、これまで職を転々としてきた。

携帯電話は持たず、食事は半額の割引サービスのスーパーの弁当で済ませるなど、毎日切り詰めた生活を送っている。ボランティアに紹介してもらったデイサービスの仕事は、これまでやったことがない職種で、まだ不慣れなところもある。
しかし今、田中さんは週2回のこの仕事に生きる糧を見出そうとしている。

田中さん(仮名):
できれば(介護の)資格とって、本格的にやってもいいかなという感じはあります。(やりがいは)利用者さんが喜んでくれるところじゃないですか

ゆくゆくは勤務日を増やし、生活保護を受給しない自立した生活を送りたいと意気込む。

田中さん(仮名):
まあいろいろなことを仕事のうえで経験もしてきたけど。自分らより厳しい人がたくさんいるということが少しずつ見えてきたもんで、体の動く間は人の役に立てるように、少しでもできれば良いと思っている

(富山テレビ)

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