天皇陛下は5月1日、即位から5年を迎えられた。制約の多いコロナ禍を経て再開した「交流」への思い、皇后さま・愛子さまとの家族の絆、そして5年間の歩みの中で、陛下にとっての「一番の喜び」とは。

祝意の中で受け継いだ皇位のバトン「常に国民を思い国民に寄り添う」

5年前の2019年5月1日、陛下は126代天皇として即位された。

即位後朝見の儀 2019年5月1日
即位後朝見の儀 2019年5月1日
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即位後朝見の儀では、「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします」「上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽さんに励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」と述べられた。

即位後朝見の儀 2019年5月1日
即位後朝見の儀 2019年5月1日

陛下の表情からは、穏やかな中にも背負われた責任の重さや覚悟がにじみ、傍らで皇后・雅子さまがじっと耳を傾けられていた。

昭和天皇の崩御の哀しみの中で行われた平成の代替わりとは異なり、陛下は祝福の中で上皇さまから皇位のバトンを受け継ぎ、皇后さまと共に天皇としての歩みを始められた。

「即位の礼」や「大嘗祭」重要儀式や行事の全てに皇后さまも出席

即位直後にはさっそくアメリカのトランプ大統領(当時)を国賓として迎え、定例の地方公務で各地を訪問するなど、皇后さまと共に様々な公務に臨まれた。

トランプ大統領(当時)を国賓として迎えた 2019年5月
トランプ大統領(当時)を国賓として迎えた 2019年5月

そして秋には、「即位の礼」の儀式が相次いで行われた。

即位礼正殿の儀 2019年10月
即位礼正殿の儀 2019年10月

中心的儀式「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」では191の国と地域から代表者が参列し、陛下は天皇のみが着用する「黄櫨染御袍(こうろぜんのごぼう)」と呼ばれる装束で「高御座(たかみくら)」に立ち、「ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします」「国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と、即位を宣言された。

約12万人が集まった祝賀パレード 2019年11月
約12万人が集まった祝賀パレード 2019年11月

祝賀パレードでは約12万人から祝福を受け、皇后さまが目元を拭われる場面もあった。

皇位継承に伴う重要な祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」や、皇室の祖先とされる天照大神を祀る伊勢神宮への「親謁の儀」など、一世に一度の重要な行事が続き、療養中の皇后さまも即位に伴う全ての儀式や行事に出席された。

台風19号の被災地を視察 宮城・丸森町 2019年12月
台風19号の被災地を視察 宮城・丸森町 2019年12月

両陛下は一連の行事を終えた直後の2019年の年末、豪雨被害を受けた福島県と宮城県の被災地を訪れ、即位後初めて被災者を見舞われた。

コロナ禍による制約で活動を模索 ビデオメッセージも活用

即位に伴う行事を終えて令和2年を迎え、天皇として本格的に歩みを始めようとした矢先、コロナ禍に見舞われた。即位後初めての天皇誕生日の一般参賀を始め、式典や各地への訪問は中止を余儀なくされた。

交流の機会が失われ、活動は大きな制約を受けるなか、陛下はオンラインを取り入れ、初めてビデオメッセージを通じてコロナ禍に苦しむ国民に寄り添う思いを伝えられた。

2021年1月に公開されたビデオメッセージ
2021年1月に公開されたビデオメッセージ

2021年新年のビデオメッセージでは、「今、この難局にあって、人々が将来への確固たる希望を胸に、安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ、皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています」「即位以来、私たちは、皆さんと広く接することを願ってきました。新型コロナウイルス感染症が収まり、再び皆さんと直接お会いできる日を心待ちにしています」と発信された。

「今できることを少しずつ」葛藤乗り越え訪問再開へ

国民と共にありたいと願いながら、叶わぬ訪問や交流。側近は当時の様子について、「葛藤はおありだったと思うが、『今できることを』という思いで取り組まれている」と話す。「今できることを少しずつ」と心に決め、活動を模索される日々が続いた。

地方での式典に、赤坂御用地から中継回線をつなぐ形で初めて「リモート出席」し、モニター越しに現地の参加者と心を通わせられたこともあった。

沖縄を訪問し戦没者墓苑に献花された 2022年10月
沖縄を訪問し戦没者墓苑に献花された 2022年10月

そうした前例の無い取り組みを実現するたびに、力を尽くした関係者に感謝の思いを伝えられた陛下。2022年秋には、約3年ぶりに地方への訪問がようやく再開し、即位後初めて太平洋戦争の激戦地、沖縄に足を運ばれた。

岩手県の追悼施設では白い花を手向けられ、一礼された 2023年6月
岩手県の追悼施設では白い花を手向けられ、一礼された 2023年6月

慎重に感染対策を徹底しながら、東日本大震災の被災地・岩手県を始め、徐々に各地へ訪問を重ねられるようになるなか、出席する多くの行事では、両陛下の希望により、関係者との懇談の場も設けられていた。側近は、「なるべく多くの人から『直接お話を聞きたい』というお気持ちが強い」と話していた。

被災地に寄り添う思い「大変さが本当によく分かりました」

「直接お話を聞きたい」という思いは、災害被災地へのお見舞いにも繋がっている。相次ぐ災害に深く心を痛め、2024年元日の能登半島地震発生を受け、翌日の新年一般参賀を急きょ取りやめられた。

現地での救助や復旧を最優先にしながら、訪問の時期を模索する中、両陛下は被災者が気持ちの上でも受け入れ可能な時期を慎重に待たれていた。

能登半島地震の被災者をお見舞いされた 2024年4月
能登半島地震の被災者をお見舞いされた 2024年4月

側近は、「『象徴』として被災地へのお見舞いをとても大切に思われているからこそ、現地の方達の気持ちにも配慮されている」と話していた。

そして3月末と4月、奥能登地域を2カ月連続で見舞い、被災現場の状況を目に焼き付け、避難生活を送る人たちの話に耳を傾けられ、「大変な思いをされましたね」「どうかお体を大切に」と一人一人に声をかけられた陛下。訪問後周囲に「大変さが本当によく分かりました」と話されていたそうだ。

「国民の皆さんの中へ」 模索した経験から深まる交流への思い

2024年2月に、誕生日に際して行われた会見では、「国民の皆さんの中に入り、少しでも寄り添うことを目指して、行く先々で多くの方々のお話を聴き、皆さんの置かれている状況や気持ち、皇室が国民のために何をすべきかなどについて的確に感じ取れるように、国民の皆さんと接する機会を広く持つよう心掛けてまいりました。これからも雅子と相談しつつ、このことを心掛けながら各地を訪問してまいりたいと思います」と述べられた。

能登半島地震の被災者と同じ目線で向き合われた 2024年3月
能登半島地震の被災者と同じ目線で向き合われた 2024年3月

被災者、外国の要人、訪問先の人々…様々な場面で一人一人と丁寧に向き合い、触れ合うお姿を拝見していると、感染症による制約のもと活動を模索した経験は、交流のあり方への考えを深め、一期一会をより大切にされる思いにつながっているように感じる。

就職は「5年間で一番の喜び」 家族の絆もたらす安心感と信頼

この5年の間に、長女の愛子さまは高校を卒業し、大学に入学・卒業、そして就職と、環境が大きく変わった。愛子さまが社会人として立派に”独立”されたことは、「この5年間の中で両陛下にとって一番の喜び」「頼もしく思われている」と側近は話している。

愛子さまの就職は「一番の喜び」 2024年4月
愛子さまの就職は「一番の喜び」 2024年4月

「誰かを助け、社会の役に立ちたい」という思いで日本赤十字社への就職を自ら選択された愛子さま。関心を寄せてきた分野の仕事にひたむきに取り組まれる姿は、両陛下にとって励みになると同時に、社会の一員となった愛子さまを通じて、社会を知る新たなきっかけにもなっているのかもしれない。

重い務めを担いながら、いつも自然体でユーモアを忘れない一面がある陛下。

那須御用邸でご静養 2023年8月
那須御用邸でご静養 2023年8月

皇后さまと支え合い、長女の愛子さまとの家族の絆を大切にされる様子が安心感をもたらし、多くの人々との間に「共感」や「信頼の絆」を築いてきているとも感じる。

この5年の経験を土台に、ご家族の支えを受けながら、時代の変化に合わせて工夫を重ねられる日々。令和の「象徴」として「常に国民を思い、苦楽を共にする」陛下の歩みが続いていく。

【執筆:フジテレビ宮内庁クラブキャップ兼解説委員 宮﨑千歳】

宮﨑千歳
宮﨑千歳

天皇皇后両陛下や皇族方が日々取り組まれる様々なご活動をより分かりやすく、現場で感じた交流の温かさもお伝えできるような発信を心がけています。
宮内庁クラブキャップ兼解説委員。1995年フジテレビジョン入社。報道局社会部で警視庁クラブなどを経て、2004年から宮内庁を担当。上皇ご夫妻のサイパン慰霊の旅、両陛下の英エリザベス女王国葬参列などに同行。皇室取材歴20年。2児の母。