那覇市出身の男性が、ウクライナの隣国ポーランドに避難民の子どもを受け入れる託児所を開設した。志を共にした婚約者の死去を乗り越えてまで、支援活動に奔走する男性。原点は、祖父から聞いた戦争体験だった。

侵攻から1年5カ月 命の危険はあるけど帰らざるをえない

ウクライナの隣にあるポーランド。

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南部の都市カトヴィツェの大学に通う東優悟さんが、2023年7月17日に開設したのは、ウクライナ人の子どもたちを受け入れる託児所だ。

ウクライナ出身の保育士が見守る中、8人の子どもたちがのびのびと過ごしている。

東優悟さん:
今は子どもたちを8人受け入れています。入所希望者が多くて、1カ月をめどに子どもたちの人数を16人に増やそうとしています。そこからは、できるだけ早く支援金を集めて安定させ、24人の子どもたちを受け入れたいと思っています

ロシアによる侵攻が始まってから1年5カ月。

ポーランドには多くのウクライナ人が避難してきたが、当初手厚かったポーランド政府などからの支援は徐々に少なくなり、生活が苦しくなって、戦況が悪化するウクライナに帰らざるをえない人が多いという。

状況は厳しくなっている。子どもがいて仕事ができない人もたくさんいるという。

東優悟さん:
避難所では、基本的に生活費がほとんどかからないのですが、食費はかかります。貯金を切り崩しながら生活しているので、1年たった今、貯金がなくて、命の危険はあるけど(ウクライナに)帰らざるをえない人がいるという状況です

婚約者の死去で精神的に限界 それでも頑張り続ける理由

東さんはロシアがウクライナに侵攻した直後から、避難民を自宅に受け入れるなど精力的に支援活動を行ってきた。

東優悟さん(2022年のインタビュー):
今ここでは、ウクライナ人のお母さん1人と子ども2人が寝泊りしています。通常、ごはんはここで、みんなそろって食べています。

東優悟さん(2022年のインタビュー):
結果として、お母さんの仕事が見つかって、子どもたちを安全に預かってもらえるような場所ができたら、ウクライナにいるお父さんも安心できるのではないかと考えています

この頃から子どもたちを受け入れる託児所を開設しようと奔走してきた東さんを悲劇が襲った。共に行動してきた婚約者のマルタさんが2023年1月、病気のため亡くなったのだ。

東優悟さん:
自分がお付き合いしていたマルタが他界して、精神的に限界になり、最初はもう無理かと思いました。もう託児所は無理だな、続けられないだろうなと思っていましたが、日本の支援者の皆さんが本当にやさしくて、自分が潰れかけている時にたくさん声をかけてくれました。応援してくれているのなら頑張ろうかなと思って、結局なんとかやれています

東さんの祖父は沖縄戦の体験者で、東さんは幼いころから戦争の恐ろしさを聞いてきた。

東優悟さん:
やっぱりおじいちゃんの話を聞いていると、戦場の怖さというのはあります。戦争(ウクライナ侵攻)が始まったあとにおじいちゃんの話を思い出して、もっと支援したい、少しでも気持ちが楽になるようにしてあげたいと思うようになりました

祖父が目の当たりにした惨状をウクライナに重ね合わせ、困っている人たちを助けたいと心を寄せている。

東優悟さん:
ウクライナ難民の方が生活苦で仕事ができず、子どもを預けられないで(ウクライナに)帰る、という現状をなんとかしたいです。一番の被害者はやはり子どもたちですので、子どもたちが笑顔になれるようにしたいと思います。

東さんはウクライナの人々に思いをはせ、日本や沖縄でも支援の輪が広がることを願っている。

(沖縄テレビ)

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