小野寺さんから面白い話を聞いた

4月から産経新聞社の雑誌「正論」で政治家のインタビューの連載「平井文夫の聞かねばならぬ」を始めたのだが、その2回目で小野寺五典元防衛相から面白い話を聞いた。

小野寺氏は安倍政権で2度防衛相を務め、その後は自民党の安保調査会長として、ここ10年以上ずっと日本の防衛政策の中枢を担っている。

小野寺五典元防衛相(63)
小野寺五典元防衛相(63)
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実は小野寺氏はもともと農水と外交が専門で、防衛族ではなかった。だから栄誉礼を受けたこともなかったのだが、第2次安倍内閣で当時の安倍晋三首相から突然防衛相に指名された。

ここから先は「正論」の記事には載せなかったのだが、小野寺氏に「なぜ安倍さんはあなたを指名したのか。そもそも接点はあったのか」と聞いたら、以下のような話をしてくれた。

安倍元首相とともにアメリカ国務省に入る小野寺氏 2010年
安倍元首相とともにアメリカ国務省に入る小野寺氏 2010年

安倍氏が最初に首相を辞め、その後自民党が下野した後の2010年10月、小野寺氏は安倍氏のお供で日米安保50周年の自民党の使節団として渡米した。

ジェイムズ・スタインバーグ国務副長官と安倍氏との会談が終わった時のこと。安倍氏が小野寺氏に「聞きたいことあったらなんでも聞いていいよ」と言ったので、小野寺氏は「尖閣への日米安保条約5条適用」について聞き、スタインバーグは適用を認めた。

国務省前で取材に応じる安倍元首相 後ろには小野寺氏 2010年10月
国務省前で取材に応じる安倍元首相 後ろには小野寺氏 2010年10月

安倍氏はこのことを記者団へのぶら下がりで明らかにしたが、野党の元首相という事でメディアの扱いは小さかったという。

民主党政権の屈辱

その1ヶ月前に尖閣沖で中国漁船が海保の船と衝突し、中国人船長が逮捕され、日中の大きな外交問題になった。

当時の民主党政権の前原誠司外相が、ヒラリー・クリントン米国務長官から閣僚級としては初めて「尖閣への日米安保条約5条適用」というオンレコの発言を引き出したのだが、その直後に那覇地検は船長を釈放してしまった。

前原外相(当時)とクリントン国務長官(当時) 2010年撮影
前原外相(当時)とクリントン国務長官(当時) 2010年撮影

筆者はこれについてシンクタンク「創発プラットフォーム」のムービー版「オーラルヒストリー」で前原氏にインタビューしたことがあるが、当時の菅直人首相は当初逮捕には同意したものの、その後、釈放を指示したということだった。

この事件は日本が中国の圧力に屈服した印象を与え、日本外交の汚点になってしまったのだが、その1か月後の安倍・スタインバーグ会談は尖閣についての日米の安保認識を再確認するということで非常に意味があった。

日米安保は「復活」した

そして安倍氏は2012年に首相に返り咲いた後、14年にはバラク・オバマ米大統領から「尖閣の安保5条適用」発言を引き出し、その後、ドナルド・トランプ、ジョー・バイデンの両大統領もその発言を踏襲している。

日米首脳が尖閣についての安保認識を常に確認し合うというのは極めて重要だ。

鳩山政権で日米の安保関係は危機的状況に
鳩山政権で日米の安保関係は危機的状況に

前原氏がクリントンから尖閣発言を引き出したことは評価すべきだが、民主党政権全体で見れば、船長釈放は外交的にはみっともない話だったし、そもそも鳩山政権の辺野古移転をめぐる「最低でも県外」発言で日米の安保関係は危機的な状況だった。

安倍政権で日米安保は持ち直したのだが、そのきっかけとなったのが小野寺氏のスタインバーグへの質問だったと思う。そしてこのことが安倍氏が小野寺氏を防衛相に抜擢する判断材料になったのだろう。

2012年に発足した第2次安倍内閣は、安倍氏を担ぎ出し総裁選の指揮を執った菅義偉氏が官房長官、兄貴分の麻生太郎氏が副総理兼財務相に就任し脇を固めた。

第二次安倍内閣発足 小野寺氏は左上 2012年12月
第二次安倍内閣発足 小野寺氏は左上 2012年12月

また総裁選で安倍氏を脅かした石破茂氏が自民党幹事長、その石破氏がポスト安倍レースで突出しないよう岸田文雄氏を外相に据えた他、甘利明経財相、茂木敏充通産、谷垣禎一法相など重厚な布陣で、防衛族でない小野寺氏の防衛相だけが意外だったのだが、小野寺氏に話を聞いてようやく謎が解けた。

第二次安倍内閣が発足時の安倍晋三元首相 2012年12月
第二次安倍内閣が発足時の安倍晋三元首相 2012年12月

昔は清和研=タカ派、宏池会=ハト派などと分類されたものだが、安倍氏が最も力を注いだ日米安保の再構築を宏池会の岸田、小野寺両氏が補佐し、その後を継いでいるということがこの「正論」6月号(5/1発売)のインタビューを読むとよくわかるので、ぜひご一読願いたい。

平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ報道局上席解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。