イスラエルとイランの報復攻撃の応酬は暴挙に見えても、中東に伝わる「目には目を」の規範を守って抑制されているようにも思える。

「目には目を、歯には歯を」本来の意図は…

中東には近代刑法のルーツとも言われる「ハンムラビ法典」がある。紀元前18世紀に今のイラク南部にあたるバビロニアを統治したハンムラビ王が配布した法典で、その考え方を代表するのが法典の196・197条にある「目には目を、歯には歯を」という記述だ。この言葉はしばしば「やられたらやり返せ」と復讐を是認する時に引用されるが、本来の意図は全く別だと言われる。

ルーブル美術館の「ハンムラビ法典碑」
ルーブル美術館の「ハンムラビ法典碑」
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法典は仏・パリのルーブル美術館に展示されている石碑に象形文字で刻まれているが、それを英訳したものは「目」も「歯」も単数形で次のように表現されている。

An eye for an eye and a tooth for a tooth.

つまり、「片目には片目を、一本の歯には一本の歯を」と相手に片目をつぶされるような被害を受けた場合なら相手の片目を潰す仕返しは正当化できるが、それ以上に報復をして両目を傷つけるようなことはできないと定めているのだ。

人が誰かを傷づけた場合にはその罰は同程度のものでなければならないか、それ相応の代価を受け取ることで罰に代えることができるという考えで「同害復讐法」とも呼ばれ、その後の中東の道徳規範に影響を与えている。

旧約聖書の「出エジプト記」には、主がモーゼを通じて「十戒」を与えた後、具体的な戒律を伝えるが、その21章にこういう一文がある。

「人々がけんかをして、妊娠している女を打ち、流産させた場合は、もしその他の損傷がなくても、その女の主人が要求する賠償を支払わなければならない。仲裁者の裁定に従ってそれを支払わなければならない。もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない」(聖書スタディ版より)

イスラム教でも、その法律「シャーリア」の刑罰に「同害報復刑」が定められていて、被害者が加害者に被害と同程度の報復をすることを許し、被害者の同意を得れば金銭支払いで済ますこともできるとしているという。

互いに攻撃を抑制したのか

そこで今回のイスラエルとイランの報復の応酬だが、先ず1日にシリア・ダマスカスにあるイランの外交施設が爆撃され、イラン革命防衛隊の幹部が殺害されたのがイスラエルによるものだったとすれば「主権侵害」の国際法違反になり、「目には目を」の原則からもそれなりの報復が正当化されることになる。

イスラエル軍の戦闘機がイランの無人機を迎撃する様子(イスラエル軍4月14日公開の映像より)
イスラエル軍の戦闘機がイランの無人機を迎撃する様子(イスラエル軍4月14日公開の映像より)

そこでイランは、そうした場合に自衛権を認めた国連憲章51条を根拠に、13日、イスラエルに対してミサイルや無人機による大規模な攻撃をしたわけだが、この攻撃は事前に喧伝されていただけでなく、イランは無人機などがイスラエル領内に侵入する前に発射の事実を公表したため、イスラエルや米軍は時間的余裕もあって350発余と言われたロケットや無人機の99%を撃墜できた。また、攻撃目標もテルアビブなど都市部を避けて軍事基地を狙っていたと見られることから、少女1人が負傷したとはいえ人的被害は軽微だった。

イスラエル軍は、イランの攻撃を「99%迎撃した」としている(イスラエル軍発表資料より)
イスラエル軍は、イランの攻撃を「99%迎撃した」としている(イスラエル軍発表資料より)

これでイスラエル側は「イランの攻撃は失敗した」と発表したが、それよりもイランが「目には目を」の規範を越えて報復しないように抑制したのではなかっただろうか。

イラン中部で撮影されたとみられる映像では、夜空に点滅する白い光が確認できた。
イラン中部で撮影されたとみられる映像では、夜空に点滅する白い光が確認できた。

そして19日、イラン中部のイスファハンで爆発音が響き、イスラエルの攻撃と見られたが、攻撃は限定的で、イラン当局は3機の無人機をイスファハン上空で確認し、防空システムで破壊したと発表した。

米国のメディアは政府当局者の話として、イスラエルがイランの大規模攻撃に対する報復措置に踏み切ったものだが、イスファハン周辺に集中している核関連施設は攻撃の対象とはしていないと伝えた。つまり、イスラエルも報復は「目には目を」の限度を越えない範囲で行いながら「もしイランが再報復するならば核施設も破壊する」と警告したものと受け止められている。

問題は、このイランとイスラエルが互いに罵詈雑言を浴びせ合いながらも、実際の軍事行動は抑制されている状況がいつまで続くかだが、「ハンムラビ法典」は最後に「ハンムラビ王の死後の王たちもこの法典に従え」と明記してあるそうなので、現代のイラン、イスラエルの「王」つまりは指導者たちも、「目には目を」の規範から逃れられないのかもしれない。
【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】

木村太郎
木村太郎

理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています。
アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身。慶応義塾大学法学部卒業。
NHK記者を経験した後、フリージャーナリストに転身。フジテレビ系ニュース番組「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを経て、現在は、フジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターを務める。