ディスカウントスーパー「オーケー」の創業者・飯田勧会長が亡くなった。

熾烈(しれつ)な競争が続くスーパー業界で、“業界の風雲児”として知られる飯田会長。
数々の戦略で、オーケーを人気スーパーに成長させた。

5日も多くの人々が利用するディスカウントスーパー「オーケー」。

経営方針である「高品質・Everyday Low Price」が支持され、2023年は、東京・銀座への出店が話題に。2024年11月以降には、関西進出も予定している。

その創業者・飯田勧会長が2日、肺炎で亡くなっていたことが明らかになった。96歳だった。

数々の戦略を、他社に先駆け行ってきた“業界の風雲児”。
最大の特徴は、業界の定石破りだった。

1958年に創業した「オーケー」。飯田会長の実家が営む酒問屋の小売部門として、東京・上板橋で1号店を開業。飯田会長は、開業に至った経緯を、次のように記している。

飯田会長「雑誌に『アメリカではスーパーマーケットが花盛り』という記事を見て、『これなら現金商売で売掛回収の苦労がないなぁ」と思いまして、始めることにしました」

飯田会長は、創業から9年後、オーケー株式会社として独立し、社長に就任。

その後、打ち出したのが、特売の廃止。
業界の常識を破る戦略だった。

一定期間だけ安売りする特売ではなく、通常の販売価格自体を競合店の特売価格に負けないように引き下げた。

商品の質を下げることなく、安値に挑戦するために、飯田会長が始めたのが数々の改革。

現在では当たり前となった買い物袋の有料化は、オーケーでは1989年に実施している。

現在の二宮涼太郎社長は、当時の利用者の反応を「当時としては、すごく型破りな取り組み。でもオーケーのお客さまは、『オーケーがコスト削減した分、商品の値段は安くなるのね』と、本当にすぐ定着した取り組みでしたね」と話す。

3%の消費税が導入されると、本体価格を3%割引し、利用者の負担をゼロにし、2001年には、チラシ広告も廃止した。

こうした戦略が、毎日の安売りに結びつき、現在は、1都3県で152店舗を展開。2023年、高級店が立ち並ぶ東京・銀座にも出店した。

利用客からは、「すごく安くて助かっています。こんなに安いスーパーなかなかない」「安い割に品がいい」といった声が聞かれた。

二宮社長は、飯田会長のこだわりについて、「『とにかくお客さんに損をさせたくない』というのは、本当に(飯田会長の)強い思い。発想が柔軟で、物事を大きく考えられる。これだけ栄枯盛衰が激しい業界で、ここまでオーケーがしっかり続けてこられたのも、飯田(会長)の大胆な面と慎重な面、両方を持ってたからこそだと思う」と話す。